26: 当然の結果
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未来予知――そんな魔法があれば皆がこぞって習得を志すだろう。未来が見えるということにはそれほどの魅力がある。
未来を見ることが出来れば、自身に襲い掛かる不幸にもうまく対処することが出来るだろうし、目の前に転がる好機を逃すことなくつかみ取ることも出来るだろう。
ただ、そんな魔法がなくてもある程度未来を予測することは出来る。『経験』――過去を顧み、その当時の状況と今の状況を照らし合わせることにより、今後の進展を計算する。それが出来るかどうかが大人と子供の違いだろうか。
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新たにルガルドがフレイヤの屋敷の居候となって数日後、王国軍がついにドラゴン討伐へと向けて進行を始めたことが告げられた。準備に手間取ったのか、「やっとか」という思いは否めないが、民たちはその知らせを聞いて歓喜した。
――ついに不安から解放される、と。
絶大なる信頼を寄せられた王国軍は意気揚々とドラゴンに向けて進軍する。その中にはオレたち冒険者の姿はもちろんなかった。
「――それにしてもドラゴンか。
文献などでは目にしたことはあるが実際にこの目で見ることになるとは」
星々が怪しく光り輝く夜。
夜空に浮かぶ光をかき消すように、数多くの松明が大地を照らしていた。
「ボルゴラム様、それもフォーキュリー家の小娘が戯れているだけかもしれませんぞ。下賤な者にもその慈悲をお恵み下さるのはボルゴラム様の美徳ですが、あまり耳を貸し過ぎるのもいかがなものかと」
「分かっておる。
私も本当にドラゴンなどがおるとは思っておらん」
ここは王都から少し離れた場所に設置された王国軍の野営地。兵士たちがひんやりとした大地の上で朝を待っている中、野営地には似つかない大きさのテントが一つ設けられていた。その中には今回の討伐を任された王国軍元帥ボルゴラムが、ゆったりとワインに舌鼓を打っており、その姿を見てこれからドラゴンの討伐に臨むなどとは誰も思わないだろう。それだけこのテントの中だけは緊張感の欠片もない別世界であった。
部下であるベリンク卿に窘められ、少しだけ顔を不快そうにゆがめたボルゴラムはグラスに残っていたワインを一気に煽ると、テントの隅に控えていた執事へとグラスを突き出した。
「ボルゴラム様はもうお聞きになられましたか? 王都内で我が王国軍の貴族が何者かに危害を加えられたことを」
「何? そのような不届き者が現れたのか?」
「貴族に歯向かおうなどと考えるとは、やはり平民は野蛮ですね。
そのような者どもと同じ種族であるとは悲しいものです」
「それで、その不届き者は捕らえたのか?」
「いえ、それがまだでして。
そ奴が女の冒険者であるという事は分かっているのですが」
「女ごときに後れを取るとは、その貴族どもも何をしているのやら」
「ええ全くその通りですね。
女ごとき何かに縋ることしかできないのですから、私たちのような力のある者が教育してあげなければ」
ベリンクの顔が嗜虐的に満ちた笑顔でゆがむ。ベリンクがメイドや奴隷を使って言葉に出来ない程の事をしているという事は、彼を知る貴族の中では有名であった。
「お主も好き者よの。
下賤な者に触れるのも虫唾が走るというのに」
「いえいえ、一生懸命許しを請う姿がなかなか熱くさせるものですよ。
そんな奴らの希望を打ち砕いたとき、最高の高まりを感じることが出来るのです」
どこか悦に浸ったベリンクが、過去の痛めつけたメイドの事を思い出してその股間を熱くさせる。そんなベリンクの姿を見て、ボルゴラムは溜息を吐きながらも、ベリンクを現実世界へと戻すことを試みる。
「ベリンクよ妄想はその辺にしておけ。
一応ここは戦場だ」
「おっと、これは申し訳ございません。以前仕込んだ女があまりにも良い声で鳴くものですから、一瞬我を忘れてしまいました」
元の世界へと静観したベリンクは赤く染まった顔を冷ますために、冷えたワインに手を伸ばす。
「このつまらない任務が終われば私は称賛され、更なる権力を得ることが出来るであろう。そうすれば、この王国で私に歯向かう者もおるまい」
「裏で僻む者は出てくるでしょうが、表立ってはまずいなくなるはずです」
「ふふ、今まで我慢してきたことも全てが私の思い通りだ。
そう考えればこの退屈な任務にも多少の意味が出てくというもの。ドラゴンなどすぐに討伐して早く王都に戻らねば」
「他の者への根回しは私目にお任せください。
ボルゴラム様に影で反抗的な態度を示している者については粗方調べがついておりますので、これを機に敵か味方かをはっきりとさせましょう」
「やはりお主はその手の事については有能だな」
ベリンクにとって、この手の裏工作はお手の物であった。誘拐、強請り、殺人、詐欺など、彼は数多の反浅井に手を染めており、まさしく王都の闇を象徴するような人物だ。敵対する貴族の屋敷や領に彼のスパイを潜り込ませて弱みをつかむ。手に入れた弱みを目の前にチラつかせながら交渉という名の脅迫を行い、自身の思い通りにその貴族を裏から操る。もしそれでも言う事を聞かなければ、ためらうことなく事故死に見せかけて亡き者にする。
「やはり手始めにはフォーキュリー家でしょうか。
あの家は下級貴族のクセになかなか守備が固く、未だに影の者を潜り込ませることが出来ずにいるのですが」
「ふん、あのような口だけの弱小貴族など捨てておけ。
どうせ、現状でも私に歯向かう事すらできんのだからな」
ベリンクはボルゴラムのその言葉に相槌を打ちながらも、未だに警戒心に満ちた瞳で空になったグラスを見つめていた。
「――それにしても先に行かせた斥候はまだ戻らんのか?
向かわせてからかなり経つと思うのだが」
「そうですね、そろそろ戻ってきていてもおかしくはない頃なのですが。
もしかしたらどこかでさぼっているか、若しくは恐怖で逃げたのかもしれませんね。まあ、向かわせたのはヒト族ではありませんでしたから、しょうがないのかもしれませんが」
「よもやその様な些事もこなすことが出来ないとは。
やはり、ヒト族以外はこの世界に不要であるという事か」
「あとは捨て駒として活用できることに期待しましょう」
ドラゴンの把握もために斥候を向かわせてしばらくが経っていた。
陽が沈む頃合いに森の中へと向かわせられたというのに、当たり前のように松明を持つことは許されず、暗く不気味な森の中を装備もなしで進まざるを得なかった。命令拒否で殺されないために、やせ細った身体をどうにか動かして対象の確認に向かう。それがドラゴンであるかもしれないが、もしかしたらそうではないかもしれない。斥候たちにとってドラゴンよりも、彼らの上官であるヒト族の方が恐ろしかった。
「――し、失礼いたします。ボルゴラム元帥はおられますか!」
ボルゴラムとベリンクがまったりとした時間を堪能していた時、急にその静寂が破られる。二人は何事かと思い、テントの出入り口へと視線を向けると、そこには血相を変えた兵士が一人転がり込んできていた。
「貴様、ここをボルゴラム様のテントと知っての狼藉か?」
ベリンクはボルゴラムを背に隠しながら、腰に差してあったソードへと手を伸ばす。
「も、申し訳ございません。し、しかしながら緊急の様でしたのでご容赦ください」
兵士はすぐさまその場に膝をつくと、頭を地面へと押し付けて二人の前で平伏する。
ベリンクは目の前の兵士に対する沙汰を求めてボルゴラムへと視線を送る。
「よい、緊急の様とのことなので今回だけは許してやろう。
ただ、次は無いと思え」
「は!」
「それで何事だ?」
「は、対象がいると思われる森の方から只ならぬ気配を感じたという者がおりまして、新たに調査へと向かわせたのですが、その者が片腕を何かに喰われた状態で帰還したのです」
「何!? どのようなモンスターであるとその者は言っておったのだ?」
「そ、それが、出血多量で私どもの下に辿り着いたときにはもうすでに死にかけでして確かな情報を得ることが出来ず、ただ、『ドラゴンが……』とだけ言い残してそのまま息を引き取りました」
「そのような下賤な者の生死などどうでも良い!
それよりも確かにドラゴンと口に出したのだな?」
部下の死に対して何とも思わない様子でボルゴラムは目の前の兵士に詰め寄る。
「は、間違いなくドラゴンと言っておりました」
険し気な表情で詰め寄られた兵士は震えながらボルゴラムへと応える。ここで何か間違った返答をしてしまえば、一瞬で自身の首が物理的に飛んでしまうという事を兵士は明確に理解していた。
兵士の様子に嘘はないことを感じ取ったボルゴラムはほくそ笑んだ。
「ボルゴラム様、どうなさいますか?」
「ふっ、そんなこと決まっている。
ドラゴンとやらの汚い顔を拝みに行こうではないか」
「い、いけません。相手はドラゴンです。万全の準備をしてからの方が良いのではないでしょうか!?」
話を聞いていた兵士は慌てて顔を上げる。
しかしながら、彼が再びボルゴラムの顔を見ることは無かった。それよりも前に彼の頭は胴体から離れ、地面へと転がる。
ベリンクは血にぬれたソードを鞘へと戻す。
「松明を持て! 私の名声を高めに行くぞ!」
ボルゴラムは装備を整え、意気揚々とテントの外へと出る。
不安げな表情で森の方へと視線を向けていた兵士たちは、ボルゴラムの命令で森の奥へと進軍した。
――それから何分後だろうか。王国軍は壊滅的な被害を受けて瓦解した。
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