魔人が王都に来たようだ
深淵の闇が空から降る。王都守護大結界は数分と持たずに崩壊した。この日人類は何千年ぶりかの魔人と遭遇する。逃げ惑う人間、震える大地、魔人ヘルゲイルは笑う。ゴキブリのようにうごめくゴミどもの焦った顔に。
エルミラは億劫だった。目の前の事態に対して自分に何ができるか必死に考えているが、何ができるだろうか、力量差は圧倒的だ。今までの人生で初めて見る魔人にあたかも壊れたおもちゃのような胸の高鳴りが収まらない。ここは大通りの商店街で偶然買いものに来ていた。装備も城に置いてきている。騎士として剣だけは肌身離さず持っているが心もとない。だが、国民を前にして逃げるという選択肢は取ることができない。
「私が、時間を稼げばいいだけよ。国を守るなんて大げさなことは考えなくていい、ただ命を犠牲にしてでも、時間を稼げばいいだけ。そうすれば大将軍様が何とかしてくれるはず。」
エルミラは覚悟を決め勇ましく叫ぶ。
「おいそこの魔人!お前のその汚い笑い声を聞いていると反吐が出る!今すぐ降りてきて私と戦え!その息の根を今すぐ止めてやるぞ!」
一分一秒でも長く生き延びてやる!あの日シルエラ様に誓っ通り、あなたに害をなすすべてを私が受け止めます。守るなんて大げさなことは言えないけど。私を認めてくれたシルエラ様に、剣を捧ぐと決めたあの日の決意を胸に!
エルミラは平民出の騎士だった。この世界の技術水準レベルが地球と変わらなくとも、くだらない階級意識の高い貴族連中によって国が回っていることも珍しくない。そしてスキーラ王国もその一つである。平民出身のエルミラが、シルエラの親衛隊に配属されたとき、どのような扱いを受けたか想像することは難くないことだろう。シルエラに出会い実際に話すまでは彼女を恨んでいた。だが会話をしてみないとえてして人間の考えというのはわからないものだ。当時のエルミラがシルエラと話し、どこまでも純粋な彼女に何を受け取ったもまた想像に難くはないのだ。
「人間、よほど死にたいようだな。私が直々に貴様を消し飛ばしてやろう。」
圧倒的存在感、そして威圧感。深紅の瞳に灰色の肌、漆黒のオーラを背負い、雪原を思わせる厳かで大きな角がこめかみから2本闘牛のように生えている。黒色のコートを羽織り、黄金の巨剣を背負いこちらに降りてくる。魔人を初めて目にしたエルミラは恐怖で意識が飛びそうだった。自身の持つ剣が、頼りのない棒に思えてくる。だが、彼女を今まで支えてきたすべてのもがこの瞬間勇気となり替わり、彼女を奮い立たせる。
「私に勝てるつもりですか?笑わせてくれますね。」
エルミラは魔人に喧嘩を売るように笑って見せた。
その言葉を聞くと同時に魔人は漆黒の残像を引き連れ動き出す。エルミラはまるで反応することができなかった。
「貴様如きに剣を抜くまでもない、私が時間を割いてやっているだけでもありがたいと思え。」
エルミラは殴りつけられ、吹き飛んでいった。
だがエルミラはが死ぬことはなかった。そのまま建物を何棟も貫通して、死んだ方がましかもしれないダメージを受けている。ぎりぎりで意識を保っていたエルミラは自分がなぜ生きているのか少し考える。神様がくれた奇跡であるという結論しか思いつかずやはり気を失ってしまった。
「私に不意打ちをするとはやるな。少し拳がそれてしまったぞ。」
「それはよかったな。石投げただけだけどな。」
ハクはエルミラに魔人ヘルゲイルの拳が当たる寸前、腕に石をぶつけるという離れ業を軽々と送っていた。もちろんこれは魔人ヘルゲイルが油断していたからこそできる離れ業だ。
「だがそれだけに自分の罪の重さを理解しているか?この私に不意打ちをかますとは立派だが、死んでもらうことに変わりはない。」
魔族の深紅の瞳が見開かれ、その圧倒的な魔力が魔人から解き放たれる。その圧倒的な魔力はまるでこの世の終わりを告げているようだった。
「エルミラに必要最低限の治療を施したぞ。だがあの魔人はやばいな、ハクじゃ間違いなく殺されて終わりだぞ。」
トレットがハクの隣に駆け付けた。
「まじかよそいつはめんどうくさいな。ちなみに周囲の被害を抑えることはできるか?」
まるで自分が戦うことは決定事項かのようにハクは告げる。
「戦うことは決定事項かよ。死が恐ろしくないのか?ある程度戦えるからといっても無茶はさせられないぞ。」
「死ぬことは確かに恐ろしいと思う。でも世界を救うならどうせあいつクラスとは腐るほど戦うことになるだろう?だったら逃げないよ、この世界を見る前に壊されても困るしね。それにトレットだってあいつがなんで突然この国に来たのか気づいているんだろ?だったらなおさら逃げちゃだめでしょ。」
魔人ヘルゲイルが動きを止め、瞳が一瞬の驚愕を映す。
「あ?何を言ってんだ?あいつの目的なんかさっぱり知らんぞ。」
「え?マジでか。少し考えればわかることだと思うんだけど・・・。もしかして俺が間違ってるかもしれないから一つ確認したいんだけど、魔人って魔王の手下でさらに言えば邪神の手下だよね?」
「あぁ、一応そうだが。」
「じゃあたぶんあってると思うけど、おそらくこの王都に勇者が出現するんじゃない?どうやって予測したかまでは知らないけど。」
「ん・・・?つまり邪神が勇者誕生を防ぐために放った刺客ってことか。言いたいことがようやくわかったが、王女の手紙だけでここまで推測できたのか?」
「別に普通でしょ。」
確かに考えてみればそこまで難しく複雑な内容ではないのかもしれない。だがついさっき手紙を読んで、ついさっき魔人がきて、つい最近この世界に来たこいつが一瞬でそこまで考えを巡らしたのは驚異的だと言わざるおえない。
そしてハクの予測を肯定するように魔人が口を開く。
「人間。貴様を生かしておくことはできなくなった。すぐにでも殺してやりたいところだが、情報が外に漏れても困る。貴様が先ほど犬にした要求、私がかなえてやろう。」
魔人は突然地面に手をつくと呪文を唱えた。
「ヘルドーム!」
ハクとトレット、そして魔人を囲むように黒いドーム状の壁が出現する。中は不思議と明るかった。
「これで目的を漏らされる恐れがなくなったな。今ばれては困るんだ、すぐに死んでもらうぞ。」
ぶるりと背筋が震えるのをハクは感じた。
「だがお前、頭は悪くないようだが、ただの雑魚のようだな。ふむ、少し警戒しすぎたみたいだな。」
そういうと魔人ヘルゲイルは右手を前に出し、魔力弾を放った。魔法名すらないただの魔力の塊が、凄まじい勢いでハクに迫る。
「うおっ、危なっ!?。」
お湯こぼしちゃった、みたいな掛け声で魔力弾をかわすハク。
「チッ。」
ハクが交わしたことを確認すると魔人ヘルゲイルは舌打ちをした。そのヘルゲイルが直接凄まじい速度で接近。ハクに拳を放つ。だがハクは不可視の速度に到達しているだろうその拳にクロスカウンターを合わせた。凄まじいソニックブームとともにハクの後方へ衝撃波が飛んでいく。魔人ヘルゲイル自身の拳でヘルドームが揺れる。
「痛くもかゆくもないが、私にカウンターを合わせるとはゴキブリのような奴だな。少し本気になってやろう。」
「誰がゴキブリだよ!お前の方が虫だろ。こめかみから生えてる触覚が、お前を虫の仲間だと証明してるぞ!」
瞬間、大地が揺れるほどの魔力が魔人ヘルゲイルから放たれる。その様子はまるで魔人ヘルゲイルの怒りを魔力が可視化しているかのようだ。
「魔族の誇りたる角を侮辱するとは、お前・・・ただでは殺さんぞ・・・。」
蹴った大地が大きく陥没する勢いで、ハクに急接近する魔人ヘルゲイル。ありえない轟音がドーム外へと響く。そして本気になったことを証明するように、魔人ヘルゲイルは黄金の巨剣を振りぬいた。
ドーム外ではエルミラを肩に担いだ、王都スキーラの大将軍バンディッシュが到着したところだった。彼は魔人の魔力を感じ取った瞬間、すぐさま走り出したがエルミラの救出には間に合わなかった。シルエラの親衛隊として必死に努力するエルミラには一目置いていたため、彼女の魔力が小さくなった瞬間焦り、建物を何棟も貫通しながら一直線にエルミラのもとまで駆け付けた
大将軍バンディッシュまたの名を【鬼神のバンディッシュ】。世界中へ名をとどろかせ、ひとたび戦場をかければ敵兵の断末魔が教会の鐘より鳴り響くと言われている。一対一だった場合周辺国家に敵なしといわれている、世界最高峰の一角である。他国のものもあまり知らないが想像に反して仲間に対しては情に熱い男である。
して、そのバンディッシュでさえ、目の前の結界から聞こえる轟音に緊張感を感じずにはいられない。
「アドバンテージズ・グレーテストアイ!」
視覚強化最上級魔法をバンディッシュは実行、中の景色が見えるようになった。
「馬鹿な、黄金の巨剣を持つ魔人と素手で殴り合う馬鹿が、この世界にいるとは。何者なのだ?」
魔人と素手で渡り合う人間などありえん。人類が今まで、強大な魔物と戦えるまでに積んだ研鑽を何だと思っているのだ。私ですら、あの魔人に素手で勝とうなど、とても思えんぞ。
バンディッシュは助けに入ろうと握っていた剣を下ろし、傍観に回ってしまった。見とれてしまったのだ、その男のなす御業に、人類最強格ですらその技術の高さに驚愕することしかできない。