46: 第二次ドラゴン討伐(19)
*少し過激な表現が含まれています。
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何があろうと生き抜いて見せる――それがオレに出来るせめてもの償いだから。
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右手が小刻みに震え、その振動が手に握るソードへと伝わる。大きくへこんだわき腹から全身に広がる激痛に顔を歪めながらも、オレに身の程を分からせることに成功して満足げな表情を浮かべるドラゴンを睨みつける。
ドラゴンは先ほどまでの猛攻を止め、ただ悠然とその場に立ち尽くしていた。まるでオレに回復の隙をわざと与えているかの様だ。その余裕綽々たる様が、如何にもオレには復讐を果たすことが不可能であると語り掛けてきているようで腹が立つ。
「――その余裕が後で自分を殺すことになるという事を分からせてやるよ!」
オレは『魔法の鞄』からポーションを取り出すと、ドラゴンに殺気を帯びた視線を向けながら一気に煽る。
「さあ、第二ラウンドの開始だぜ!」
オレはポーションの空き瓶を投げ捨てながら、ドラゴンに獰猛な笑みを向ける。それは今のオレが出来る最大限の強がりであり、到底及ぶことの出来ない力の差を忘れるために唯一残された手段であった。
『ガァァァーーーッ!』
ドラゴンはオレが回復したことを見届けると、満足げに咆哮する。久方ぶりに現れた圧倒的強者である自身に、まだ刃向かおうとしている大バカ者をあざ笑うかの様であった。
オレはポーションのおかげで感覚を取り戻した左腕をソードに添えると、勢いよくドラゴンに向かって駆け出す。
痛みや傷がほとんど回復したオレと翼や前足から血を流すドラゴン。一見、オレの方が圧倒的有利のように思われるだろうが、実情はそうではない。何とかドラゴンを死に至らしめる決定的な一撃を刻み込もうと必死に藻掻くオレと、まだまだ余裕がありそうなドラゴン。今もこうしてオレはドラゴンに向けて我武者羅にソードを振るうしかないが、ドラゴンは泰然とオレの攻撃を受け止め、ジワジワとオレが弱っていくのを楽しんでいた。
オレはドラゴンに少しでも隙を作るために左右ジグザグに駆け出し、間合いに入った瞬間、温存していた力を一気に解放してドラゴンの首元目掛けてソードを振るう。
ドラゴンは顔の周りを飛び回るハエを払うかのように前足でオレを迎撃しようとする。
オレはドラゴンの払いによって生じた突風に体勢を少し崩されながらも、ドラゴンの首元にソードを滑らせる。
「――しまっ」
ドラゴンに深く傷を刻み込もうとしたため、その分踏み込みも深くなってしまい、ソードがドラゴンの堅い鱗で完全に受け止められてしまった。そのせいで、オレの身体も自然とドラゴンの正面で止まってしまう。
生暖かく血なまぐさいドラゴンの吐息がオレの頬を撫でる。オレの事をすぐそばで見つめる邪悪さの満ち溢れた二つの水晶玉にはオレの焦りの表情が鮮明に映し出されていた。
このまま深淵にのみ込まれてしまうかのような恐怖と同時に、なぜかオレにそのことが幸せであるかのように思わせる不可思議な脱力感。
一瞬、オレはその水晶玉の反抗しがたい魅力に意識を吸い込まれてしまった。
その束の間、オレの周囲の温度が一気に上昇し、オレの身体から流れる汗や瞳の水分を一気に蒸発させていく。
――このままではマズいッ!
このままではオレはドラゴンの目の前で一瞬にして死んでしまうだろう。そう本能がオレにけたたましく警告を発する。
吸い込まれそうな意識をどうにか現実へと引き戻し、すぐさまオレは高温を発するドラゴンの顔から跳び下ると、どうにかドラゴンの視界から外れるためにドラゴンの背後へと回り込むことを試みる。
口の中一杯に死の炎をためたドラゴンがオレを追って振り向くが、狙いを定められないようにオレも背後へと回る。
その場でグルグルと回るオレとドラゴン。
ドラゴンも至近距離にいるオレに魔法を放つと自分にまで影響が出てしまうので、なかなか魔法を放てず、時間が経過するにつれ怒りを募らせていく。
ドラゴンはどうにかオレを追い払おうと尻尾でオレを狙うが、オレもここで距離を取ってしまうとすぐさま黒焦げになってしまう事を理解しているので、必死に迫りくる尻尾を避ける。
どのくらいの間そうしていただろうか。体感ではかなりの時間が経過しているのだが、実際にはそうでもないのだろう。
『グラァァーーーッ』
怒りが頂点に達してしまったドラゴンは開いていた口を勢いよく閉じて魔法を噛み消し、怒りに任せて咆哮した。
そして背後にいるオレの方へ一瞬視線を向けたかと思うと、またもや口の中に炎を生み出し始める。しかしながら、今度はオレの方へと放とうという気配はない。オレとは別の場所に向けて渾身の魔法を放つ準備を始めていた。
――まさかッ!?
ある懸念が頭をよぎった瞬間、オレの身体はドラゴンの方へと動き出していた。
今この場でドラゴンの前に立っている者はオレしかいない。
しかしながら、オレだけがこの場にいると言う訳では無い。
大きな怪我を負ったオレの仲間たちが少し離れた所で横たわっている。
「――ふざけるなッ」
ドラゴンはなかなかオレの事を消し炭にすることが出来ずに募った怒りを、動けない仲間たちを使って解消しようとしているのだ。
オレがドラゴンの背後から正面に周った時にはもうすでに魔法は完成されていた。
「オレの仲間に手を出すな―――ッ!」
オレは手に握ったソードを握り締めるとドラゴンの口の中めがけてソードを突き出す。
ドラゴンの魔法が口から放たれようとしたまさにその瞬間、オレのソードの切先が魔法に触れた。
一瞬にしてオレのソードは熱せられ、手にも爛れるような高温が伝わってくる。あまりの熱さに一瞬手を離しそうになるが、ドラゴンに魔法を放たせないようにするために、皮が爛れた手に再度力を込めると、ソードをそのまま押し込んだ。
『ギャャャーーー』
かすかに残ったオレの手の感覚に、ソードがドラゴンの口内に突き刺さったという事が伝わってきた瞬間、強烈な熱風とともに魔法が爆ぜた。
「ぐわぁぁぁ―――ッ」
熱風を全身に浴びながら大きく後ろに飛ばされてしまう。受け身を取ることが全く出来ず、そのまま地面に打ちつけられるものの、オレの身体にその痛みが走ることは無い。いや、痛みはあるのだろうが、それ以上に熱風によって爛れてしまった全身と、何よりドラゴンの攻撃を防ぐためにソードを口内へと差し入れたせいで、他の部位よりも爛れがひどい両腕に走る激痛がオレを苦しめる。
オレは叫びながらその場でもがき苦しむ。
激痛がオレに意識を失わせようとするが、すぐさまその激痛によって意識を覚醒され、連続的な痛みがオレの全身を蝕んでいく。
痛みに苦しむ最中に涙で濡れるオレの瞳に映ったのは、全く感覚のない右手がドロドロに溶けてしまいソードの柄から離れないという見るも無残な状態だった。そこにはもうすでに五本の指は無く、どこが指であったのかを想像できるような名残もない。
右手に隠れていたおかげで左手はソードと一体化することは無かったが、こちらも多少は指の形を保っているものの所々隣り合う指とくっついてしまっていた。幸いなことに左手にはまだ感覚が残っているようだ。しかしながら、手に走る痛みと熱による爛れにより上手く動かくすことは少しも出来ない。
右手をソードから取り外そうと痛む腕を動かしてみるが、全く効果は無い。こぶし大の塊がソードの柄に完全にくっついてしまっている。
回復するために『魔法の鞄』からポーションを取り出そうとするが、上手くいかない。偶然取り出せても栓を開けることが出来ず、そのまま地面に落ちてしまう。
回復することの出来ない恐怖と、それらの感情さえ忘れさせる程の激痛。爛れた皮膚から徐々に鮮血が流れ落ち始めた。
熱のせいで真っ赤になったソードの切先が徐々に元の色へと戻っていく中、ドラゴンもオレと同じようにのたうち回っているのが見えた。
「……ざまぁみろ」
魔法を放とうとしたその瞬間、オレのソードがドラゴンの口の中に刺さり込み、かなりの深手を負わせることが出来たようだ。それに加え、口の中に準備された魔法がその場で爆ぜたことにより、オレと同じように熱風をその身に受けることになったが、そのダメージはオレ以上だった。口を開けていたせいで熱風がドラゴンの体内にまで送り込まれ、内部からドラゴンを苦しめている。今も苦悶に満ちた様子でその体躯を動かしていた。口からはおびただしい量の血が流れ出し、ドラゴンの周囲に血の池を作り出している。
それに加え、その魔法の影響はドラゴンの顔にも出ており、いくら厚く堅い鱗に覆われているドラゴンと雖も、その灼熱に耐えることは出来なかったようだ。オレほどではないが肉が爛れているようだ。
オレはゆっくりとその場に立ち上がると、痛みのせいで何度も頭を地面にたたきつけているドラゴンを見て、不敵な笑みを浮かべる。
「目の前にいるオレではなく、動けないみんなに魔法を放とうした罰だ。その愚かな行為を選んだ自身の弱さを恨みな」
その口ぶりはいかにも勝者のそれだ。しかしながら、オレも満身創痍、今にもその場に倒れてしまいそうな状態だった。それでも今オレがこうして立てているのはドラゴンの無様な姿を見下ろすことによる愉悦感と、今も消えることなくオレの心の中で燃え盛っている復讐の炎のおかげだ。
「立てよ」
オレは熱風のせいで息苦しいのを我慢しながら、地面の上をのたうち回るドラゴンを睨みつける。
『グルルル』
ドラゴンはオレの視線を受けて苦しそうな唸り声を上げながらもその場に立ち上がると、殺意に満ち溢れた視線を返してくる。
「最終ラウンドの始まりだぜ」
オレは弱々しくソードを構える。回復する手立てがない今、オレに出来ることは自分が倒れる前にドラゴンにとどめを刺すことだけ。それだけがオレに残された未来だ。
それはドラゴンも同じだろう。もうその姿には当初の絶対的強者の風貌は無くなっている。今はただの生と死の狭間に立たされたモンスターでしかない。生まれて初めて味わった死という未来に抗うために、目の前に立つオレを殺すことだけしかドラゴンの頭の中にはなかった。
すっかり弱りはてたオレとドラゴンに残された時間は少ししかない。全身に走る激痛のせいで碌にソードを振るうことが出来ないオレと、もはや魔法を放つことが出来ないドラゴン。お互いその場に立っていることが不思議なほどであった。
「行くぞ」
その言葉はドラゴンにだけ向けたものではない。
オレとオレを助けるために死んでいったみんなに向けた誓いの言葉でもあった。
一歩、また一歩と、フラフラと揺れる身体を前に進める。
ドラゴンも頭を左右に揺らしながらゆっくりと歩を進めている。
どちらが先に倒れるか、もはや相手への殺意だけがお互いの支えになっていた。
ゆっくりと、しかし着実に間合いが詰まっていく。
オレが自分の間合いに入ろうと右足を踏み出した瞬間、ドラゴンがオレに向けて前足を振り下ろす。
前のような威力もスピードを無いが、それでも今のオレにとっては脅威的な攻撃であることに間違いない。
オレは倒れ込むように横に移動し、何とか攻撃を避ける。
目標を失ったドラゴンの前足はそのまま地面へと突き刺さり、土ぼこりを舞い上げる。
「うぉぉぉ―――ッ」
ドラゴンの体勢が崩れたその瞬間、オレは力を振り絞りドラゴンめがけてソードを振り下ろす。
「……分かってはいたさ」
しかしながら、オレの攻撃がドラゴンに致命傷を与えることは叶わなかった。
どんなに力を籠めようと、ドラゴンの鱗を貫く攻撃を今のオレが放てるわけもない。
それでも、オレは何度も何度もソードを振り上げる。
いくら弾かれようと、いくら全身が悲鳴を上げようとそんな些細なことは関係ない。今のオレにはこれだけしか出来ないのだから。
ヒトとドラゴンという生物としての圧倒的性能差がここにきて顕著に表れてしまった。ドラゴンはオレを殺すことが出来るが逆は今のオレでは不可能に近い。
「――くッ」
ドラゴンの顔が歪んだように見えた。
オレは後ろに下がろうとするが身体が言う事を聞かない。
ドラゴンはゆっくりとオレの方へと身体を向けると真っ赤に染まった口を開き、未だその鋭さを保ち続ける牙でオレを貫こうとする。
脚にはもう力が入らないため、回避することも出来ない。
まさに万事休す。
迫りくる牙がまるで静止画のようにオレの瞳に映る。
『――アレン』
今まさにオレの心臓をドラゴンの牙が貫こうとした瞬間、誰かがオレの名前を呼ぶ声が聞こえた。それはオレが一人でドラゴンに立ち向かった理由であり、オレにとってかけがえのない者たちの声だった。
「こんなところで死んでたまるか―――ッ」
オレは最後の力を振り絞ると、身体を動かし少しだけ突き刺さった牙から逃れる。
ドラゴンの口が完全に閉じられた瞬間、オレのソードが宙に舞った。
「右腕はくれてやる」
オレの胴体から切り離された右腕付きのソードがゆっくりとオレの元へと落ちてくる。
「その代わりお前は命を置いていけ」
オレは落ちて来たソードを左手で逆手につかみ取ると、勢いそのまま目の前にあるドラゴンの瞳に向けて深く突き立てる。
『ギャャャーーー』
瞳から大量の血が噴き出し、苦痛の叫びをあげるドラゴン。痛みから逃れるためにその身体を暴れさせるが、オレは深く刺さったソードから左手を絶対に離さない。もっと、もっと深くソードを差し込むため、さらに力を籠める。
オレの事を振り払おうとドラゴンが身体をよじる度にオレの身体は宙を舞い、幾度となく地面に身体を叩きつけられる。それでも、オレはソードを徐々にドラゴンの奥深くへと押し進めていく。
ドラゴンの動きが徐々に弱々しくなる。
そして、ついにドラゴンの身体が地面の上に力なく倒れた。
もはや虫の息のオレとドラゴン。もはやどちらも動くことが出来るような状態ではなかった。
しかしながら、オレにはやらねばならぬ事がある。
「死んでいったみんなにも聞こえるように無様に鳴き叫べ!」
オレは『魔法の鞄』から剥ぎ取り用のナイフを取り出すと、死ぬことに対する恐怖が浮かぶドラゴンのもう一方の瞳に向け、全体重をかけて突き立てる。
『―――』
言葉にならないドラゴンの叫び声が周囲に響き渡り、その叫びを最後にドラゴンは動かなくなった。
静寂が周囲を支配する。
オレはゆっくりとナイフを引き抜くと、全身で息をしながらオレの目の前に横たわるドラゴンを見下ろす。
「うぉぉぉ―――ッ」
それはドラゴンと戦いで生き延びたことに対する歓喜の雄叫びではなかった。
「……ごめんな」
それは守ると決めたみんなを救えなかったこと、みんなの犠牲の上に生き延びてしまったこと、せめてもの償いとして敵を討ったことに対する魂の叫びであった。
薄れゆく意識の中、ルナリア、リーフィア、フレイヤ、そして生き延びた少数の奴隷兵士たちがオレの方へと駆けてくるのが見えた。遠くの方では大勢の者がこちらへと向かって来ているような音もする。
――みんな聞こえたか?
目の前が白くなり、死んでいったみんなの顔が浮かんでくる。
オレにはみんなの顔が微笑んでいるように見えた。
読んでいただき、ありがとうございました。