俺が勇者
カゲの中に入って数分経つがもう身体が限界に近い。息が苦しい。皮膚が焼けるように熱く痛い。熱い粘り気がある液体の中を潜っているようだ。そしてとてつもなく強い勢いで流されている。とても目を開けていられない。奥から心臓の鼓動の様な音が液体を通してとても大きくそして重く耳に響いてくる。自分でやっておいてなんだがとても馬鹿げている事をやっていると思う。ここから自分が無事に脱出出来る保証もこれから行う事が上手く行く保証もない。だが現状ではこれしか最善策が思いつかなかった。だから今は自分を信じて奴の鼓動の音のする方に向けて刀を突き出すしかなかった。
第六界 東ノ宮 江道院本堂前
「・・・素晴らしい・・・・、”彼ら”を利用して私に一撃入れた人はあなたが初めてですよ」
「・・・前にあれだけ見せられたんだ。戦い方の一つや二つ思いつく」
「あぁ、なるほど」
寺の前の広場で血だらけになっている男が二人立っている。一人は誰のものか分からない大量の血を浴びており、それのせいで目を開けるのも億劫そうにしているがそれでも目の前の男をしっかりと睨んでいた。もう一人は心臓を直刀で貫かれ体のあちこちから出血していてすでに致死量に達しているはずなのに目の前の男の登場を嬉しそうに喜んでいる。その二人をシュウは怯える身体を後ろに引きずりながらその場を離れようとしていた。
(だ、誰だか知らないがた、助かったっ!は、早く逃げ・・。)
「おい、後ろの男」
「は、はいぃっ!」
シュウは自分に背を向けている血まみれの男から突然声を掛けられいきなり心臓を掴まれたような気分になった。
「逃げるなら思い切り走って逃げるんだ。直ぐ近くに守備隊がいるはずだからとにかくそこまで一気に走れっ!」
「は、・・・はいっ」
「分かったなら行けっ!!早く!!」
「は、はいいぃ!!」
男の掛け声でシュウはようやく足に力が入るようになりよろめきながらも王宮の方角に走っていった。
オケラはシュウの逃げていくさまを遠い目で見た後に目の前に立つアライを見据えた。
「・・・またお会いできて光栄です。味方に捕えられて網縄に収監されたと聞いたときは何かの間違いだと思っ・・」
オケラが喋りきる前にアライは突き出した刀を横に捻り素早く引き抜き相手から距離をとった。刀を抜かれた瞬間オケラの顔がゆがむが直ぐに笑顔になった。
「・・・ここからさっさと出て行け」
「嫌です」
オケラは即答すると笑顔を崩す事無くアライに向かって歩いてくる。胸からはいまだに赤い血が流れ出ている。だがその顔からは決して焦りや緊張は見られずそれはまるで感情が固定されている壊れた人形の様だった。アライはその場から動く事無く睨みながらただ茫然と立ち尽くしていた。その様子を見てオケラは嬉しそうに笑った。
「ふふっ。その余裕の立ち振る舞い、・・・流石ですね」
否っ・・・!オケラの予想は外れていた・・・アライは余裕ではなかった・・・!表面上取り繕ってはいるが、本当は足が震えて動けていないだけ・・・!この土壇場・・・!戦場で前回オケラと戦った時の恐怖と後悔がアライを襲う・・・!飲み込まれる・・・!漏らすっ!!アライ股間ダム決壊・・・・・・・!!
(あーくそぅ・・・。バカ野郎俺ぇ、なんでこんな所に来てしまってんだよぉ俺ぇ。ちくしょう、足が生まれたての小鹿みたいになってやがるっ!まずい・・・一歩も動けん・・・・・!くそっ!このポンコツ足がっ!!動けっ!動けってんだよぉ!死ぬ、死んじまうぅ・・・!)
アライの本心など知る由もないオケラはカゲの剣を振りかざしアライに斬りかかる。後悔が残る。何故だろうか。一度皆を裏切った男だ。ここで殺されるのも仕方のない事なのだろうが、どうしても腑に落ちない気がかりな事がある。ここであの魔王の、ヴァンの顔が脳裏をかすめたのだ。この瞬間アライの心の中に死への恐怖と同時にまた別の何か心の底にある黒い気持ちが一気に高まっていった。
(・・・ダメ・・・いやダメじゃない。動けないんじゃない・・・お前は動けるんだよっ。怖い・・・と思うのなら・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・殺せっ‼︎)
恐怖が狂気に変わる瞬間、アライの必死に取り繕っていた表情が崩れる。今にも泣きだしそうな顔だが目だけは鋭く光っている。すると突然頭に被っていた血まみれのサファリハットを手に取りオケラのに懐に飛び込む。自ら飛び込んでくるアライの姿を意外と喜びの混じったオケラの顔が見える。
超近距離の間合いからすでに待ち構えていたかのように、オケラの剣がアライの首を刎ねるために、なんの躊躇いも後悔もなく真っすぐに向かってくる。音は無く、速度は超速。横薙ぎの一閃。しかしその一閃は乾いた音に阻まれた。アライは自身に向かってくるカゲの剣を飛び込みざまに手に持っていた血まみれのサファリハットで受け止めた。先ほどシュウの黒剣をあっさり折ったオケラのカゲが受け止められた。防刃素材で出来ているこの帽子。前回の戦いでは簡単にオケラに破壊された。しかし理由は分からないが今回に限ってはこの帽子だけで受け止めきれる。そうアライは判断したのだ。その直感に近い感覚が的中し、勢いを失くしたオケラの体は無防備になった。
「くたば・・・っ」
ここで手に持っている直刀で斬りかかれば間違いなくオケラに一太刀浴びせられる。だがここで一瞬の躊躇い。アライは知っている。オケラはその程度で死ぬ男ではない事を。悪寒。以前オケラを切った後に受けた反撃がアライの頭をよぎってしまった。
「・・・なんだ、斬ってくれないんですか?」
「っ・・・!!」
その一瞬の躊躇いをオケラは見逃さなかった。地面を這うようにカゲ達が集まり一瞬にして空いている手にはもう一刀の不気味な剣が形作られた。その剣から生まれる斬撃がアライに向かって飛んでくる。斬られる。
(やられるッ・・・なら、・・・ここでっ・・・!)
ならばせめて相討ちにしようとアライは歯を食いしばる。死にたくない。しかし今のアライに逃げる選択はない。ただで殺されるつもりはない。覚悟を決めオケラを迎え撃つ。
だがその覚悟は無駄に終わる。
目にも止まらぬ速さで黒い人影が二人の間に割り込みオケラの斬撃を拳で受け切ったのだ。
アライは最初こそ肉眼ではよく分からなかったが動きが止まった瞬間それはマキだと分かった。
マキとオケラの間に鋼鉄同士が弾きあったような鋭い音が響いた。その衝撃でオケラは後ろに弾かれ、マキの足元の地面に大きくヒビが入る。オケラの体が宙に浮いている様子を見てマキは相手が着地するであろう地点目掛けて一気に走り込む。そしてオケラが地面に着地する前に距離を縮めて相手の腹部に目掛けて足を蹴り上げた。しかしオケラは空中で体を捻って体を反らし紙一重で蹴りを躱した。それを見たマキは蹴り上げた足をすぐさま後ろ回し蹴りに切り替えた。その蹴りを躱しきれないと判断したオケラはカゲの剣の形を崩し薄い円状の盾に変形させマキの蹴りを受けながら後方に吹き飛んだ。オケラは体勢を崩しながらも難なく受け身を取り、衝撃による勢いで数歩程軽いステップで後ろに下がった。その時オケラは何か手元に違和感を感じたのでカゲの盾を見てみるといくつかの箇所にヒビが入っており、表面が崩れて地面にいくつも破片が落ちていた。そのカゲの様子をオケラは興味深そうに見ている。
アライは事前に打ち合わせをしたわけでもないのにマキが突然目の前に現れたことに驚き腰を抜かした。
「うおおぅ!!?マ、マキ!?マキサン?!な、なんで!?」
「勇者様、ご無事で。」
「あ?あ、ああ。なんとかな。ありがとう助かった」
お互いの無事を確認した所で唐突にアライの背中から「おい、俺の無事は確認しなくてもいいのかよ。」と声が聞こえてきた。アライは驚きながら背中を恐る恐る触ってみるとおもちゃのお面の姿をしたハヤシが張り付いていた。
「うぉぎゃあああああああ!!」
「おいおい、そんなに驚かなくてもいいだろうが。」
「い、いつからっ!?いい一体いつからいたんだっ!?」
「お前が自分でカゲの中に飛び込んだ時だよ。あんな危なそうな所に一人で行かせるわけないだろうが。俺は別に行きたくなかったんだがそこにいる天使様に無理やり放り込まれてな。」
マキはアライの背中に素早く回り込みハヤシを掴み引き剥がそうと手に力を込める。
「ハヤシさん、いつまで勇者様にくっついているんですか。早く離れて下さい。」
「・・・前から思ってたんだが俺の扱いひどくね?」
その様子を離れた所で見ていたオケラは楽しそうに笑っていた。
「いやぁ、楽しそうでいいですねぇ。」
「これを楽しそうに見えるのかよ。」
「ええ、あなたは鬼でそちらの綺麗な女性の姿の方は天使ですか。初めまして、オケラといいます。『この世界』では魔王軍に所属しており勇者様方とのお相手を主に担当させて頂いております。どうぞ今後ともよろしくお願い致します。」
オケラはカゲの剣を地面に突き刺し深々と頭を下げた。ハヤシはその挨拶に「おう、こちらこそよろしく。」と律儀に返事をした。
「ではお二方を加えて先ほどの続きを・・。」
その時突然オケラの顔が一瞬ハッとしたような顔になった。そして何か考え事をした後アライに笑顔を向けてきた。
「・・・やられました。あなたの指示ですか?」
「・・・何の事だ?」
アライはあたかも知らなさそうな顔でオケラに答える。
「・・・いや、どちらでもいい事ですね。ともかく状況が変わりました。今回は私の負けです。私は直ぐにでも魔王城に帰らなければなりません。」
オケラは地面に突き刺しているカゲの剣を指で軽く弾いた。溶けた鉄のように地面に落ちたカゲは何かが焼けるような音をさせながら黒煙になって消えていった。
「いえ、あなたはここで倒れます。オケラ。」
マキは自身の黒手袋をはめ直した後ゆっくりとオケラとの間合いを詰めていく。その様子を見てオケラはどこか悲しく、寂しそうな表情を見せた。
「本当に残念ですが仕方ありません。あなた方とのお楽しみはまた今度にとっておきます、だからそれまで・・。」
「何度も言わせないでください、オケラ。あなたに”今度”はありません。」
言われている事が分からずオケラは首を傾げていると何かに気づいたのか咄嗟に上半身を左に反らした。次の瞬間オケラの右半身が鈍い音と共に消し飛んでいた。少なくともアライからはそう見えた。実際は右半身を何か強い力で食いちぎられた。オケラが体勢を崩しながら後ろを振り返る。それは少し離れた江道院のご神木に絡みついていた。全身機械のパーツで構築された機械竜が何かを口に入れて咀嚼している姿が見えた。
やったのか?アライは思った。
まずい。マキは思った。
マキは即座に体が半身になっているオケラに接近し風を断ち切る勢いで右拳を打ち込んだ。しかしその一撃に手ごたえはなかった。オケラの体はみるみる黒い泥に変わっていき地面に落ちると蒸発するように消えていった。それと同時にアライが浴びていた血も同じように蒸発して消えていった。オケラが消えていく様子をマキは暫く無表情で眺めた後機械竜のモリノに無言で合図を送るとモリノはゆっくりと口を開いた。中を見るとそこには既にオケラの体はなく、同様に跡形もなく消えていた。マキはそれを確認した後アライの方に向かって近づいていく。
「・・・に、逃げられたのか?」
「・・・はい。勇者様、申し訳ありま・・。」
マキはそこまで言うと途端に困惑したような表情になり手で鼻を押さえて眉間にしわを寄せ始めた。
「ん?なんだ、どうした。」
「臭い、小便臭いです勇者様。」
その時アライ、血の匂いと戦闘の緊張で気づけなかったがようやく自分のやってしまった事に気づく。血が消えた事によりアライの股周りがくっきりと湿っているのが見えていた。
「・・・勇者様、まさか漏らし・・。」
「言うなっ!・・・・・・・・・・・・・・何も言うな・・・・・・・・・・・・。」
アライが立ち尽くしていると入口の門の陰からナガタが「お?終わったか?」と言いながら自分の部下を引き連れてぞろぞろと姿を現した。
「・・・ナガタさん、そんな所で何を。」
「物陰に隠れてたっ。」
アライの質問に対して気兼ねすることなくナガタは親指を立てながら答える。ナガタの返答にアライは呆れ顔になった。
「見てたんなら援護ぐらいしてくださいよねぇ!!」
「最初はそのつもりだったんだがな。あんな超絶ビックリバトルを見せられたら飛び込む勇気が無くなっちまってよ~。」そう言いながらナガタは肩をすくめる。
「そんな事より早く着替えた方がいいんじゃないのか?勇者アライ様。」
「くッ!!言われなくても行きますよ!!覚えてろよぉっ!!」
ナガタに捨て台詞を吐いてその場を走って離れると少し後ろをマキが付いてきていた。
「勇者様、お手伝いします。」
「え、・・・何を!?」
「お着替えをです。」
「っ!?・・・ええいっ!!ありがとうっ!!でも結構です!!付いて来るなぁ!!」