魔王ヴァンVS勇者ナツメ
第六界 東ノ宮西方 魔王城近郊
城というより塔に近い長さと高さ。雲まで伸びたその造形の魔王城は偽夜城とも呼ばれている。
東ノ宮が建国されるより以前に城が現れてからというもの、辺り一帯は一日中夜のようになってしまいそれ以降陽の光を見ることが出来なくなっている。そのおかしな現象と不気味な城の存在、そして城を撤去しに来た都の兵達を次々と葬った事が相まって今では城の周りには一切人が寄り付かなくなっていた。
「オラもっと飛ばせクソ犬共っ!!!」
豚男のトムはチャリオットに乗りながら不機嫌そうに目の前でよだれを垂らしながら激走している三匹のジャイアントウルフに鞭を入れていた。長い間この三匹を使っているからこれ以上のスピードが出ない事は分かっていた。しかしトムは半ば八つ当たりのように普段の倍近く鞭を入れた。
今からおよそ一週間程前にトムは近隣の村々を襲撃して可愛く若い娘をたくさん仕入れていた。そして今日はその娘達に可愛い服を着せてお気に入りの写真機を使って撮影会をする予定だったのだ。そのために各界隈の衣装という衣装を吟味してきた。
そして撮影会前日、オケラから電話が来た瞬間嫌な予感と悲しい気持ちが混ざりあったような感覚に陥った。本当は城に戻らずに撮影会に打ち込みたかった。しかし魔王軍に入ってから一つも文句を言わずに魔王の相手をしているオケラの頼みはどうにも断れなかった。
「おとなしくオケラを城に待機させておけば良かったものを・・・。あのクソ魔王がぁっ!!!!!」
既にトムは魔王城を視認出来る距離まで近づけていた。都から魔王城まで相当な距離が離れており今までの勇者達も到着するのは早くても三日はかかっていた。情報によると都で召喚の儀が行われてまだ半日程度しか経っていない。どうやら勇者達より先に城に帰れそうだと思いトムは少し安堵した。
そう思い正午の夜空を仰いだ時だった。星たちの輝くその空に一筋の流れ星が流れた。最初はそれをトムはなんとも思っていなかったがその流れ星は一向に消える様子も見せず魔王城に向かってその光を走らせている事に驚愕と焦りを感じさせた。
「えっ・・・?・・・いやいやウソだろぉ!?いくらなんでも早すぎんだろぉ!!?」
本来魔王城は下の城門から入って建物内の階段を上って行かなければ魔王のいる部屋にはたどり着けない。魔王城の周りの空間に張られている結界、そして超巨人”ノッポ”が城の前を守っていたからだ。しかし今ノッポは海水浴、結界に至っては現状張られていない魔王城の様子から察すると結界をかける事が出来る魔王ヴァン本人が絵を描くことに夢中になって忘れているのだろう。
流れ星は魔王城に近づくにつれて徐々に本当の姿を見せ始めた。白銀の巨大な鱗と翼のドラゴン。オケラの報告には無かったが間違いなく勇者の一人が従えている神使だとトムは思った。
「・・・あーやべぇよやべぇよ、これは間に合わねぇよ。」
トムは魔王の無事を祈るように天を仰いだ。
流星に似た光から人影が一つ。小柄な体型に反して不釣り合いな長槍を携えた少女、勇者ナツメ。ドラゴンの背中に乗って魔王城の最上階の周りを減速しつつゆっくり旋回してみると両開きができる窓が親切にも四方全て開いていた。部屋の中からは明かりは一つも見えない。
「・・・うん、罠臭いけど・・・とりあえず突っ込むか!」
ドラゴンはナツメの言葉を聞くと体勢を立て直した後魔王城に向かって空中から体当たりを仕掛けた。当たった時の衝撃とその勢いは並の建物ならば十分崩壊させる程だった。しかし魔王城は崩壊どころか傾く事もなく何事もないかのようにそこにそびえ立っていた。それに驚く事無くナツメは衝突時の反動を利用してその場でジャンプした。そして開閉されている窓からそのまま魔王城の中に突入した。
「うっし!!一番乗り・・・っ!!!」
ナツメは着地と同時に身をかがめて掛けていたゴーグルを外した。部屋の中は外と同様夜のように暗いが月明かりのおかげか自然と辺りを見渡せた。部屋の壁のほとんどが本棚になっておりそこには絵に関する書物がほとんどだった。部屋のあちこちには三脚の画架にキャンパスが掛けてありそこには渓谷や海、動物や果物など多彩に描かれていた。そしてそれらの絵はとてもリアルに、真実味のあるものだった。ナツメは絵心は無かったが素直に上手だと思い魅入っていた。しかし突然部屋中に備え付けられている明かりが灯りはじめナツメの後ろから小さな物音が聞こえた。ナツメは不意を突かれたと思い素早く後ろを振り向き槍を構えた。
目の前には人間ほどの背丈、やせ細った体つきに黒く染まった二対の悪魔の翼。形の違う二本の角が頭から生えており肌は赤黒く染まった存在がいた。
「魔王、ヴァン。」
ヴァンは縦縞の入ったステテコパンツ一丁の格好でナツメと向かい合うように部屋の中心に設置された洋式便器の便座に座り特に目の前の敵を気にする様子もなくキャンパスに向かって黙々と筆を置いていく。
ナツメも相手の様子を特に気にすることなく携えていた槍を構える。手元から刃先までナツメの明確な殺意が伝わる。同時に槍を纏う刺繍入りの布が独りでに解けた。そこから見えてくる槍の柄には不気味な二体の蛇の紋様が刻まれている。先端の刃は鬼鍛冶にしか打つことが出来ない一級業物『白獄』。
「主よ、我らを悪より救い出したまえ。」
目を瞑り、そう言い終わったと同時に目を見開きナツメはヴァンに向かって飛び掛かる。ヴァンはナツメが飛び掛かっているにもかかわらず気にも留めずキャンパスに筆を入れ続ける。
しかし突然ヴァンに訪れるくしゃみの兆候・・・っ。あまりに突然だったためヴァンは防ぐことが出来なかった。キャンパスに向かってのくしゃみ。魔王クラスのくしゃみになると普段人間がしているくしゃみと同じ規模の物ではない。
「ぶえええええッくしょしょしょしょほぉおおおおおおおおおうううううい!!!!!!!コラァ!!!」
大きなくしゃみの快音とほぼ同時にキャンパスに風穴を開けた。そして後ろにいたナツメまでヴァンのくしゃみで後方に吹き飛ばされた。
「っ・・・・!!うおっ・・・!」
ナツメは槍を杖代わりにして何とか城の外に出ないよう踏みとどまれた。腹部に鈍痛が響いてくる。致命傷には至らなかったが並の人間だったら即死していただろう。ドラゴンとの契約で身体の耐久力が上がっている証拠だ。
ただのくしゃみの筈なのに。ヴァンの方を見てみると明らかに様子が変わっていた。パレットと筆は床に散乱しており、ヴァンは丁度自分が描いた絵の真ん中に風穴が空いているキャンパスを両手で掴みながら狼狽え、そして絶叫する。
「あ、・・・・・・・ああ・・・・・・・・・・あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」
その絶叫もとても人間のそれと同じではなく、怪物の咆哮と言う方が正しかった。
咆哮と同時にヴァンの辺りに衝撃波が起こる。部屋中に置かれた画架やキャンパスが軒並み吹き飛ぶ。ナツメは衝撃波を受け止めきれずに城の外に放り出された。なすがままに空中を落下している所を白銀のドラゴンが背中で受け止める。
「だーくそっ。お腹と耳痛い・・・。流石魔王、やっぱり簡単にはいかないかぁ・・・。」
ナツメの耳に城のふもとから音が、走る車輪の音が聞こえてくる。下を覗くと豚の姿をした化け物がチャリオットに乗りながら城の外壁をほぼ垂直の状態で駆けのぼりながら頂上に向かってきている。
「・・・意外と早かったじゃん。」
ナツメは下の様子を見て苦笑い後一度目を瞑った。そしてゆっくり深呼吸してドラゴンを二度やさしく叩いて話しかけた。
「ごめん、シロ。あと一回だけ行かせて。」
それに応えるように、シロと呼ばれた白銀のドラゴンはナツメを背中に乗せたまま再び最上階に向かって飛翔する。
ナツメが再び最上階に来るとヴァンが落ち込みながら部屋の片づけをしていた。
ヴァンの様子を確認した後再びシロの背中から魔王城の中に突入した。物音はしたはずだがヴァンは特に気にすることもなく画架にキャンパスを掛けていく。ナツメは先ほどよりやや低い姿勢からヴァンに槍が届く距離まで一気に飛び込んだ。
ナツメは中段の構えから捻りを加えた突きをヴァンの心臓目掛けて繰り出す。しかしヴァンは背後から突かれているにもかかわらず持っていたキャンパスでナツメの突きを振り向きざまに弾いた。とても並のキャンパスからは想像出来ない金属同士が弾ける音が聞こえてきた。
ヴァンによる強化術『孑孑』。魔族の中では下級の強化術ではあるが魔王クラスの使用となると勇者の一撃を弾く位は造作もない。
ナツメは驚くそぶりは見せずそこから二段、三段と次々突きを繰り出していく。しかしヴァンは顔色一つ変えずにナツメの突きをいなしていく。流石にナツメは苦虫を噛み潰したような顔になり一旦後ろに下がって距離を空けた。そしておもむろに懐から白い鉢巻を取り出した。ヴァンは何をする気か分からず首を傾げているとナツメは鉢巻を頭にきつめに巻いた後改めて槍を構え直した。
「よし、見てろよぉ・・・。今、埒を明けてやるから。」
ヴァンはナツメの今までとは違うただならぬ気迫を感じとり目つきが変わった。部屋中の空気がどんどん張りつめていく。二人が間合いに飛び込む。
出だしは同時・・・っ。ヴァンはナツメの突きを自身に直撃する寸前に躱して懐に入ろうとする。だがナツメのその突きは先ほど見せたものとは遥かに質が違った。キレが違う、スピードが違う・・・っ。その突きはヴァンの思惑よりも速かった。
もらった・・・っ!とナツメは思った。
「速いなぁ・・・」
ナツメの突きを見ながらヴァンはポツリと小さく低い声を漏らす。この瞬間ヴァンは攻め気を完全に消した。するとその突きはヴァンの頬をかすめるだけに留まった。
体勢が崩れ狙いが定まらなくなった槍を抱えたままお互いに衝突を避けるようにすれ違った。今の攻撃で決められなかった事にナツメはムキになって再び飛びかかろうとすると大きな物音と同時に向かいの窓に先ほど下から登ってきていたチャリオットがぶつかって来ていた。
窓の開口部は小さく、三体のジャイアントウルフ達が挟まって動けなくなり吠えながらもがいていた。そしてチャリオットからトムがジャイアントウルフ達の間を押しのけながら降りてきた。両手に巨大な柄頭のモーニングスターを携えている。
「ええいっ、うるさいぞお前達っ!!おう、こらオヤジ。助けに来たぞ。」
「うわ、二体一?」
ナツメは少し嫌そうな顔になりながらトムの方を見た。
「うるせえ小娘!ここは魔王の城なんだからちゃんとお約束通りに下から順番に罠を掻い潜りながら上がってこいや!!いきなりこんな所まで来やがって覚悟しやがれ!!」
腹の虫が治まらないのかトムのイラつきは続いている。
「仕様がないな、まとめて相手してあげるよ。」
内心分が悪いのは分かっているがここは虚勢を張るしかなかった。念願の獲物を前に緊張しているのかそれとも先ほどのヴァンのくしゃみが思ったより体にダメージを与えていたのか、思った様に体が動かず更に二体一という展開にどうしたもんかとナツメは思考を巡らせているとふと誰かに「伏せろ」と言われた気がした。ナツメは前のめりに床に伏せた。
するとナツメの背後の壁の向こうからシロが窓の開口部から無理やり首をねじ込みながらヴァンとトムに向けて口から巨大な業火玉を吐いた。ヴァンは素手で、トムはモーニングスターで業火玉を受け止めたが炎は消える事無く辺り全てを焼き尽くし始めた。ヴァンは業火玉を受け止めた時は大して動揺していなかったが辺りにあった自分の描いた絵が燃え始めると途端に狼狽え始めた。
「あ、ああ、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」
「うるせえぞオヤジ!!絵が燃えたぐらいでがたがたぬかすな!!」
その様子を見たナツメは即座に立ち上がりヴァン達に背を向け窓まで全力疾走。窓の外で待機していたシロの背中に掴まって外に脱出した。魔王城が背中からもう見えなくなってきた辺りでようやくシロの背中の上で足をばたつかせながらナツメが口を開いた。
「あ~・・・くそっ。しくじった・・・ぐやじい・・・っ!」