30: 第二次ドラゴン討伐(3)
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他者からの厚意を素直に受け取る。これほど簡単なようでとても難しいことは無いだろう。子どもの頃であれば喜んでいたことも、汚くすさんだ大人になるにつれ、その厚意の裏に何かあるのではと勘ぐってしまい警戒する。
これは自分の身を守るための成長なのだろうか、それとも素直な心を失ってしまっただけの退化なのだろうか。
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「――そろそろ本題に戻らないか?」
突然現れた貴族三人たちを追い返し、その逃げていく背中に満足げな表情で視線を送り続けているルナリア、リーフィア、フレイヤを、オレたちがここにいる本来の目的を思い出させる。
「分かっているわよ。でも、さんざん馬鹿にされたんだからこれぐらい良いでしょ?」
「彼らに実害を及ぼしていない事を考えるとこれぐらい何てことないですよ。
ああ、私の『ファイア』がせっかく火を噴く所だったのに、なんて根性がないのでしょう。これだから口だけ貴族は嫌なんですよ」
「いやいや、火を噴いちゃダメだろ。そんな事してしまえば確実にお尋ね者だぞ」
リーフィアのあまりに過激な発言に思わず指摘してしまった。
「そんなに慌てなくても大丈夫ですよ。冗談ですから」
リーフィアがオレの反応を見てクスクスと笑う。
しかしながら、オレは気付いていた。リーフィアの瞳が冗談ではなく本気であるという事を語っていることを。
「おい、フレイヤからも何とか言ってくれよ」
オレ一人ではもう対処できないと考え、フレイヤの方へと助けを求める。フレイヤはオレの意図を察したのか笑顔で頷いた。
「アレン安心しろ。あの者どもらが言っていた通りここは外だ。最悪殺してもどうとでもなる」
「……」
「あの者たちの事はむかしから知っているからな。もうあのクソみたいな性格が直ることは無いだろう。それならばいっそのこと大地の養分として有効活用した方がマシだと思うのだが、アレンはどう思う?」
――いや、『どう思う?』じゃないよ! そんな物騒なことを口の端を少し上げながらオレに意見を求めないで欲しい。
「……とりあえずそれは無しだろ」
「む、そうか、アレンがそう言うのであれば一旦は止めておこう」
忘れていた。フレイヤがオレたちのパーティーの元祖『手が早い』人物だという事を。そもそも最近も王国軍所属の貴族相手に暴れて、ゴルギアスから謹慎を命じられていたというのに、全くその反省の色が見られない。まあ、反省してしおらしくなったフレイヤの姿など想像することも出来ないし、前回も今回も相手が完全に悪いことをしており、それを解決しようと動いた結果なので別にフレイヤは悪くはないと思う。ただ、少しやりすぎなだけだ。
「フレイヤの知り合いらしいけど、アイツらはどんな奴なの? まあ、クズって言う事は理解できたけど、それなりの爵位を持った貴族の一員ならアレンの言うように面倒なことになるかも」
「ああ、その辺は心配しなくても良い。絡まれた時点で面倒なことになるのは決定しているからな。爵位はフォーキュリー家よりも上だが、そこまで高いと言う訳でもない。ただプライドだけは王国内でも指折りだと思うぞ」
「……いや、めちゃくちゃ心配になるんだけど。
そうなる事が分かっていたならルナリアたちに加担しないで冷静でいてくれよ」
今後、アイツらに絡まれるのは決定したと言っても良いだろう。願わくは、大事に発展しないで欲しい。
「……とにかく、邪魔な奴らもどこかに行ったことだし、彼らに小くじを提供するのに戻ろう」
そう言って、しばらくの間置き去りにされていた奴隷兵士たちの方へと視線を向ける。
『――っ!?』
オレたちに視線を向けられた奴隷兵士たちはすごい勢いで視線を下に向けた。彼らが何か食べることを良しとしない連中もいなくなったというのに、目の前に用意された料理にも手を伸ばすのを止めている。彼らの額には冷や汗が光っており、最初よりも明らかに関係が悪化してしまっている。
「おい、オレたちはアイツらとは違うからそんなに警戒しないでくれよ。さすがにそこまでの反応をされると傷つくぞ」
『……』
オレの言葉に帰ってきたのは沈黙のみ。
さすがの状況にどう対処したものかと悩んでいると、奴隷兵士の中で最も高齢そうな獣人が恐る恐る口を開いた。
「……あなた達が冒険者だって言う事は理解している。それに、なぜか他のヒト族のように私たちを迫害しないことも」
彼はおそらくトラ族であろう。彼が喋ると二本の鋭い牙が口の中から姿を現す。ただ一般的なトラ族ではない様で、その身体を覆う毛は白であった。今はその白い毛をすっかり汚れで茶色く染まっており、艶も全くない。
「それなら何でだ? もう腹が一杯だということは無いだろう?
オレたちのことを心配してくれているなら大丈夫だぞ。見ての通りまだまだ食料はあるからな」
そう言って『魔法の鞄』から残りの料理を取り出し、彼らの眼の前に並べる。
しかしながら。彼らは喉を鳴らすだけで実際に料理へと手を伸ばすことは無かった。
「……あなたたち三人はそうだろう。
ただ、その後ろの女性は貴族なのだろう?」
トラ族の彼はフレイヤの方へと一瞬だけ視線を送る。
なるほどそう言う事か。先ほどの貴族兵士たちとのやり取りで、フレイヤも貴族であるという事を理解し、警戒しているのか。何か少しでも粗相を犯したら酷い仕打ちを受けるのではないかと。フレイヤが連中に向けた最後の言葉と圧により、フレイヤがただものではないという事は明らかであり、それが自分たちにも向けられるのではないかと。
「確かに彼女は貴族家の女性だが、さっきのやり取りであんた達を迫害している他の馬鹿貴族とは違うという事は理解できただろう?
大丈夫、フレイヤはあんた達に危害を加えたりしないよ」
オレがフレイヤを庇うように彼らに語り掛ける。
「……分かっている。そこの女性が他の貴族やヒト族とは違うことも理解している。
ただ、頭で理解できていても身体がそのことを拒絶している。また痛い目に合うのではないかと。信じたら裏切られてしまうのではないかと」
トラ族の言葉は奴隷兵士たち皆の総意の様だ。トラ族の後ろで怯えている彼らの瞳がそのことを強烈に訴えかけていた。
――本当に信じて良いのか、と。
――本当にそのようなヒト族、それも貴族がいるのか、と。
不安や戸惑いなど、心の中に渦巻く様々な感情がオレたちに向けられていた。
「……どうやら私はここにいない方が彼らにとっては良いらしいな。
私は向こうの方へ行くので後は頼む」
奴隷兵士たちの感情をくみ取ったフレイヤがここから離れるために振り返る。その声はいつも通りではあったが、彼女が振り返る途中に見えたその横顔には少しの悲しみが浮かんでいた。
「――ちょっとどこ行こうって言うの!
フレイヤがそんな気を遣う必要はないわよ」
奴隷兵士たちから遠ざかろうとするフレイヤに、ルナリアが待ったをかける。
「……しかし、私がいることで彼らの食事が進まないのであれば私は近くにいない方が良いだろう?
なに、大丈夫だ。別にこうなることに対して彼らを憎んだりはしないさ。彼らがそう考える程の事を貴族はしてきたのだからな」
「貴族が彼らにした扱いはフレイヤには関係ないでしょ!
悪いのは彼らを迫害している馬鹿貴族であってフレイヤじゃない」
諦めた様子のフレイヤに対して、ルナリアはお怒りの様だ。
ルナリアは怯える奴隷兵士たちを仁王立ちで睨みつける。
「あんた達もフレイヤがあんな貴族どもとは違う事を分かっているんでしょ!
それなのになぜ拒絶するのよ。あんた達が貴族に何をされたかなんて実際に見ていない私でも分かる。そのせいで貴族に対して恐怖を感じるのも理解できる」
拳を強く握りしめながら叫ぶルナリアは一度言葉を止めると、大きく空気を吸い込んだ。
「それでも、あなた達に対して善意を向けてくれるヒト族までも拒絶していたら、本当にあなた達は独りになってしまうわよ!」
『……』
「別に全てを受け入れろなんてことは言ってない。全面的に信用しろなんて強要しない。でも、少しぐらいあなた達を気にかけてくれるヒト族に対して感謝の気持ちぐらいは持ちなさいよ!」
全ての言葉を吐き出したルナリアは肩を上下に大きく動かしながら、乱れた息を整える。
静かな時間が流れていた。
そよ風が優しくオレたちの頬を撫でる。聞こえてくるのは爽やかなそよ風に吹かれた草の音と、ルナリアの息遣いのみ。
「……私たちが間違っていた」
トラ族の男がゆっくりと立ち上がる。その表情には未だに恐怖や不安の色は消えていない。しかしながら、先ほどまでとは確実に違っており、フレイヤに対する視線が少しだけ柔らかくなっている。
「あなたの事を拒絶して申し訳ない」
トラ族はフレイヤに向けてやせ細った身体を精一杯曲げて頭を下げる。
「そして、本当にありがとう」
顔を上げたトラ族の目から温かな涙が溢れ出し、頬を伝って地面へと零れ落ちる。
「当たり前の事をしただけだ」
そんなトラ族に対して、フレイヤは慈愛に満ちた表情で微笑みかけた。
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