4. 三者面談とギャルとクレープ
2年の終わりも近づくとそろそろ進路を決める次期が近づいていた。
進路調査票を配られ、文系か理系という二者択一をつきつけられる。ボクとしてはどっちでもいいと親に答えたら、しっかりしなさいと説教を喰らった。
それから、数週間後、三者面談の日がやってきてしまった。
いつものエプロン姿から一転してスーツ姿の母親と一緒に、面談室前に並べられたパイプ椅子に座っていた。高校生ともなると、母親と一緒にいるところを同級生にみられるのは気恥ずかしいもので、落ち着かず、そわそわとあたりに目線をさまよわせ、結局目の前で赤くなっているストーブの上で止まった。
放課後の校舎内にはひと気は少なく、校庭から野球部の掛け声とボールを打つ金属音が聞こえるぐらいなのも、よけいに気持ちを落ち着かなくさせていた。
母がさきほどからチラリチラリと腕時計に見返している。待っている間に体が冷えたのか、ストッキングにつつまれた足をすり合わせていた。
既に予定していた面談時間を過ぎているのに、前の順番のひとがつかえているようだった。
さっきから、面談用の部屋として使われている教室からは、女性の高い声が聞こえてくる。
『うちのウサちゃんったらね』『ウサちゃんの』『ウサちゃんが』というセリフはもう10回以上は聞いた気がする。担任の先生とペットの話ででも盛り上がっているのだろうか。
約束の時間を20分ほど過ぎた当たりでようやく中の声が落ち着き、ガラリとドアが開いた。
まず最初にでてきたのは、地味な紺色のスーツに身をつつんだ中年の女性だった。この一見するとどこにでもいそうな普通のおばさんが、さっきまで『ウサちゃん』と高い声を出していた人物なのかとギャップに驚く。
さらに驚いたのは、その後に続いて出てきたのが、兎月だってことだった。そういえば、下の名前は卯沙だったのを思い出す。
顔にはげんなりしたような疲れの色が浮かんでいて、化粧もいつもよりおとなしめなせいか、よけいにつらそうに見えた。
目が合うと、眉を下げながら拝むように手を合わせてきた。
「ごめんね~、遅れちゃって。次はカメキチだったか」
「いや、いいけど、いろいろ話し込んでたみたいだね」
「あー、うん、まあね。話してたのは、ほとんどうちの母親だけだったんだけどね……」
兎月が口を開こうとしたところで「なにやってるの、早くしなさい」と、廊下の先からイラだった声が響く。
「それじゃ」と短くいって小走りで去っていく兎月の背中は、いつもと違って小さく見えた。
自分の面談はというと、成績の話から「おたくのお子さんは理系向けですね」という担任の言葉で、母親もさもありなんといった感じでうなずいていた。
特に反対する理由もなく、じゃあ理系でいこうと進路がめでたく決定した。
話は成績から校内での生活態度に移り、担任から投げられた「おとなしい優等生ですよ」というオブラートにつつまれた言葉を受け取ると、母からは「昔からこの子は消極的で友達もできなくて」と、ボクのほうに牽制球を投げつけてきた。
スリーアウト、試合終了。担任と母の話を聞くふりをして愛想笑いをうかべながら、膝の上でギュッと拳をにぎっていた。
校門前で母と別れると、無性に走り出したくなった。友達なんて概念が存在しない荒野を目指して走っていると、冬の冷たい空気に白い息が吐き出されてはすぐに散っていく。
5分ほど走った頃だろうか、わき腹がいたくなって歩いていると、甘い香りが鼻を刺激した。
新築マンションの脇に隠れるように、猫の額ほどの小さな敷地に建てられた屋台。色あせたピンク色の屋根の下で、おそらくバイトであろう大学生ぐらいの女性がヒマそうにしていた。
白い三角巾のすき間から見えるススキのような乾いた茶髪と気だるげな目つきのせいで、余計にこのクレープ屋が繁盛してないことをアピールしていた。
近づいてきたボクの姿に気がつくと、「いらっしゃいませー」とそれなりの愛想で対応してくれたので、この店が機能していることがわかった。
「いちごクレープ、ひとつ」
「まいどどーもー」
熱した円形の鉄板にクレープ地の元がたらされ、薄くのばされるとあっというま固まっていった。
「あれ? カメキチ」
手馴れた作業風景を眺めているところに、急に声にかけられ驚きながら振り向く。店の脇につきたてられた賑やかなカラーをしたパラソルの下には、コートを着込み、クレープを片手にプラスチックベンチに座る兎月の姿があった。
「面談終わったんだね。おつかれー」
「ああ、うん」
予想外の人物がいたことで混乱する頭に、焼きあがったクレープを手渡された。
なにを話せばいいのか、それともすぐに立ち去るべきかと悩んでいると
「どうしたの? 座りなよ」
なんて返事をしたかわからないが、あ、はい、ともごもごと口にしながら距離を離すようにベンチの端に座った。
「そのクレープ何味?」
「いちご」
「あんまり警戒しないでよ。この前みたいにとったりしないからさぁ~」
文化祭でのことを思い出しケラケラと笑う兎月を横目に、クレープにかぶりつく。生クリームの甘さのあとにイチゴの酸味が広がった。
「面談どうだった?」
「……ふつう」
「そっか、ふつーかぁ~」
何がおかしいのか、兎月はまたも笑っていた。
「たぶん待っている間、聞こえたと思うけど、あたしのときはだいぶしんどかったなぁ」
「まあ、うん」
例の『ウサちゃん』と連呼するカン高い声を思い出し、あいまいなうなずいてみせる。
「うちの親ちょっとかわってて、小学校の授業参観のときもあんな調子でね。中学校のときも同じ感じでさぁ、友達にからかわれちゃってね。そのとき、うちの親って変わってるんだなぁわかってさ~」
「そっか」
兎月の視線は、雲ひとつない冬空に向けられていた。
「それで、親に文句いったらケンカになっちゃってね。そんときに繰り返しいうんだよ、あなたのことを思ってやってるのよ、ってさ」
兎月はため息をついた後、「マジうけるし~…」と力ない笑顔をうかべる。
なにか言おうと思うけれど、ずきずきと頭が痛むだけで変な顔をすることしかできなかった。
「ごめんね! 変なこといっちゃって、こんなのあたしのキャラじゃねーよな」
兎月は勢いよく立ち上がると、パンと音を立てながら拝むように両手を重ねた。
「別に変じゃないよ……。ボクだって、面談のときに友達ができないこといわれてさ。すごく、イヤだった」
「マジで!? それいっちゃうとか、カメキチのとこの親、まじ鬼畜だわ~」
それからは二人で延々と親に対する愚痴をこぼし続けた。
兎月の口からはわかるー、それな、という言葉を聞くことが多かった。適当ともいえる受け答えだったが、それを言葉にするときの彼女の表情はくるくると変わり続けていた。
「あたし、大学いったら絶対一人ぐらししてやるんだ。だから、いまのうちからバイトで金ためてるんだぜ」
「そっか、えらいな、兎月は」
「え、いや、急にほめるなよ~。カメキチはバイトとかしないの?」
照れたようにバシバシと肩をたたきながら上機嫌な声を出す兎月には、いつもどおりの明け透けな笑顔が浮かんでいた。
「うーん、今はムリそうだし、大学はいったらやってみようかな」
「おー、いいねいいね。そんときは一緒にやろうぜ」
「でも、兎月はうるさそうだし……、一緒にやるのはちょっとなぁ」
「なにを~!」
兎月は両腕を水平にかまえると、たりゃ~という掛け声とともに飛び掛ってきた。ボクの頭を捕まえると、ひじをつかって胸にホールドしながら、ぐりぐりと指の関節でこめかみをいじめだした。
「いたい、ギブギブ!」
じゃれつくボクたちに屋台の店員さんから冷たい視線が突き刺さるのを感じ、頬を赤らめながら兎月の腕から抜け出した。
もしも、友達がいたらこんなふうにふざけあえるのかもしれない。
兎月を友達と呼べるのか、いまだボクにはわからなかった。