34: 第二次ドラゴン討伐(7)
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何かを教授する――その行為には必ずや従属関係が付随するものである。
経験や知識を有している者が教えを施す対象者よりも立場的に上になる。教えを受け取る者はその内容について少しの疑念を抱くこともなく、ありがたそうにそれを受け取らなければならない。そうしなければ相手の機嫌を損ねてしまうから。
しかしながら、本当に教授された内容がすべて正しいのだろうか? 心を殺しながら相手が悦に浸っている言葉を聞く価値はあるのだろうか?
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オレとフレイヤは返答を待たずに歩き出した兵士にすぐに追いついた。
ただ、追いついたからと言って、兵士がオレたちに何か話しかけることもなく、出来るだけフレイヤに関わろうとしない様にしている印象だ。まあ、先ほどのやり取りでかなりフレイヤの事を恐れているのであろう。可哀そうに、ここにフレイヤの圧倒的な力の被害者が一人誕生してしまったか。まあ、兵士の態度を考えると全く同情の余地もないので、素直に反省して欲しい。貴族に反省するという能力が備わっているのかは疑問ではあるが。
「それで、私たちはどこに向かっているのだ?
教えてくれてもそちらに損はないと思うのだが。それとも事前に教えてしまっては損が出てしまう様な所なのか?」
フレイヤの言葉に兵士の手が一瞬だけソードへと動いたが途中で止まる。
「……お前たちが知る必要はない。黙ってついて来い」
「それは先ほども聞いた。もしかしてそれしかものが言えんのか?」
「……」
――いやいやいや、フレイヤさん、そんなに相手を煽らないでくださいよ。見てよ! 怒りで手がプルプルしちゃっているじゃん。これ以上刺激しても良いことなんてないのだから、もっと穏便に行こうよ。いや、分かるよ。確かに兵士の態度はあまりにもアレだけど、そんなこと今までも経験している訳なんだから、貴族何てこんな奴らなんだって我慢しておこうよ。
オレは心の中ではかなり意見していたが、二人の様子をハラハラした気持ちでただ見守ることしかできなかった。
「なぜ無視をする? 態度の次は耳も悪くなったのか?」
――もう、フレイアや止めてあげて! 絶対に面倒なことになるから。
「……黙れ」
兵士は声を震わせながら呟く。それは決して恐怖で震えていた訳では無いという事は彼の固く握りしめられた拳から明白であった。
「おい、フレイヤもうその辺で辞めておけよ。これ以上はさすがに面倒事に繋がるぞ」
「そのことなら安心しろ。貴族に呼ばれた時点で面倒事だと確定しているからな」
「……全然安心できないのだが」
結局、それ以降オレたちは兵士に話しかけることなく、ただ後ろを追いかけ歩いた。暗闇が広がる中、気まずい沈黙の時間が流れる。
「――ここだ」
どれくらい歩いたであろう。冒険者たちが多く野営している場所から少し離れた場所――多くの大きくて派手なテントが設営されている区域の中で最も豪華なテントの前で兵士は足を止める。
「失礼いたします! 例の者を連れてきました」
「入れ」
兵士は先ほどまでの不遜な態度から打って変わり、テントの前で背筋を伸ばして礼儀を正す。
兵士の声に中から男の声が応えた。
オレはその声に全く心当たりがなかったのだが、フレイヤはどうやら違うみたいだ。ここに来たことを少し後悔しているのか、小さくため息を吐いた。
オレたちは兵士に促されテントの中へと入る。兵士の横を通る時、フレイヤをかなり怒りの困った視線で兵士が睨みつけていたが、当のフレイヤはそんな事なんて全く気にしている様子もなく、その様子がより一層兵士を刺激していた。しかしながら、兵士もここで騒ぎを起こす程理性を失ってはいなかったのだろう、何も言葉を発することなくフレイヤを見送った。そして、フレイヤへの恨みをオレへも向けてきており、滅茶苦茶こちらに殺意の籠った視線を向けてきている。
……オレは何もしてないじゃん。
フレイヤのしたことを全てオレのせいにするのはやめて欲しい。オレの方がフレイヤよりも弱そうだからって標的を変えないでくれよ。
オレは兵士の視線から逃れるように足早にフレイヤの後に続く。
テントの中は華美に装飾されており、その第一印象は「趣味が悪い」という言葉に尽きる。
テントの内部の様子に不快さを感じていたオレに、これまた不快感を抱かせる声が聞こえてくる。
「――遅いぞ、平民ごときが私を待たせるな」
オレがその声の主の方へと視線を向けると、そこには豪華な椅子に偉そうにふんぞり返っている一人の貴族がいた。
「やはりあなたでしたか。
ボルゴラム元帥、今宵は何用で?」
慣れない場に少し緊張していると違ってフレイヤは自然体のままであった。フレイヤは何にも臆することなくオレをここに呼びつけたであろう貴族の名前を呼ぶ。
ボルゴラム――その名前をオレは知っている。今回のドラゴン討伐の総指揮を任せられている王国軍の元帥。以前の討伐作戦において自身の功を欲し、その結果多数の被害をもたらした無能でありながら、そのことを反省することなくのうのうと生きている腐れ外道。自らを神の生まれ変わりだとでも思っているのかと正気を疑ってしまうほどの面の皮の厚さは、スレイブ王国の貴族であるということをまさに体現していた。
「……貴様はフォーキュリー家の小娘か。
呼んでもいないのに来るとはさすが下賤の血が流れる家の者と言うべきか」
ボルゴラムはフレイヤに侮蔑した視線を向ける。
「ああ、別に呼ばれてはいませんが、私の仲間に用があるとのことだったので心配でついてきた次第ですよ」
「なるほど、どうやら平民にはお守が必要らしい。
頭のできが我ら貴族とは違うという事は分かってはいたが、まさかここまでとはな。本当に嘆かわしいことだ」
「……それはどうもすみません」
「誰が口を開くことを許可した? 貴様ごとき平民が私の顔を拝むことすら不遜なことであるのだぞ。
自身の立場すらも理解できないとは、貴様はモンスター以下か?」
「……」
――えっ、何コイツ? 滅茶苦茶殴りたいんだけど。オレのことをここに呼んだのはお前だろ? お前がオレに用があるんだろ? それなのに酷い言われようだ。こいつが王国軍の元帥であるとかどうでも良い。こいつの不快感を抱かせるご尊顔に渾身の一発を叩き込み、少しでもマシな顔に変形させてやりたい。
「ボルゴラム元帥、彼を呼んだのはあなただろう。今のはあまりにも横暴すぎる言い草だと思うのですが?」
「――黙れ小娘。貴族が平民に立場の違いを教えてやって何が悪い」
「……」
「その平民がここまで無礼なのはフォーキュリー家のせいではないのか?
紛いなりにも貴族である貴様らがしっかりと教育しないから下賤な者がつけあがる。私は今、フォーキュリー家の不手際を補ってやっているのだ。感謝されることはあれど注意されることは何もない」
ボルゴラムは全く悪びれた様子もなく、それがさもこの世界の理であるかのような口ぶりだった。
「……それで、私の仲間に何の用があるのですか?
私たちも何かと忙しいので手短にお願いしたいのですが」
これ以上会話してもどうにもならないと判断したフレイヤは、ボルゴラムに対して呆れた表情を浮かべながら、早くこの不快な空気が充満している空間から退出すべく話題を元に戻す。
「なに、部下から報告が上がってきていてな。何でも、ヒト族ならざるゴミどもに勝手にエサを与えている不届き者がいるのだとか。そのことについて報告にあった特徴と一致しているそこの平民に問いただそうと考えていたのだが、その反応を見るに間違いなかったらしい。まあ、フォーキュリー家の知り合いであればそのような愚行に及んだことも頷けるが――」
ボルゴラムがオレを睨みつける。
「――分を弁えろよ。平民ごときが貴族の行いに干渉するな」
「……」
「平民、それも冒険者などという野蛮な職に就いている貴様には理解できんかもしれんが、王国軍には王国軍の秩序がある。その秩序を乱す行為を見逃すことは出来ん」
「……」
ボルゴラムのありがたいお言葉がオレの耳を汚していく。
「落ちこぼれであるフォーキュリー家の仲間であるらしいから、今回だけは目を瞑ってやるが次は無いぞ」
「……うるせえな」
――何時ぶりだろうか? こんな感情になるなんて。
怒りを通り越して完全な無の状態。冷静さを欠いてはいない。ここでこんな言葉を口に出しても良い事なんて一つもない。そんな事は分かっている。分かってはいるが、それでも口に出てくるのだから仕方がない。
「……何か言ったか?」
ボルゴラムが眉を顰める。平民であるオレと言葉を交わすことにかなりの不快感を抱いているようだが関係ない。
「――うるせえって言ってんだよこの腐れ貴族が!」
外では王国軍や冒険者たちが酒盛りをしているのだろう。楽しそうな笑い声が聞こえてきていた。
そんな中、野営地の中心でオレの魂の叫びが響き渡る。
オレたちの未来が決して明るくないという事が決定した瞬間であった。
読んでいただき、ありがとうございました。