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7. 友達童貞

 今日も大学の講義が終わると、本屋にて勤労にいそしむ。

 本棚にならんだ商品の整理をしながら、レジにたつ兎月さんの姿をチラリと見る。

 淡いピンクの服を着て、すっと背筋を伸ばす姿を見ているとフラミンゴが頭に思い浮かぶ。この前、動物園にいったせいなのかもと、誰にも気づかれないようにそっと笑みを浮かべてまた作業に戻る。


「えー、いいじゃんかよ。なっ、バイト終わる時間までまってるからよぉ」


 立ち読みの客が本のページをめくる音と、店内に流れる控えめなBGMの中で、その声は一際目立っていた。

 何事だろうかと顔を向けると、レジの前にたつ金髪頭の男が立てた声だった。兎月さんは困ったように、いや実際に「困る」と口にしている。

 このときの動揺は言葉につくせないもので、体が震え手にじっとりとした汗をかいていた。

 どうしようかと助けを求めて店長の姿を探すが、どうやらバックヤードにいるようで見つけることができなかった。

 それから、二言三言会話が続くと、意外と男はあっさりと引き下がっていった。


 兎月さんを見ながら大丈夫だったか声をかけるべきか迷っていると、なんでもないといった感じで愛想笑いを浮かべながら手を振っている。


「かっこわりぃ……」


 自らの醜態にため息をつくことしかできない。武器になるかもと握り締めていた分厚い本を元の棚に戻しておいた。


 アパートに帰ると、布団のうえで膝をかかえてすわりながら、今日の出来事を思い出しては一人で反省会を開いていた。どうすればスマートに彼女を助け、解決することができただろうかと。

 でも、ひとりで考えていたって結論なんてでるわけもなくて、結局同じ思考がぐるぐると堂々巡りしているのだった。



 次の日、大学の体育館にて体育すわりをしながら、ひんやりした床の触感を堪能していた。

 教育学部との合同授業ということで、まさか、大学にきても体育という授業があるとは思わなかった。

 そして、高校のときと同じようににぎやかな連中から距離をとろうとする。談笑する声、爆弾にも似たバカ笑い。同じ大学にいるというのに、そんなにお楽しみになれるようなことが毎日彼らの中では起きているのかと、首をひねりたくなる。


 露骨に離れた位置にいることもできず中途半端な位置で所在なさげにしていると、見慣れたはずの茶髪頭がチラリと見えた。知り合いと楽しげにおしゃべりをしている姿はいつもより遠い存在に感じられるのだった。


 やがて、体育の講師がはいってきてこれからスポーツテストを行うという説明のあと「それじゃあ、二人一組になって柔軟体操」という死刑宣告に近い言葉に意識が飛びかける。


 周囲では、近くにいたものたちで「やらない?」と呼びかけ、「いいよー」と軽い答えとともに、知り合いっぽくない相手とすぐにペアを作っている。

 互いに愛想笑いを浮かべながら適当な距離を測っていく彼らを見ていると、ほんとに同じ人間なのだろうかと疑問に思ってしまう。


「へいへいへーい、なっ、ようよう」


 やたらと陽気のいい声が手拍子つきで聞こえてきた。ふりむくと、原色の鮮やかなジャージをきた金髪男が近づいてきていた。その金髪はバイト先でみたものと一緒であった。


「一人だろ。やろうぜ、なっ」


 勢いにのせられるように、両腕を組みお互いの体重をつかって筋肉をほぐしていく。お互いのひじを組んで背中合わせになったところで、肩越しに話しかけられた。


「おまえ、兎月さんと仲良いらしいよな。バイトも一緒なんだってな」


「んん?」


 おかしなことを聞かれ、兎月さんを兎月を間違えるなど月とスッポンを間違えるようなものだと訂正しようとする。しかし、背中合わせのままひじを支点にして体をグイッと持ち上げられ、天上の照明が目に映りまぶしかった。

 地面に戻ると、今度は足を伸ばしながらつま先に向かって指を必死に伸ばす運動にうつる。金髪氏の話も伸びていく。


「オレって、あの人と同じ教育学部なんだけどよ。おたくと仲良さげにしてるとこ見かけてさ~。まさか、つきあってたりとかは、ないよな?」


 またもおかしなことを言われて上体をもどそうとするが、ぐいぐいと背中を押される。普段動かさない部分が悲鳴を上げる。


「ち、ちがうよ。それに、ボクはただの……」


 ただの、なんだろうか? 友達、それとも知り合いなのか口にだそうとしたところで、講師が鳴らす笛の音が響く。


「ふーん、ただの知り合い程度ってことか。それならいいや、じゃーな」


 用は済んだとばかりにさっさと離れていく金髪男の背中を見ながら、なんとなく彼の意図は伝わっていた。

 同時に、胸の奥にもやもやしたものを感じる。それは焦りにも似た初めて経験する感情であった。


 

 夕方5時前に、バイト先に着くがいつも先に来ている兎月さんの姿は見えなかった。休みだろうかと残念に思っていると、ばたばたという足音ともに、彼女が姿を現す。


「すいません、遅れました」


「まだ大丈夫だけど、今日はなにかあったのかい?」


「大学のほうのガイダンスが少し長引いてしまって」


 店長と話す兎月さんにはいつものような余裕はなく、かなり急いできたようだった。

 自分の学部ではなかったものだったが、彼女の学部だけであったものなのだろうか?



 休憩時間になると、従業員用の控え室でパイプ椅子にすわりながら、今日の体育のことを思い出しては悶々としていた。

 気づくとため息が何度もでていき、そのうち体中の空気が抜けてしぼんでしまいそうだった。

 そこにガチャリとドアの開く音がし、兎月さんが入ってくるのが見えた。


「今日は遅れそうになっちゃった。いやあ、油断してたよ」


 照れたように方頬だけをゆるめる笑みを浮かべる彼女が座った場所は、休憩室の長テーブルを挟んで斜め向かいだった。

 それは、図書館での兎月とボクの座る位置と似ていた。


「ふむ」


 隣でも真正面でもなく、斜向かいの位置から兎月さんがボクの様子をじっと見ていたかと思ったら立ち上がり休憩室から出て行く。


 戻ってきた彼女の両手にはそれぞれ一本ずつ缶コーヒーが握られていた。一つはボクの前に置かれ、彼女は自分の分をおいしそうにのどを鳴らしながら飲み干していく。


「やっぱ、この甘さはいいよね~。ガツンとくるよ。いやなことがあったときはこれに限るね」


 礼を言ってから一口のむと、砂糖と生クリームからの強烈な甘さが口に広がった。自販機に並べられている中で、一番甘いやつを渡されたらしい。


「あの、ひとつ相談いいですか?」


 いいよー、といいながら兎月さんはリラックスした状態で柔らかい笑みを向けてくる。


「……他の人ってなんであんなに普通に話せるんですかね。その日、初めてあったひとと友達みたいに」


「おや、唐突だね」


 まったくそのとおり唐突な話題の振り方だった。逆の立場になって聞かれたとしても、知らんがなと答えるしかないだろう。


「す、すいません。変なこと聞いて……、忘れてください」


 急に恥ずかしさを感じ、パイプ椅子を軋ませながら立ち上がり休憩室から急いで出て行こうとする。

 だいたい、なんでこんな話をしたのだろうかと痛々しさを感じる。ボクの話にはいつも痛みばかりだった。


 一人で結論を出そうとするボクにむかって、手が伸ばされる。白磁のような手は兎月さんのものだった。


「ちょい、ちょい、待ちなさいって。まだ話は終わってないよ。キミはちょっと思い込みが激しいみたいだね」


「すいません」と謝りながら再び腰を下ろす。


「まずだね、キミはなんだか“友達”というものにずいぶんとこだわりがあるように見えるよ」


 経験したことのない対象“友達”は、頭の中で想像と妄想まみれになっている。


「なんていうか、そのさ、恋に恋している乙女のようだね。経験してみると、けっこうあっさりしたもんだよ」


 つまりボクは友達童貞ということなのだろうか。

 そうだ、ボクは友達という存在に恋焦がれている。

 友達ができたら、世界がバーっと広がって劇的でファンタジックなことが起きたりするのかもという憧れでいつも頭の中は一杯だ。

 

 高校時代、友達とはどんなものだろうかとクラスメイトを観察していた時期があった。たわいもない話で盛り上がりふざけあっている彼らは、きっととても素晴らしい体験をしているのだろうとうらやましく感じていた。


 兎月と過ごした時間は、ソレに似た何かを感じていた。もしかしたら、ボクとあいつは友達なのかもしれない。だけど、それをどうやって確かめればいいのかわからなかった。


 高校の頃、兎月といつか話したことがあった。友達と知り合いの線引きはどこからできるのかって。

 兎月さんならわかるかと期待をこめて聞いてみるが、「わかんないや」と形のいい眉をハの字にしながら答えが返ってきた。


 

 次の日、講義が終わるといつもどおり図書館にいくが、兎月は姿を現さなかった。

 珍しいこともあるものだと思いながら、バイトにいくと店長がボクの肩をポンと勇気付けるように叩く。


「兎月さんなんだけれど、二日ほど休むらしいから。その間ちょっと大変だろうけど、一緒にがんばろうか」


 店長の言葉を聞き、カパリと口と目が開く。いまのボクの顔をみたのが兎月なら、埴輪みたいだと笑い転げたことだろう。

 その兎月も次の日から、姿を現さなくなった。

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