4.愛しい面影
マルスの出自を隠すため一年を地区長の家で過ごし、その後リーザとユースは元の町に戻って来た。
結婚してマルスと住んだ家で、赤児に戻ってしまったユースと暮らす。
リーザの両親は夫を喪った娘を泣いて迎え入れ、亡きマルスによく似た子供を抱きしめた。実家に帰ってもいいと言われたが、実家も裕福ではなく二人の食い扶持が増えては大変だろうと遠慮をした。
何よりマルスがリーザのために用意してくれた、思い出の家から離れがたかったのだ。
「マルスが帰って来たみたいね。本当によく似ている」
「そうでしょう。私もマルスなんじゃないかと思うくらいよ」
まだマルスのいた形跡が家のあちこちに残っている。マルスの服、マルスの靴、マルスの仕事道具。どれも処分することもできず、変わることなく同じ場所に残してある。
マルスの最後の報酬と地区長からもらった口止め料のお陰で、質素ながらもどうにか子供を抱えて生活はできてはいるが、そろそろ本格的に働き出さなくてはならない。
「ユース。ずっと一緒にいたいけど、お母さんはお仕事に行かなければならないの」
ユースに言い聞かせていると見せかけて、リーザ自身に言い聞かせる。
仕事中は近所の家に預かってもらえることになったのだが、幼いユースを残して出かけなければならないことで、毎日身を切るような思いで仕事場に出かける。
リーザはユースの頬を触るのが一番好きだった。ユースのぷにぷにした頬に自分の頬を擦りつけると、洗濯したての太陽の匂いがする。きゃっきゃと声を上げながら、小さな手がリーザの頬を何度も撫でる。
優しい時間が二人を包んでいた。
マルスと住んでいた家なのに、ユースと一緒に過ごし出すと何もかもが前とはまるで変わってしまった。
背の届かない棚の荷物は、以前であればマルスが取ってくれたが、今はリーザが椅子を使って取らなければならない。
ユースはリーザが視界から消えると、途端に火がついたように泣き出す。リーザに抱き上げられている時が一番機嫌よく笑う。
「ユースは本当に可愛いわね。愛しているわ。幸せになってね」
◇
少し立つとユースはあちらこちらと歩き回るようになり、ひと時も目を離すことができなくなった。何にでも興味を示すので怪我をしそうな物は全て棚にしまい込んだ。
雛鳥のようにリーザに付いて回り、少しも離れることもしない。ふと視界から消えたと思うと思いがけないいたずらをしているので、いない時も気が抜けない。
「はい」
「なあに?お菓子をくれるの?」
ユースがリーザに差し出したお菓子にぱくっと噛みついて頬張ると、ユースが顔を歪めて泣き出した。撫でても宥めても泣き止まないユースを抱きしめて、ゆっくりゆっくり理由を聞き出すと思いがけないことを言い始めた。
「お菓子なくなっちゃった!」
「え? くれたんじゃないの?」
幼児の理解できない行動に振り回されながらも、どうにかリーザなりに子育てに奮闘していた。
少しずつ言葉も増え動きも活発になってゆくユースは、リーザの記憶にないマルスの姿だ。生まれた時からずっと近くで育っては来たが、こんなに小さな頃のマルスの記憶は流石にない。
泣き虫でいたずらっこで甘えん坊。
見たことのないユースの姿に頬が緩むことばかりだった。
◇
ユースも一人で遊びに行く年頃になった。町には同年代の子が多く、また行商人や旅行者が多く通り過ぎる町でもあるので遊び相手には事欠かないようだ。
一人でも過ごせるようになったので、リーザも安心して仕事に行くことができる。
リーザが仕事から家に帰るとユースが笑顔で迎えてくれて、一日の仕事の疲れが一瞬にして癒してくれる。
ユースは食事をしながら、一日にあったことをリーザにつぶさに話して聞かせる。
誰と何をして遊んだ。誰とどこに行って何をした。生き生きと話をするユースを見るのが楽しくて、何度も合いの手を入れる。
ユースは友人を作るのが上手いらしく、話に出てくる友人の名を覚えるのが大変だった。ある程度は同じ名前が出てくるが、日によってころころと変わる友人の名前を聞いて、子供社会にとけ込んでいるようで安心する。
マルスの記憶はないが子供に戻ったことで影響が出ないかを心配していたが、杞憂だったようだ。
社交的で親分肌な性格はマルスのままなのだと、少年の頃のマルスに思いを馳せ、リーザは懐かしい気持ちになった。
◇
リーザがユースの母となって十回目の誕生日。
さて夜の食事支度をしなくてはと思いながら帰ると、すでに食事の用意がされていた。不揃いに切られた野菜のスープと雑穀のおかゆ。いつものありふれた料理だが、ユースが一人で作ってくれたことは初めてだった。
「ユースが作ってくれたの?凄いわ。ありがとう」
「誕生日おめでとう。母さんの誕生日だから、時間はかかったけど頑張ったよ」
照れくさそうに笑う少年に愛しさが膨れ上がる。
誕生日を覚えていてくれた。料理というプレゼントをくれた。誕生日の祝いの言葉をくれた。
何もかもが嬉しくてうっすらと涙が溢れる。
「泣かないで。そんなに大したことしてないから!」
焦っておろおろとする少年が可愛くて、ぎゅっと抱きしめる。
「私はあなたと一緒にいられて幸せだわ」
ふと思い出したようにリーザから離れると隠してあった、小さな花弁の可憐な花束を差し出した。思いがけないプレゼントに喜びが溢れた。
「ユースがこんなプレゼントを思いつくなんて、随分と大人になったのね」
「エミルがその花が咲く場所を教えてくれたんだ」
「ああ、パン屋の娘さんね」
「きっと母さんが喜ぶと思ったんだ」
「ふふ、喜んでいるわ。ありがとう」
ユースの成長を見守ることが今のリーザの生き甲斐だった。
マルスと同じ顔で笑い、マルスの様にリーザを労ってくれる。マルスといた時間を思い出させてくれて、マルスがいなくなった不安を忘れさせてくれる。
たった一人の愛おしい存在。
「愛しているわ。幸せになってね」
それから数日後、仕事から家に帰る途中の川べりで、可愛らしい少女と手を繋いで歩くユースを見かけた。