23: ルガルドの下へ
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何かを破壊して悦に浸る――自身の思い通りにならないことがあった時、理性の皮を被った獣は解放され、隠されていた野蛮な本性が姿を現す。
「俺はこんなにも怒っているのだ」「だから俺の言う事を聞け」そんな主張が透けて見える。そんな赤子じみた、いや、乳飲み子でさえそのような幼稚なことはしないだろう。そうなれば、彼らはさながら母親から産まれる以前の状態なのかもしれない。
そんな彼らに対して、オレたちはどうするべきなのだろうか。正常に成長することを温かく見守ってあげるべきなのか、それとも……。
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「――それにして顔を見るのは久しぶりね。
あの頑固おやじは元気にしているのかしら」
「アレンさんは色々とお世話になっていましたけど、ルナリアは面倒くさいって尋ねていませんでしたからね。
私は魔法士なので特にお世話になる理由もありませんし、魔法の修行で何かと忙しかったですから」
前を行くルナリアとリーフィアは、通りに並ぶ店の商品を手に取りながら彼女たちの御眼鏡に適うものを探している。
「この前会った時は元気にしていたよ。
まあ、愛想がないのは変わりないけどな」
手に取った髪飾りを実際に身に着け、感想を言い合っている二人。その後ろで、オレは荷物持ちとして大人しく控えている。今日の二人はいつもの服装の上に、地味目なマントを羽織っている。これは言うまでもなく、王国軍関係者に絡まれないようにするためだ。二人は例の件において顔を見られてはおらず、捜索対象とはなっていない。
しかしながら、何が起こるか分からないのがこの世の中。知らず知らずのうちに対象者として挙げられているかもしれない。そのことを懸念したのか、屋敷を出る際にイザベルさんとステラがその対策として手渡してくれた。
ステラはオレたちの見送りをしてくれたので、フレイヤとは行き違いになってしまったに違いない。喜び勇んでステラに会いに行ったフレイヤの悲しそうな表情が思い浮かぶ。
「ふーん、少しくらい愛敬を振りまけばお客も増えると思うのだけど」
ルナリアとルガルドは顔を合わせれば何かと口論をしている。それが決して本気の喧嘩ではないということは明白であり、オレとしては二人にもっと仲良くして欲しいのだが、二人の性格上それは難しいのだろう。二人は否定するだろうが、二人の性格はかなり似ていると思うのはオレだけではないだろう。似た者同士、何か感じるものがあるのかもしれない。
「――おい、この辺りで赤い髪をした女を見なかったか」
二人がご機嫌に商品を見比べていたとき、不意に粗雑な男の声が聞こえた。その声は明らかに偉そうで、人にものを聞く態度では決してない。
「い、いえ、特にそのような者は見た記憶がございません」
「それは本当か? 隠し立てすると許さんぞ!」
「そ、そんな、お、王国軍の方に隠し立てなんて滅相もございません」
「貴様怪しいな。
おい、この者を捕らえよ。拷問をして吐かせてやる」
「そ、そんな、本当です、何も知らないので許してください。私がいなくなればこの店の経営が難しくなるんです」
人混みのせいで、オレたちからは何が行われているかを視認することは出来ない。しかしながら、その会話から想定するにフレイヤを捜索する王国軍の兵士が、ある店の主を理不尽に捕えようとしているのだろう。
「ならば、この店が無くなればお前の憂いは無くなるという事だな」
嗜虐的な笑みを店主へと向ける王国軍兵士。その言葉の意味を店主が理解した時にはもう遅かった。
兵士の後ろに控えていた同僚たちが、同様の笑みを浮かべて店の中へと押し入り、次々に商品を破壊していく。
「お、おやめください! そのようなことをされてはもう商売が出来なくなってしまいます」
店主が兵士の足に縋りつく。
「貴様の事情など知らぬ。
貴様ら平民は俺たちのために生かされているのだから、俺たちの言葉に素直に従えば良いのだ」
「そんな横暴な。いくら王国軍だからと言って、そんな暴挙が許される道理はないでしょう」
店主は声を震わせながら、兵士の顔を睨みつける。
「貴様、俺に歯向かったな?
情報を隠蔽しようとした罪に加えて不敬罪も追加だ」
オレたちがその光景を視認することが出来るようになった時には、もうすでにそこに兵士たちと店主はいなかった。そこに残されていたのは主を失ってしまった建物だけ。店内を一瞥すると、並べられていた商品は全て原形を無くし、粉々になった残骸が冷たい床の上に散乱していた。
「……ここまでするとはな」
目の前の現状が、この王国では当たり前なのだ。身分の低いものは高いものによって好き勝手に弄ばれる。そのような国で暮らしているという事を理解しているが、何度見てもこの現状には慣れることが出来ない。いや、未だに慣れていない自身を誇るべきだろう。
当初、周囲の者たちはその表情に恐怖心を浮かべていたが、辺りが静まれば何もなかったように振る舞い始める。あたかもそれが平常であるかのような態度に身の毛がよだつのを感じた。
「……早くここから抜け出そう」
オレの心に浮かんだ恐怖から逃れるために、足早に歩き出した。行く手を阻む周囲の者たちと同じにならないために。オレ自身が信じるもののために。
オレたちは店が立ち並ぶ大通りを抜け、ルガルドの鍜治場がある王都の中心から離れた通りを歩く。多くの者がひしめき合っており、少しの距離を進むことさえ時間が掛ってしまった先ほどまでとは異なり、この辺りは何の障害もなく快適に歩くことができ、昼間だというのに辺りは閑散としている。
しかしながら、今はこの環境が心地よかった。
「……王都も住みにくくなったわね」
「スレイブ王国の中心地ですからね。王国内で最も王国の思想が反映されていると言っても過言ではないでしょう」
「それにしてもひどすぎじゃない? 確かに前からああいった事がなかったわけじゃないけど、ここ最近は目に余るものがあるわ」
「スレイブ王国で生活する以上、仕方がない事ですけどね。
他の国はどうなんでしょうか? 私はここから出たことがないのでほとんど知らないのですが」
ルナリアとリーフィアの愚痴を聞きながら、オレの頭に浮かんだのは他の国でステラと一緒に楽しく買い物をしている映像だった。それはここでは実現することは出来ないことだ。しかしながら、他の国ではそうではないのかもしれない。ここから抜け出すことが出来れば、オレの望む日常を送ることが出来るのかもしれない。
ただ、オレも他の国の事情に明るいと言う訳ではない。もしかしたら、ここよりも悪い環境である可能性もある。そう思うと、ますます一歩を踏み出すことの出来ない臆病な自分がいた。
オレの心の都合の悪さを隠す様に、ルガルドの鍜治場がある通りへと到着した。もう少し歩けばルガルドの鍜治場が見えてくるはずだ。
遠目で鍜治場がある場所を確認することが出来る距離までに近づいて来た時、鍜治場の前に男が一人佇んでいるのが見えた。
「ねえ、あれルガルドじゃない?」
「本当ですね。何をやっているのでしょうか?」
「あいつのことだからどうせ鍛冶の事でしょ? あいつ、腕前だけは本物だから」
「ふふ、ルナリアはルガルドさんの事を認めていますもんね」
「べ、別にそういうのじゃないし」
「照れなくても大丈夫ですよ。ルガルドさんの腕前が良いことは事実ですから」
リーフィアの言葉に居心地が悪くなったのか、ルナリアはこの話題から逃げるかのように足早に歩き出した。
「――ねえ、あんた外で何佇んでるのよ? こっちはあんたのせいで恥をかいた……」
憂さを晴らすかのようにルガルドの肩をつかみ、捲し立てようとしたルナリアであったが、最後まで言葉を続けることは出来なかった。
ルナリアに肩をつかまれてもルガルドは何も反応しなかった。ただ黙ったまま自身の鍜治場へと視線を送り続けている。その瞳には強い怒りと悲しみが浮かび上がっていた。
「……ルガルド、こ、これはどうしたんだ?」
いつもと異なるルガルドの姿。
この時、もっと気の利いた言葉を投げかけるべきだったのだろう。だが、目の前の現状に頭を上手く働かせることが出来なかった。
「……アレンか」
こちらへと視線を向けることなく、ルガルドが呟く。
ルガルドの視線の先には、何者かに破壊され荒れ果てた建物が静かにたたずんでいた。
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