君と野生
その目はまさに野生そのものだった。
第一章 日常
7時36分。窓から差す光で目が覚める。
何て心地の良い朝だろう。
君は私の首もとを枕にしてグーグー鼻息をたてて寝ている。
小さい頃からひいていた風邪が未だに治りきっていないのだ。
私がスマホを取ると、君は首をあげてあくびをした。
まだ眠そうだ。モゾモゾと動く私を怪訝そうな顔で見つめる。
私は君の頭を撫でた。とたんに気持ちよさそうな顔をする。
そして君はまた寝てしまった。
私は顔を洗うために布団から出た。
君はまだ寝ている。
家が古く、階段を下りるとギシギシと軋む音がする。
その音を聞いてか、君は起きた。
そしていつものように私に付いてくる。
私は顔を洗い、着替えをするために部屋に戻る。階段を上る。
君は付いてくる。
私が着替えを探していると、君は「ごはんをちょうだい」という風に鳴く。
そして足にまとわり付き、邪魔をする。
私は着替えを探すのを止めて、ごはんをあげる。そしてまた着替えを探す。君はごはんをムシャムシャと食べている。
なんてこと無い1日の始まりだ。
いつもと変わらない。
第二章 休日の昼こそ
10時を過ぎ、今日やることを整頓するためイスに座りお茶を飲む。
亀の水替え、鳥のエサやり、水交換、部屋の掃除に、本の整頓。確か今日は頼んでいた物が届く日だった。
やることがいっぱいだ。
窓を開け、扇風機をまわし、まずは空気の入れ替えからだ。
私が窓を開ける。そしてその瞬間を君は逃さなかったようだ。
君は2階の窓から飛び出した。
「あっという間」とはこう言うことだ。
「あっ」とも言えただろうか。
華麗且つ俊敏な逃走劇だった。
丁度外は昨日の夜降った雨でグチャグチャだ。
捕まえる事が優先だが、その後のシャンプー、ドライヤー、
あれやこれやと考えると今日の予定は全てチャラになってしまった。「この野良猫め」と内心思ってしまった。
第三章 猫の恋は予定崩し
外は暖かく、日も長い。
風は少々冷たいが、寒いと言う程でもない。
華麗且つ俊敏な逃走劇の主役は今どこで何をしているのだろうか。
私は外に出て君が行きそうな場所を探す。名前を呼ぶ。
しかし、ここは路地裏が多過ぎる。
ましてや、人と人との家の間なんて、探している私が怪しまれそうで近付けやしない。
私は途方に暮れてしまった。
結果「お腹が減れば帰ってくるだろう」という、
何とも楽観的な考えで探すことを止めてしまった。
窓を開けたまま、部屋を片付け、掃除機をかけた。
15時頃、外から聞き慣れた鳴き声が聞こえてきた。
急いて階段を降りて、玄関を開けた。
するとそこには、朝見た時とは変わり果てた、泥だらけで枯れ草を体に引っ掛けた君がウロウロとしていた。
私の考えは的中し、シャンプーは必須だった。
汚れた首輪を外し、お湯を出して洗っていく。
「どこをほつき歩いてたんだ?」と聞いても、
君は顔に水が付くことの方が心配の様だった。
お湯である程度の泥を流し、シャンプーをする。
新しく買ったシャンプーは私の好きな香水が消えかかる時の香りに似ていた。
君は「早く終われ」と言わんばかりに動かない。
幼い時からシャンプーをしても騒がない所は褒める対象でもあった。
シャンプーの泡を流して、最後にお湯で顔をさっさと洗う。
バスタオルに素早く包み、階段を駆け上がる。
ドライヤーの音は未だに嫌いな様だが、それももう慣れてしまったようだ。
冬毛が残っているせいか、早く乾かない。やっと乾いたと思えば君は逃げ出してしまった。私はドッと疲労感がこみ上げるのを感じた。
最終章 その目に映るもの
少し疲れた私はベッドに横になり、
今日出来なかった事を考えていた。
「あぁ、せめて亀の水は変えなきゃ」と思ったが体が動かない。
ベッドに体がくっついてしまった様だった。
ふと窓の方を見ると、君は窓の棧の上に座り、外を眺めていた。
私はシャンプーをする時に外した首輪を付けるのを忘れていた。
そこには本来の君の姿。首輪があった跡など微塵も無く、黒く艷やかな毛が頭から尾まで、まるで一枚の布のように、
そして沈みかけの太陽の光を反射させていた。その目はまさに野生そのものだった。外へ出て何を見たのかは見当もつかないが、その目はいつもの君とはどこか違った。
「何を見てるの?」と咄嗟に聞いたが、君はどこかを見つめている。
ただそれだけだった。
私は郵便物を取りに下に降り、また二階へと戻った。
君はまだどこかを見つめているのだろうと思ったが、
君は私の枕の上でグーグーと寝ていた。
「なんだ。いつものと変わらないじゃないか。」
そう思ったが、先程の目はやはり野生の目だった。
私の目から焼き付いて離れない。
どれだけ可愛がろうと、美味しい餌を与えようと、
君の中の野生は何かをきっかけにその皮を破り、
私にその様を見せるのだろうと思った。
そして君の中の野生はまだ生きているのだと私の中の野生が吠えた。