わたしは、かわいくて、すてき
わたしはオシャレをすることが好き。
とても好き。
これはきっと、大好きなマチルダお姉さんの影響だろうと思う。
彼女は、そして彼女の仲間たちは皆オシャレで、可愛くて、大胆で、カッコよくて、刹那的で、残酷で、排他的で、狭窄的で、思考能力が足りなくて、だらしなかった。
正直なところ、あまり褒められるようなタイプではなかったと思う。
たぶん、彼女達のようなタイプを嫌いな人は多いだろう。
眉をひそめる人、口の端を歪める人、憐れみの瞳を潤ませる人。
でも、わたしは大好きだった。
初恋の人はマチルダお姉さん。
なぜマチルダお姉さんなのかというと、彼女が映画『レオン』にイカれていて、中でもマチルダになりたがっていたから。
黒髪ぱっつんオカッパな髪型も、午後になると真っ黒パンダになってしまうマスカラまつげも、テラテラぽってりとした赤いクチビルも、華奢で長い手足も、凹凸のない胸も、うすっぺらいお腹も。
マチルダお姉さんは、ナタリー・ポートマンの演じたマチルダになりきろうとしていた。
そしてそれが、とてもよく似合う人だった。
マチルダお姉さんがよく言っていたのは「オンナノコはね、可愛くなくちゃダメなの。ブスになるくらいなら、あたし、死んだほうがマシ」
この台詞だけで、マチルダお姉さんがどういうタイプの少女だったか、きっとわかると思う。
そしてそんなマチルダお姉さんを敬愛していたわたし。
同じように「うん! 年取って醜くなる前に死にたいよね!」と頷いた。
痛々しさに恥ずかしくなってしまう人もいるだろうし、思わず吹き出してしまう人もいるだろう。
「勘違いオンナおつ!」
そう言われるかもしれない。
マチルダお姉さんはわたしの八つ年上だった。
そしてたくさんのことをわたしに教えてくれた。
好きな映画、好きな作家、好きなお洋服、好きな靴、好きな時計、好きなバッグ、好きなアクセサリー、好きなメイク、好きな香水、すきなタバコの銘柄、好きな酒、好きなクラブ。
それから好きなオモチャ。
マチルダお姉さんはセックスについて言葉で教えてくれたけれど、体では教えてくれなかった。
「雪ちゃんは、ちゃんと好きな人と、ステキなセックスをしなさい」
わたしはマチルダお姉さんが好きだったけれど、八つ年下では恋慕だとは信じてもらえなかった。
たしかに今思えば、あれが恋慕だったのかはよくわからない。
シッポを振って、ハッハッと息を吐き、胸を弾ませ、ひたすらマチルダお姉さんのあとを追いかけ回していた。
塾に行く素振りで家を出て、マチルダお姉さん達の集まる隠れ家に忍び込み、塾から家に連絡がいき、しこたま怒られる。
そうすると、その日は家に入れてもらえないから、ふたたびマチルダお姉さん達のところへ戻る。
ほんとうは、ずっと家に入れてもらえずに、マチルダお姉さん達といたかったけれど、そんなことをすれば、自分達が追い出したくせに警察に届け出るぞと脅して探しにくるのだから、それはできない。
マチルダお姉さん達は、警察と関わるのを嫌がっていた。
とはいえ、あの人たちは世間体をとても気にする性質だったから、きっと警察に届け出ることなんてしなかっただろう。
それは当時もうっすらとわかっていたけれど、どちらにせよ、マチルダお姉さん達に対して、何かよくないことをしそうな気はした。
あの人たちは不思議なことに、地元でとても慕われていたから、大人たちから眉をひそめられるようなマチルダお姉さん達の立場は、きっと弱い。
だからマチルダお姉さん達がグデングデンに酔っ払った頃、朝があける前に玄関の前に立ち、ドアが開くのを一晩中ずっと待っていたように装う。
打ちひしがれたような様子を見せれば、苛立たせてしまうから、「ただいま」とだけ言う。
そうすると「その前に言うことは?」と聞かれ、「申し訳ございませんでした」と謝る。
きっとこの反応は、可愛くなかったのだろう。
わたしも逆の立場であったら、スカした態度がこちらをバカにしているのか、と苛立つ気がする。
とはいえ、弱々しく憐れみを誘うように縋れば、もっとひどいことが待っていることも知っていたので、当時も今も、あれが最善だったと思う。
腕を引かれて、「臭う! 風呂に入れ!」と舌打ちされる。それから背中を強く押され、風呂場に押し込められる。
そのあとは、まぁ、そういうことになる。
それからそのあと、小学校に行く。
寝ていないから、もちろん眠くて、授業中はいかにバレないように寝るかという技が、とてもうまくなった。
たぶん居眠りはバレていたのだとは思うけれど、先生方からそれなりに好かれていたから、内申点はそう悪くなかっただろう。
学校に友人は、一人もいなかったけれど。
それに、成績はよかった。
さっき言ったような、たまに塾に通わない日もあったけれど、たいていは真面目に通った。
そして必死に勉強もした。
一番上のクラスに留まれないようでは、志望中学に受かるはずがないから。
志望中学に合格しなければ、わたしの人生は終わると、あの人たちだけでなく、塾の先生も言っていたから。
塾にはたった一人だけ、友達と呼べる男の子がいて、その子ととても仲が良かった。
だけど、彼はいろいろとあって、死んでしまった。
その『いろいろ』の中にわたしが多分いて、わたしはいつの間にか、それを忘れてしまった。
あの人たちは、わたしを醜いとか、不細工とか、みっともないとか、そういう言葉でしか形容してくれないから、わたしはわたしのことがブスだと思っていた。
可愛いオンナノコが好きなマチルダお姉さんは、わたしがブスだから恋人になってくれないのだと思ったし、今でも疑っている。
でも、わたしはマチルダお姉さんからもらった、魔法の呪文を毎日唱えている。
十代を過ぎ、二十代も超え、三十代となった今でも。
わたしは、かわいくて、すてき。
マチルダお姉さんは、わたしのまぶたにアイカラーをのせ、クチビルにグロスを塗りたくると鏡の中で目を合わせて「雪ちゃん、可愛くなるおまじない、唱えてごらん」と言った。
「わたしは、かわいくて、すてき」
マチルダお姉さんの言ったことを繰り返して、マチルダお姉さんの持っていた沢山の香水の中から、真っ赤なリンゴのボトルを選んで胸元にかけて、立ち昇るその甘ったるい匂いを嗅ぐと、ほんとうに可愛くなれたような気がした。
だから今日もわたしは、朝起きたらていねいにスキンケアをして、肌の調子を眺め、今日のスキンカラーと今日の気分で、どんなメイクをしたいのか、どんなファッションをしたいのか考える。
メイクが先になることもあるし、お洋服が先になることもあるし、ジュエリーが先になることも、靴だったり、バッグだったり、ヘアアレンジだったり、香水だったり。
何が先になるかは、日によってそれぞれだけど、自分が今日、どんなわたしでいたいのか、しっかり考える。
それから『こんなわたし』を作り上げて、まずまずだな、と満足してニヤリと笑う。
イマイチだな、と思ったらやり直す。
それから鏡に向かってニッコリ笑う。
「わたしは、かわいくて、すてき」
顔の造作はたいしたことはないし、スタイルだって全然良くない。
背は小さいのに、顔は小さくないし、手足は短くて、太ってはいないけど、モデルみたいな細さとは違う。
それなりに自慢だったおっぱいは、こどもを産んで授乳して、垂れて萎んだ。
骨盤体操を頑張ったけど、昔に比べておしりは大きくなったし、ぷりっと上を向いてる、かっこいいオシリではない。
ストレッチもサボり気味だから、背中も贅肉がつき始めてる。
でも、わたしは、かわいくて、すてき。
わたしはそうやって、毎日呪文を唱える。
そうすると、わたしはほんとうに可愛くなれる。
イラスト = 黒星★チーコ様(https://mypage.syosetu.com/2196021/)