27: 冒険者動員へ
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誰の下で生きるのか。それが身分の低い者にとって何よりも重要なことだろう。
上の者が人徳者であれば何と幸福なことか。しかしながら、悲しいことに上に立つ者というのはそのほとんどがそうではない。地位が上がるにつれ穢れていくのか、それとも元々穢れているから上に行くことが出来るのか。
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――王国軍が敗れた。
その知らせは即座に王都中に広まった。
王国軍が敗走することなど考えてもいなかった民にとって、その知らせはまさしく絶望であった。
――王国軍が再び平安を取り戻してくれると信じていたのに。
――これは夢に違いない。そうでなければ王国軍が負けるはずがない。
――今までの横暴を許していたのは王都の危機を救ってくれると思っていたからなのに、どう責任を取るんだ。
希望を失って泣き崩れる者、王国軍の敗戦を信じようとしない者、王国軍に受けた理不尽なふるまいに対して抗議する者など、王都に住む人々の反応はさまざまであり、中には行き過ぎた行為をはたらく者まで現れ、警備兵に捕まり牢へと送られてしまった。
そんな混沌とした状況の中、この騒ぎを作り出した原因である王国軍は、今回の討伐に参加していた兵の約半数を失ってしまうという壊滅的な被害を受けている。王国軍に所属する兵士全てが参加していたと言う訳ではないが、それでも王国としては無視できない数なのは確かである。
しかしながら、命からがら生き延びた王国軍貴族たちや王国上層部はさほど事態を危険視していなかった。むしろ、その損害を喜んでさえいる。なぜなら、今回の件で命を落とした兵士の多くは、ヒト族以外の種族で構成された所謂「捨て駒」の部隊がほとんどであり、ヒト族に関しても平民の兵士しか犠牲になっていないからであった。
この世界から消えてしまった命はもう二度と同じものを復元することが出来ない。しかしながら、王国の上層部では新たに確保すればよいという楽観的な考えが蔓延しており、それにより奴隷商の懐を温かくする結果となっていた。
奴隷商も急激な他種族奴隷の需要上昇に応えるべく、例え非合法なやり方であったとしても奴隷を集めることができるのであれば良いと、警備兵と結託して不正に手を染めていた。
その結果、王都は他種族にとってはさらに安心できない場所へとなってしまった。
「――それではドラゴンが出現したというのは誠であったか」
「はい、決して見間違いではございません。あれはまごうことなきドラゴンでした」
王宮に集まった数多くの貴族たちの中央でボルゴラムは恭しく首を垂れる。普段はかなり綺麗に手入れされている髪の毛も今は少しばかり乱れており、全体的に疲れた様子がうかがえる。
「貴公をそこまで追い詰めるとは、ドラゴンの討伐について再度検討しなくてはならんな」
ボルゴラムの報告を受け、王座に深々と腰かけたゴルバストは神妙の面持ちで呟く。その表情には少しだけボルゴラムに対する非難の色が見られた。
「恐れながら申し上げます。
今回の討伐の失敗の件につきまして、最大の原因は私の命令も聞かずに下級兵士どもが勝手に暴走してしまった事にあります。我々貴族のような高い知能を有していない奴らのせいで奇しくも敗走しなければなりませんでした。しかしながら、今回の件でそのような奴らを一掃することが出来ましたので、次はしっかりと統率の取れた軍で臨むことが出来ます」
ゴルバストの表情から自身の地位の安寧を不安に思ったボルゴラムは、どうにか信用を回復しようと捲し立てる。
「それについては僥倖ではあるが、単純に捨て駒が減ってしまったのは不便ではないか? 今回は役に立たなかったが、捨て駒にも捨て駒の使いようというものがあるからの。今度こそ立派にその使命を果たさせるために補充しなくてはならんぞ。さほど時間をかけることが出来ないが問題ないか?」
「そのことについては心配いりません。すでに奴隷商の協力の下、着実に兵士の数が戻りつつあります」
ボルゴラムの言葉に満足げにうなずくゴルバストであったが、周囲に控えている貴族達は違った。
表面上はボルゴラムが無事に帰還したことを喜んでいる表情をしていたが、心の中ではボルゴラムの失態を嘲笑っていた。
元帥というかなり高位な役職に就いているボルゴラムには、彼の活躍を喜ばない者がそれなりにおり、今もどうにかしてその地位を我が物にできないか虎視眈々と狙っていた。
そんな彼らにとっては、今回のボルゴラムの敗走はさぞや面白い出来事であったことだろう。
――クソッ、こんなことで私の今までの栄光が崩れるわけがないであろう。それなのに、私の地位を脅かそうなどと小癪な事を考えおって。もっとまともに自らの地位を上げようとは思わんのか。
自身を心の底では嘲笑し、何とかその地位を奪い取ろうと考えている周囲の貴族達に対して、かなりの苛立ちを抱きながらも、このままでは本当に地位を剥奪される未来が待ち受けている可能性もゼロではないということを自覚していた。
名声を築くのには年月と実績に加え、貴族としてのそれなりの位が求められるが、名声を失うのは一瞬だ。少しでも見放されてしまうと、すぐさま硬く固められた土台は崩れ去り、地の底へと落ちてしまう。
「貴族の誇り」を最も大切に生きてきたボルゴラムにとって、その状況は決して認めることは出来なかった。
「金と不正で手に入れた地位だ」といくら謗られようとも気にしないが、今の地位を失い廃れてしまうということは容認できない。
「――それでボルゴラム卿、ドラゴンを討伐する何か良策は思い付かんか? このままでは平民どもがウジャウジャと煩わしいからのお」
周囲の貴族達に向いていたボルゴラムの意識を宰相マルクリウスの言葉が引き戻す。
ボルゴラムにはマルクリウスの瞳に彼に対する落胆や嘲りの色は見えず、感情を失ってしまったかのような無機質な視線だけが向けられている。
――相変わらず何を考えているか読めん男だ。
ボルゴラムにとってそのようなマルクリウスの感情を読み取れない不気味な態度の方が、周囲の貴族の露骨な態度よりも恐ろしかった。
「はっ、今回のことでドラゴンの強さを正確に把握することが出来ました。私が指揮する王国軍であれば、確実に勝利をもたらすことが出来ましょう。しかしながら、たかがモンスターと言えど、相手はドラゴン。こちらもそれなりの数が必要となります」
ボルゴラムは言葉を切ると、脇で控えていたゴルギアスの方へと視線を向けて、ニヤリと口角を上げた。
「そこで以前ゴルギアス殿が仰っていたように冒険者どもを招集致しましょう」
「……冒険者などという下賎な者どもに協力を依頼しろと?」
ボルゴラムの言葉を受けてゴルバストの眉が歪み、語気にも怒りの色が乗る。
「断じて協力ではございません。我らがあの無能どもを利用するのです。
我らと比べればかなり劣りますが、冒険者の中にも多少は腕の立つ者がいるとのこと。これを機に使ってやるのも貴族の務めかと」
「ふぅむ、確かに貴公の言うとおりかもしれん」
ゴルバストは暫く考え込むと、徐に玉座から立ち上がるとことの成り行きを見守っていたゴルギアスへと視線を向ける。
「フォーキュリー家当主ゴルギアスよ、そなたには冒険者どもが今回の作戦に参加するように促すことを命じる。
あやつらは欲望に忠実だと聞く。少しばかり多めに報酬を伝えてやれば、簡単についてくるであろう。実際に言い値の報酬を渡す必要もない」
「……さすがにそれでは冒険者たちにも不満が広まってしまうかと思われますが?」
その場で膝をつき頭を垂れたゴルギアスの力のない抗議が王宮内に霧散する。
「王国の一大事なのだから、参加して当然であり、むしろ報酬が出ることに感謝せよと言っておけば良い。
話は以上だ。これは命令である。違うことは許さね!」
「……御意」
こうして冒険者たちは以前とうって変わって、ドラゴン退治へと駆り出されることとなった。
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