1.幸せな結婚
王都から馬車で四日もかかる田舎町で、リーザとその幼馴染マルスが結婚式を行ったのは新緑の季節だった。
田舎ではあるが王都へ向かう馬車道が交差する立地であるため、人の往来には恵まれていた。
そんな土地にある由緒ある教会は、建物は傷んではいるが当時手をかけて造られたステンドグラスは大変見事で観光の名所となっている。
その教会のステンドグラスの下で愛を誓いあった。
いつもより着飾ったリーザのドレス姿を、マルスは大層褒めてくれた。
恥ずかしいくらい褒めてくれるマルスも、いつもは下ろしたままの髪の毛をきっちりと流して正装しているので、まるで知らない男性のように見える。
お互いに褒めあって、初々しく照れあっていると周りから冷やかしの声が飛んで、更に顔を真っ赤にすることになった。
集まった人達は近所に住む昔から二人を知る人達ばかりで、口々に述べられるのは長い間恋心を育んできた二人への心からの祝いの言葉。
涙を浮かべながらそれに感謝の言葉を返しているリーザは、その日誰よりも幸せな花嫁だった。
こんなに幸せなことが他にあるなんて想像ができないほど、その幸せを噛みしめていた。
「これからもずっと一緒だ」
「愛しているわ。幸せになりましょうね」
二人は生まれた時からずっと一緒だった。
同じ町に生まれ幼い頃から遊び友達として育ち、いつしか自然に恋心を抱くようになった。
そして他に目を向けることもなく、町では誰もが知る恋人同士になった。
結婚のきっかけになったのは、マルスの両親の死だった。
マルスの両親が馬車の事故で死んだ時、マルスとリーザは十六歳だった。
家族を喪い憔悴するマルスにリーザはずっと付き添い続けた。茫然自失なマルスを甲斐甲斐しく世話をする姿は周りの涙を誘い、そんな二人を皆は温かく見守り続けた。
リーザの両親や町の人達の助けもあって、マルスは少しずつ元気を取り戻していくのだった。
「……リーザ、いつもありがとう。少し話をしてもいいかな?」
「突然どうしたの?」
その日の朝食の後、唐突にマルスが感謝の言葉を述べた。
ただのお礼の言葉にしては重みのある口調にリーザが面食らって問いかけると、しばらく無言のままうつむいていたマルスが顔を上げた。
「自分がこんなに弱いとは思っていなかった。両親の死にこんなに打ちのめされるとは思ってもみなかったんだ」
「愛するご両親が亡くなったのだもの。誰でもそうなるに決まっているじゃない」
リーザは立ち上がると対面に座るマルスに歩み寄ると手を伸ばして、その髪をゆっくりと何度も撫でた。愛しさがその手から伝わってくることに涙が出そうになったマルスは、意を決して言葉を続ける。
「リーザ結婚して欲しい。いつかはするのだと思っていたけど、もし今君を喪ったらもう生きていけないと痛感した。これからもずっと一緒にいて欲しい」
「嬉しいわ。私もマルスとずっと一緒にいたい」
今度はマルスが立ち上がってリーザをその両手の中に抱き寄せた。温かなその存在がいつでも自分を癒してくれる。こんなに愛すべき存在は他にはあり得ない。
マルスの両親の死から一年後、二人は夫婦になった。
◇
リーザとマルスは町の外れに借りた家で結婚生活を始めた。
台所と食堂兼居間、そして寝室だけのこじんまりとした一軒家。決して裕福ではないが、二人きりの生活は幸せそのものだった。
好きなものも嫌いなものも、今更すり合わせる必要などないと思っていた新婚生活だったが、一緒に暮らし始めると意外に知らないことが出てきて新鮮な気持ちになれた。
「リーザが作ってくれていたこのお菓子。こんなに手間がかかるのか」
「そうなのよ! 実は結構手間がかかるの」
マルスが好きな焼き菓子をリーザはよく作っていた。
仕事から帰って来るマルスを町の入り口で待って、労いの言葉と一緒に焼き菓子を渡していた。疲れた時には甘い物を欲しがるマルスのことを考えてだ。
生地を混ぜて寝かせて発酵させて、さらに混ぜて発酵させて、竈の火を何度も確認しながら焼き上げる。一日がかりで仕上がった菓子を見てマルスが驚きの声をあげた。
「あんなに頻繁に作ってくれてたのは大変だったろう。ありがとう」
「そうやって喜んでくれるから、全然苦じゃなかったの」
マルスは狩人や懸賞金狙いの冒険者を、獲物の住処へ案内する仕事をしている。
的確に棲み処を当てるので、人気の高い案内人だった。しかし時には獣に襲われることもあり、危険と隣り合わせの仕事であるため、リーザの心配が尽きることはなかった。
仕事に出る度に不安げな顔をするリーザのために、マルスが案内人を辞める決心をしたのは、結婚して一年が経った頃だった。
「今回の仕事を最後に、案内人を辞めることにした。俺にもしもの事があったらリーザを独りにしてしまうから」
「やりがいのある仕事だったのに、辛い決断をさせてしまってごめんなさい」
「俺に何かあってリーザが悲しむ方が辛いからいいんだ。ただ実入りのいい仕事を辞めてしまってもいいか?」
「私も食堂で働いているもの。二人で働けば生活するには十分じゃない」
リーザは町の食堂で給仕として働いているが、忙しい時には厨房に借り出されることもあり、仕事場ではそれなりに重宝されている。
給料は高くはないが、昼食はまかないを食べさせてもらえるので食事代はかからず家計は助かっている。
マルスが最後の仕事に出かける日、リーザは前夜から胸騒ぎがして眠れなかった。今回が最後であることに神経が過敏になっているからだと言い聞かせ、マルスに不安を悟らせないように必死に笑って玄関に立った。
「今回の雇い主は貴族様なんだ。いつもより報酬がいいから、最後に稼がせてもらうよ。ちゃんと無事に帰って来るから安心して待っていてくれ」
「わかったわ。待ってるから早く帰って来てね」
そうしていつものように触れるだけのキスをして、マルスは出かけていった。
マルスが出かけた後もずっと不安はつきまとい、家事も仕事も全く手につかなかった。