異世界に来たが戦闘の基本はあまり変わらないようだ
「はぁ・・・めんどうくさい。」
これは彼の口癖である。今目の前にある事象を彼はめんどうくさがっているのだ。
今日彼は数少ない趣味である釣りに来ていた。今いる湖と水たまりの境目のような場所は最近彼が発見した穴場の釣りスポットだ。以前近くの川が増水したときにできた川だと彼は考えている。この場所で釣れる川魚が、それが事実だと教えてくれる。ここは少し山に入らないと見つからないので人がほとんど来ない、幼いころの経験から人付き合いをあまり好まない彼にはぴったりだ。
「なぜせっかくの休暇に限って、犬がおぼれているんだ。・・・はぁ。」
俺は再度ため息をついてしまった。今日は久しぶりの釣りだったのに。
だが、彼がめんどうくさがるときはたいていそれを実行すると決めているときだ。めんどうくさいならやるなという話だが、それでも彼はこういう場面で見捨てるという判断ができるほど人間として出来上がっていない。
「バシャバシャ・・・おい大丈夫か?」
この池に入ってみて気が付いたが、なんかこの池深くないか。川の増水でできた池にしてはやけに深いな。足がつかないはおろか、さっき池の中をのぞいたら底が全く見えなかったぞ。まぁいいか犬も助けたしさっさと岸に上がろう。
犬をしっかりと抱え岸に戻ろうとした瞬間、それは起きた。尋常じゃない速度で体が沈んでいくのだ。犬が今までの人生で感じた何よりも重く感じた。ただの犬がこんなにも重いはずはない。彼は思考回路を爆走させものすごい速さで沈んでいく中、助かる方法を考えた。そうだ犬を放せばいい、焦りで思いつかなかったが、考えてみれば簡単なことだ。・・・が、それは実行できなかった。犬から手が離れない。くっついているわけではない。離れないのだ。吸いつけられているという表現が一番近いだろう。必死にもがくが意味をなさない。そして、30秒もしないうちに彼の瞼を謎の光がたたいた。目を開ければまるで水面に向かって沈んでいるような、なんとも不思議な感覚を味わった。だが、そんなものは始まりに過ぎない。
彼は水面へと向かって落ち、水からの脱出には成功した。以前落下状態なのだ。今度ははるか下に地面が見える。
「ぎゃぁぁぁぁぁっぁぁぁぁっぁっぁぁぁっぁっぁ」
おいおい嘘だろ!なんだよこれ、ここで俺は死ぬのかこんな意味の分からないまま死ぬのか。思えば俺の人生ろくなことがない。こんな瞬間ですら、嫌な記憶ばかりが脳内を流れていく、これが走馬灯か?
「はぁ・・・めんどくさい」
体が現実を拒否し、意識を手放すことを選択した。
10分後。
「おい、起きろ。食っちまうぞ。せっかく連れてきたんだ。簡単に死なないでほしいぞ。」
「んぅ~~~?何だ?俺は生きているのか?なぜあの状況から助かったんだ?・・・そうか!わかったぞ。全部夢だったんだ!」
「夢なわけねぇだろ。」
「え?・・・何だよこれ。」
声のする方を確認すると犬がしゃべっていた。そして改めてその犬を確認すると、犬種はパグだった。牛のような柄をして服を着ている。そもそも助けた瞬間は服なんか着ていなかったのに。服は半そでの革ジャンで前を開けている。
「お前に確認しないといけないことがある。お前の名前は黒城 白か?」
「あぁ、そうだけど。なんで知ってる?いや、待ってくれ俺からも聞きたい。なぜ犬がしゃべっているのかとか気になることはあるけど、まずここはどこなの?」
隠していても現状を打破することはできないと考え、正直に答えた。そしてこちらからも質問をした。
「それはよかった。今度からハクと呼ばせてもらう。なれなれしいかもしれないが我慢してくれ。場所に関する疑問だけ答えるからあとは察してくれ。ここはハクのいた世界とは別世界だ。地名はラドックという。辺境の地だ。」
少し、ほんの少しだけそうではないかと考えていた。まずこの場所にたどり着くまでの経緯が普通ではないこと、そして目の前のしゃべるパグ、さらに実は一番の衝撃だったのがこの景色だ。あまり日本にはないような丘にいるようだ。果てしない草原が続いている。正面に見えている木。とてつもなく大きな木が生えている。幹だけで東京ドームくらいはあるのではないだろうか、それともここからは確認できないがそれ以上の太さがあるのだろうか。
「そう・・・か」
察していたとはいえ面食らってしまい唖然としてしまった。
「なぜ、俺を連れてきたのか?とかは聞かないんだな」
パグのほうから質問を提示してくれたおかげで、考えることを放棄していた脳が回転した。それと同時になぜか少し会話がしてみたくなった。
「確かに聞いた方がいいな。お前の名前は?」
パグは最初にお前に確認しないといけないことがあると言っていた。ならば間違いなく俺でないといけないことがあるのだろう。心当たりがないわけではないので一度それは放置し、まず名前から聞いてみることにした。
「全く別の話じゃないか。変わったやつだな。まぁいい。俺の名前はトレットだ」
「え、トイレット?」
トレットは一瞬の迷いもなく噛みかかってきた。そんな馬鹿な、トイレットが伝わるなんてな。偶然にも博識であるこの犬に厄介さを感じずにはいられなかった。それとも異世界にトイレットなんて伝わらないとあたりを付けた俺が悪いんだろうか。
しばらくここに連れてきた理由も聞かずに適当に話をしていると遠くから女性の声だと思われるものが聞こえてきた。
「やめなさい!あなたたち何が目的なんですか!」
おいおい嘘だろ。俺の大嫌いな面倒くさいことナンバー1女性の悲鳴だと。いくら聞こえたからといっても対応したくないに決まっている。それはおろかこの悲鳴の内容、明らかに誰かに襲われてる。こういう時アニメとかでは盗賊に襲われているパターンが最高に多いわけだが今回はどうなんだろうな。なんとなくあたりを付けてみたけどとりあえず助けるかは迷うところだ。だが見捨てるのもそれはそれで面倒くさい。あとで後悔はしたくないしな。
「はぁ、めんどうくさい・・・。」
「おいおいまさかとは思うが助けに行くつもりか?別に止めはしないが、おすすめはできんな。」
まぁそれはそうだろうな。そもそも俺はこの世界について何も知らない。一連のトレットとの会話で判明したのは、こいつが好きな食べ物だとか、普通の犬と同じ習性なのかとかそういう個人的な情報ばかりだった。少しは真面目に話を聞いておくべきだったかもしれないな。と考えているうちにすでに俺は声の方向へ走り始めている。緊急性を要するときこそ慎重になんて話はよく聞くが、俺は緊急の時には考えながら行動してしまうタイプだ。よくない癖だとわかっていてもなかなか治らないものだ。
走っていると集団が見えてきた。やはり俺の予想通り盗賊なのだと思える。あまり清潔感のない服装のむさくるしい数十人の集団が、馬車と数人の騎士のような人たちを囲んでいる。その中心にはきれいな服を着た女性がいる。おそらく先ほどの声は彼女のもだろうと予想できる。
だが同時に、なんていうありがちなストーリーなんだと思える。異世界に来てすぐトラブルが発生して女性が囲まれている。俺はそれを助けようとしている。王道にしてテンプレート。そんなことを考えながら集団に接近をして声をかける。
「おい、やめときんさい。きっと盗賊か何かなんだろうが、この馬車には宝なんて積んでないように見えるぞ。こんなことをしてもお前らの満足いく結果にはならないと思うぞ。」
「馬鹿が!俺らが用があるのはその女そのものさ!邪魔をするならお前も騎士たちと一緒に殺すぞ。」
少し前から気づいていたが、騎士たちの死体が馬車の周囲に点在している。どうやらすでに何人か被害者が出てしまっているようだ。
「あいつやっぱり普通じゃぁねえな・・・。」
少し離れたところから現状を確認しつつトレットは状況を分析している。そもそもハクはなぜ人の死体を見ても落ち着きを保っているのだろうか。数十人もいる盗賊の前に出て抗議ができるのだろうか。異世界という真実を告げられても先ほどの会話では終始落ち着いていたし、謎が多い。
なぜトレットが黒城白を連れて来たかというと、ある女性にそうするように指示されたからでしかないのだ。実際先ほどの会話でそのまま連れてきた理由を聞かれていても、トレットには答えることができなかった。だから、理由を確認するためにその女性に会いに行こうと提案するための一連の会話だったのだ。女性はハクを連れてくるように指示を出したとき、心底うれしそうにしていた。普段表情の薄い彼女であったため、トレットは心底不気味に思ってしまっていたのだ。
「この女性が目的・・ねぇ。まぁいいや警告はしたからな。」
まじかよこの女、かまをかけておいてよかった。これでほぼ100%どこかの国、または集団の重要人物確定か。わけのわからない状況で正直かかわるか迷うところだが、ここまで来たら勢いに任せちゃうか。
「ちっ。わけのわからん奴だな。野郎ども、殺しちまえ!」
今までの会話の内に数えておいたが、野党の人数は23人ってところだった。ギリギリの勝負になりそうだな。対集団はかなり久しぶりだが、まぁ何とかなるだろう。問題はあの集団のボスらしき奴の周りに5人ほどいるローブの奴らだな。さすがに魔法は相手をしたことがないが、この世界魔法があるっぽいな。油断してくれているうちに、接近してくる奴は倒しておきたいところだ。
「このいかれ野郎がっ!できるだけ苦しめて殺してやるよ」
盗賊たちの内4人がまずこちらに向かってきた。それ以外は様子を見ているようだ。特に陣形を組むわけでもなく一番初めに声を上げた盗賊が剣を大上段から振り下ろしてきた。こんなにもわかりやすい攻撃をしてくるとは、よほどこちらをなめているようだ。剣が触れる寸前までは放置でいいだろう。
剣を振り下ろしている盗賊は自身の剣を振り下ろすまでに何の動きもないハクを見て、こう考えていた。こいつおびえていやがるぜ。楽勝だ。今までと何の変りもない雑魚だったみたいだ。へへへそれにしてもこんなに簡単な商売があっていいのかよ。後ろの女もいい女だしな、あとでお頭にお願いして、手を出しちまおう。盗賊はこの後のことを考えながら下卑た笑みを浮かべた。
そして剣が当たる寸前にそれは起きた。遠くからハクを観察していたトレットは状況が理解できなかった。盗賊相手にハクが痛い目にあい、この世界の厳しさを知ってもった後に助けようと考えていたので、現状が理解できない。ハクにぎりぎりまで肉薄していた盗賊の剣がハクにあたる寸前、盗賊が回転した。1回転ではない。まるで側転をするようにありえない速度と回数で回転する盗賊をトレットは唖然として眺めていた。
ハクは辟易していた。弱い、せっかくの異世界だというのになんという戦闘力の低さなんだ。盗賊が何の工夫もなく振り下ろしてきた剣を素手ではじきながら、その手でそのまま裏拳を盗賊に当ててハクは考えていた。続く盗賊に素早く接近して軽くジャブを放つ。盗賊はハクの動き出しを側転する仲間のせいで見失っていたので気づくことができず何の抵抗もできなかった。そのままその盗賊は倒れた。
接近してきた盗賊の内残り二人が目を覚ましたようにハクにさらに接近し、二人同時にハクを切りつけた。その二振りは空を切った。盗賊2人はわけがわからなかった。急に表れた男に仲間2人が一瞬で倒されたこと、重力を無視したように狂った回転を見せる仲間に何の変哲もなく軽く殴られただけで立ち上がらなくなってしまった仲間。気づけば残りの二人の盗賊は乾いた笑みを浮かべながら気を失っていた。ここまでで最初の盗賊が剣を振り下ろしてから、わずか5秒ほどしかたっていない。
「おい野郎ども!一斉にかかれ!油断するんじゃねぇ人数で押しつぶせば余裕だ!仲間が接近する前に一度魔法を放て!」
へぇ。正直見直した。指示自体はそこまで的外れじゃないな。一つ問題があるとすれば最初からそうするべきだったというだけだ。
「ファイアーボールっ!」
魔法使いが一斉に魔法を放ってきたな。見たところバスケットボールくらいの大きさの火の玉が大体ドッジボールの全力投球くらいの速度で飛んでくる感じか。なるほど問題は着弾時に爆発するかどうかだけだな。
「魔法か。初めて見たが今のところそこまで脅威は感じないな。」
そういいながらハクは近くに倒れている盗賊の内一人をファイアーボールに向かって投げた。
次回ようやく主人公の容姿を説明する描写が出てきます。