1: 社畜
「――申し訳ございません」
日が傾き始めてしばらく経ち、もうすぐ雄大な地平線へと沈もうといている。空は真っ赤に染めあげられ、自由気ままに流れる真っ白な雲も綺麗に着色されている。もうすぐ晩飯時ということもあり、地上では多くの人々が家や食堂、飲み屋を目指して足早に歩いており、賑わいを見せている。
そんな忙しない様子は冒険者ギルドでも同じで、いつもこの時間になるとギルド内は依頼の報酬を受け取ったり、モンスターの素材を売却したりする冒険者たちで溢れかえっていた。そのため、いつもは個々の声を鮮明に聞き分けることはできず、ただの騒音が鳴り響いているだけだ。
しかし、この日は違った。
中年というには幼く、青年というには疲れからかしゃがれた声がギルド内に広まる。報酬を受け取る準備をしていた者たちや、受け取った報酬を使ってこれからどこで飲むか楽しそうに話し合っていた者たちなど、ギルド内にいる数多くの冒険者たちがその声の主へと視線を向ける。
視線の先では、武器を携えた屈強な三人の冒険者たちが一人の弱そうなギルド職員の青年に詰め寄っていた。
「なんでこんなこともできねぇんだよ! ちょっと高く買い取るだけだろ!」
「そうだぞ。こっちは命がけで狩ってきてやったんだぞ!」
「お前と違ってこっちは外で汗かきながら働いたのによ!」
「大変申し訳ございません。
でも、この素材は傷ついてしまっているので高ランクでの買い取りができないんですよ」
「はぁ? 俺たちが悪いっていうのかよ!」
「い、いえ、そういうわけでは……」
「じゃあ、どういうことなんだよ! ナメたこと言ってんじゃねぇぞ!」
ギルド職員の青年と交渉していた冒険者たちはだんだん頭に血が上り、傍にあったイスを蹴飛ばしながら、ギルド職員に詰め寄る。それは、もはや交渉というような生ぬるいものではなく、強制的に自分たちの意図を押し付けるような一方的で乱暴な恐喝であった。
しかしながら、そんな犯罪じみた行為が目の前で繰り広げられているにも関わらず、周囲の冒険者たちは「あぁ、またか」と、怒り狂った冒険者たちを止めることなく、ニヤニヤと笑いながらその光景を喜劇を見るかのように見物している。
「そう言われましても……私がどうこうできる問題ではないので。
それに、素材のランクを偽るとそれを加工する際にいろいろと問題が生じてしまうんですよ」
「だから、そんなことは俺たちには関係ないだろうが!
こちとら命がけで冒険者やってんだよ。ちょっとは融通を利かせてくれてもいいんじゃねぇのかよ!」
「いや、冒険者の方々が命がけなのは重々承知しています。
ただ、それを踏まえて価格設定をしていますので」
他のギルド職員たちが次々と冒険者から持ち込まれた素材の買い取りを済ませたり、依頼の報酬を渡したりして、先ほどまで長蛇の列ができていた受付前もある程度解消され、ギルド内は落ち着きを取り戻しつつある。
そのため、他のギルド職員たちは同僚である青年を強請り、業務に問題を生じさせている例の冒険者たちの所へ注意するために向かい、青年のフォローに行くこともできるはずであった。
しかしながら、彼らは我関せずと言わんばかりに、周囲の面白がってみている無関係な冒険者たちと同じように、その冒険者たちと青年のトラブルを遠巻きに見るばかりで、近づこうとも冒険者に謝り続けるその青年を助けようともしない。
みんな分かっているのだ。
あいつはそういう役割だと。
誰もが救いの手を差し伸べない状況の中、そのギルド職員の青年は自分よりも圧倒的に大きくて強い冒険者たちの前に立ち、その頭を地面についてしまうのではないかというぐらいの勢いで下げて謝り続けていた。
「お前はいいよな!
命の危険もないギルド内で、ただ俺たちの帰りを待つだけなんだからよぉ!」
「そんなんで金もらってうれしいのかよ!」
「そうだぞ。
大体このクエストだって、お前たちが俺たち冒険者に『どうにかして下さい』って頼んでるんじゃねぇか! だったらもっと俺たちに感謝しろや!」
「ほら、もっと俺たちに媚びへつらってみろよ!
『冒険者の方々、いつもありがとうございます』ってよぉ! その謝ることしかできない役立たずな口で俺たちを褒め称えてみろよ!」
「それとも、お前にできるのかよ!
命を懸けてモンスターがお前に狩れるのか!
ギルド内でのうのうと仕事しているお前によ!」
「申し訳ございません。
以前、他の冒険者の方から同じようなことを承ったので、上のものに掛け合ってみたのですが、買い取りランクの査定は厳密で、変えることができないんですよ。
だから、どうか、どうかお願いします。今回はこの代金でということでご了承していただけないでしょうか?」
買い取りの代金を受けっとっていたリーダーの冒険者は激昂し、受け取っていた代金をそのギルド職員の青年に目掛けて、思いきり投げつけた。
「うるせぇー!
だったらもっと誠意を見せてみろよ!」
「お前にはできないことをやっている俺たちを、もっと敬えよ!」
「モンスターを狩ってくれる俺たちは神様だろうがよぉ!」
不運なことに、ギルド職員の青年は投げられた代金のいくつかが額に当たり、そこから出血してしまっている。額から流れる血はゆっくりと頬から顎へと伝い、顎先から地面へとポタポタと落ちていく。その落ちた血が地面を真っ赤な丸に染め上げていた。
しかし、彼はその額に流れる血を拭くこともなく、申し訳なさそうな表情を変えることなくその場に立っていた。
そして、彼は意を決してかのように冒険者たちの前で跪き、頭を垂れながら謝罪した。
「冒険者の皆様、いつもモンスターを狩っていただき、誠にありがとうございます。
私には到底行うことのできない命がけの依頼をお受けいただき、ありがとうございます。
今後も、どうか、どうかよろしくお願いいたします」
――ギルド内に静寂が訪れる。
それはあまりにもみじめな姿であり、滑稽な姿であった。およそ周囲に多くの視線がある公共の場で普通さらさないような行動であり、さらしてはならない行動であった。それが今まさに目の前でまだ成熟していない青年によって繰り広げられている。
そのため、ギルド内にいた全ての人々があまりの驚愕に一瞬だけ目の前での光景を理解することができずに固まってしまったが、次第に何が起きたかを理解し始めると、彼を見て嘲笑しながらヒソヒソと隣にいる者と話し始める。
「まじかよ。あそこまでするのかよ」
「ダセーな。人間ああなったら終わりだな」
「なんであんな奴が生きてんだよ」
自分たちの前で跪いている滑稽な姿を見て気を良くしたのか、リーダーの冒険者はそのギルド職員の青年の頭に唾を吐き、頑丈な防具で覆われた足で頭を踏みながらニヤニヤと笑う。
「わかったらいいんだよ! 次来るときはもっと俺たちを喜ばせろよ! お前にはそれ以外なんの能力もないんだからよ!」
冒険者たちはゲラゲラと笑いながらギルドの出入り口の方へと歩いて行った。この後、彼らは夜の繁華街に繰り出し、今日の出来事を肴にうまい酒を飲むのであろう。「今日もあのギルド職員を教育してやった」と周囲の者たちへ自慢しながら。
冒険者たちが出て行き、嵐が過ぎ去った後、取り残されたギルド職員の青年はゆっくりと立ち上がろうとしたが、駄目だった。
彼はふらつき、その場に尻もちをついてしまった。それは肉体的な疲労と精神的な疲労のどちらが原因なのだろうか。いや、もしかしたら、どちらも彼の弱々しく見える身体に常に蓄積され続けていたのかもしれない。
そんな彼の状態を知らない周囲の人々には、その光景がより一層滑稽でみじめなものとして映った。冒険者たちのあまりの怖さにビビってしまい、立つこともできなくなっているのだろうと、誰しもが彼を臆病者だと決めつける。
その後、彼はフラフラと何とかして立ち上がり、未だに微かに震える脚を必死に抑えながら、どうにかして持ち場に戻り、椅子に座った。
そして、額から流れる血と唾を拭きながら、小さなため息をつく。
その一連の流れを見ていた冒険者が、まだその光景を見たことがなかった新人冒険者に悪い笑みを浮かべながら語り掛ける。
「あれがこのギルド名物の『社畜』だ」と。
読んでいただき、ありがとうございました。