13: 遭遇(1)
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身体に付いた汚れを落とすことは何て気持ちが良いのだろう。その汚れが酷ければ酷いほど気持ち良さも格別だ。
フレイヤの屋敷には当然のように風呂があるので毎日入ってはいるのだが、外で身体を清めるのも悪くない。他人の視線が気になるのが唯一の問題点ではあるが。
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「……今日も特に収穫なしか」
オレは目の前に蔓延る草木をかき分けながら、茂みの奥へと歩みを進める。
「何かしらの異変が起きているということは確かなんだけどね」
「なかなかその原因へとたどり着くことが出来ませんね」
オレが作り出した獣道の上をルナリアたちが続く。
オレたちがギルドで情報収集をしてからもうすでに十日ほど経過していたが、特に進展はない。いや、日に日にモンスターとの遭遇率が上昇しており、なおかつそれらのモンスターの多くが普段ではお目にかかることのない珍しいモンスターや凶暴なモンスターであることを考えると、最悪の方へと進んでいると言っても過言ではないだろう。それでも、「なぜそのようなことが起きているのか」という根本的な原因に対して、全くと言っていいほど何の情報も得ることが出来ていないのが現状だ。
あれ以来、ギルドにも毎日情報を求めて通ってはいるのだが、他の冒険者たちも特に収穫がなく、無駄足になってしまっている。
ただ、珍しいモンスターを大量に討伐しているおかげで、オレたちの財布は順調に潤い続けていた。
それは他の冒険者たちも同じようで、依頼終わりに豪勢な宴会を開いている者たちが多数いる。それなりに危険度は上がっているので、大怪我を負ってしまっている者も少なくは無いが、それは冒険者なので仕方がない。今後は穏やかな余生を送って欲しいものだ。
「私としては滅多に戦えないモンスターと遭遇できるので嬉しいのだがな」
……戦闘狂のフレイヤさんが何か仰っているようだ。
「初めての相手に向けて放つ魔法は格別です!」
……毒されてしまった被害者がここにいた。その満面の笑みから推測するに、もう手遅れの様だ。リーフィアをこの様にしてしまったフォーキュリー家の罪は重い。
「はいはい、リーフィアはその杖を置いて落ち着きなさい。
フレイヤもそんなに意気込んでいると、逆にモンスターも出てこなくなっちゃうわよ」
ルナリアが興奮している二人を宥める。
ルナリアの言葉に少しだけ落ち着いたリーフィアが恥ずかしそうに頬を染めながら『魔法の杖』を握っていた手の力を抜く。
「うーん、何かあとちょっとで掴めそうな段階にまで来ていると思うんだけどな」
残念ながら今日もこれと言った収穫のないままに陽が沈んできてしまった。
「今日も大きな怪我を負わなかったことに満足しましょうよ。そのおかげで明日も探索できるのだし」
「それもそうだな。焦ってもしょうがないか」
オレは進展がないことに少しばかり苛立ちと不安を抱きながらも、ルナリアの言葉に自らを納得させる。
「それじゃあ、あっちの川辺に行きませんか?
先ほど倒したモンスターの返り血が気持ち悪いので早く洗い流したいです」
リーフィアが水の流れる音がする方を指さす。
彼女は魔法士なので後方にいるのだが、思い切り魔力を込めた『ウィンド』を放ったところ、予想以上に威力が強力で、血しぶきがすごい勢いで飛び散ってしまった。そのおかげでオレたち全員が血の雨を浴びることになり、服に染み込んだ血がすごく嫌なにおいを発している。
「私も賛成! 早くこのにおいをどうにかしたいわ。
においのせいでモンスターも大量に寄ってくるもの」
「ふむ、さすがに私もこれには不快感を抱いてしまうからな。できれば早く落としたいところだ」
「……みんながそう言うなら行くか。
ただ、もうすぐ日が暮れるから早く済ませてくれよ」
「分かっているわよ。
少し身体を拭くぐらいなんだから、そんなに時間はかからないわ」
数分程歩いた所にきれいな川が流れていた。水質はとてもきれいで飲んでも問題なさそうなぐらいだ。水深の深いところでは大きな魚がゆっくりと泳いでいる。
ルナリアたちは早速その身に纏った防具を外し始める。
「最初に私たちが血を落とすからアレンは後でね」
オレは徐々に薄着へとなっていくルナリアたちに目を奪われ、心ここにあらずの状態ではあったものの、なんとか素直に頷くことができた。
三人もの美人が目の前で服を脱いでいくという状況にオレもさすがにクルものがある。色欲狂いと呼ばれてしまいそうだが、でもオレの気持ちが分かるだろう? 屋敷ではステラと共にいるのでそんなことは出来ないし、最近は花街にも顔を出していない。そのせいだと言っては何だけども、オレも色々と溜まっているのだ。
「おっ、おい! もしかして全部脱ぐ気か? ここは外なんだから危険だろ」
オレは何とか自身の動揺がみんなにバレない様に平静を装う。
「そのぐらい分かっているわよ。さすがに全部は脱がないわ」
「でも、上着にはかなり血がついているのでここで洗っておこうと思って」
「アレンの指摘はもっともだが大丈夫だ。洗っている最中も武器は肌身離さずに持っているようにするからな」
「……分かったよ。
ただ、出来るだけ早く終わらせてくれよ」
てっきり露出している部分を綺麗な布などで拭くだけだと考えていたオレにとっては、とてもありがたい誤算だったので良しとしておこう。
「アレン、分かっていると思うけど覗いたら殺すからね」
「あっちに行っているから心配するな」
ルナリアによる笑顔の圧力を背中に感じながら、三人の姿が見えないところまで離れる。ここで覗こうとしたら確実にオレの命は三人によって葬られることだろう。フレイヤは言うまでもないが、ルナリアとリーフィアの実力は出会った当初と比べて格段に上がっているので、それは一瞬の出来事かもしれない。確かに誘惑はあるが、一瞬の性欲よりも命の方が大切なので唇を噛みしめながら素直にルナリアの言葉に従う。
「ああは言ったものの、何して持っていようかな?」
少しの時間一人になることを強いられたオレは、この時間をどう活用しようかと思案する。
「本当なら今の内にモンスターの解体をしたいところだけど、さすがにみんなが無防備になっている時にモンスターを引き寄せる行動は控えるべきだよな。
かと言って、『ライト』の強度を高めようとするのも無駄に魔力を消費して、もしもの時に影響が出るからダメだし」
世間的にはそろそろいい年頃の男であるオレ――趣味特に無し。
そんなオレの惨めなプロフィールを自認し、精神的ダメージを受けてしまう。
「何か一人でも退屈しないような趣味を見つけようかな?」
そんなオレの頭に真っ先に浮かんできたのは、何時ぞやの花街の大人の女性の姿。あの妖艶な身体をまた堪能したい。その思いがオレの心を徐々に埋め尽くしていこうとしていた。
「ダメだダメだ、オレはステラのご主人さまなんだから手本となる様に行動には気を付けなくては。もしもステラにバレて変な影響を与えてしまったらどうするんだ」
オレは欲望にまみれた思いをどうにか浄化しようと強く頭を振る。そのおかげか、幾ばくかの欲望は頭から抜け落ち空中へと霧散していった。しかしながら、依然としてオレの頭の片隅にはその欲望を満たそうとあれこれ思案しているもう一人のオレがいる。
「実際問題バレなければ大丈夫じゃないか?
アリバイをちゃんと作って、怪しまれないタイミングであればいけると思うんだけどな」
オレの思考が再び欲望に埋め尽くされそうになる。
「……いや、でも前もバレて気まずい雰囲気になったしな」
以前にルナリアとリーフィアにバレてしまった時のことを思い出し、どんなに計画を練ろうとあの二人には確実にバレてしまうという結論に至る。オレが分かりやす過ぎるのか二人の察知能力が高すぎるのかは定かではないが、余計な波風を立てたくないのであれば行かないのが吉だろう。
「……そろそろステラにも友達が必要なのかな」
オレは欲望の発散を諦め、もっと尊い存在のことを考えることにした。
現状、ステラの周りには歳の離れた大人しかおらず、歳の近い友達は全くと言って良いほどいない。ハーフエルフということもあり、ステラの安全を考えて屋敷の外に出ることは無かった。そのせいで、ステラの交流の範囲はとても狭く、オレたちや屋敷のメイドさんたちだけになっている。まあ、メイドさんたちにかなり可愛がれらているので今のままでも良いのかもしれないが、オレとしてはステラに可能性の幅を広げて欲しいと思う。
しかしながら、それには悲しいことにそれ相応のリスクが伴ってしまう。
――もしステラを紹介した相手がこの国の思想に毒された相手だったら?
その答えは明白だろう。せっかく明るくなったステラの心にまた傷を負わせることになってしまう。それならば最初からそうなる可能性を摘んでおくべきではないだろうか。
「……今度ルガルドの所にでも連れて行こうかな」
ドワーフであるルガルドならばステラのことを受け入れてくれるだろう。あの曲がったことが大嫌いな職人気質の頑固者がステラを拒絶している姿というのを想像することは出来ない。
「――アレン!」
ルナリアのオレを呼ぶ声に思考が中断される。
どうやらあちらで何かあったようだ。
「何となくこうなると思っていたけどな」
オレはつくづく不幸な女神に好かれているようだ。なぜかオレの周りで問題が起きることが多いのだが、今度なにかしらの対策を打つべきだろうか。
ルナリアの声色がそこまで切羽詰まっているようではなかったのとフレイヤもいるので最悪な事態までには発展することはないだろうと思いつつも、オレはその場から勢いよく立ち上がり、急いで河辺へと向かった。
読んでいただき、ありがとうございました。