The Modern Age
白黒映画を見ていた。一,五倍速、無音に設定してぼんやりと見ていた。一九二〇年代のニューヨークが映し出されている。無数のビル群、摩天楼。約百年前なのに、こんな建物が聳えたっていたのか。これが現代としても立派なというか、新宿とそう変わりはない。このピクチャーを切り取って、現代の諸相として目の前に突きつけられても素直に頷くだろう。しかし、文化はその時代を映し出すという通説に立ち戻ってみると、ニューヨークのレディース&ジェントルマンの服装はやはり現代では古臭い、堅苦しいものに映る。
第一次世界大戦後のアメリカは戦争特需で景気が良くなり、大量生産、大量消費の時代に移り変わった。いわゆる、黄金の二十年代だ。いつだって景気が良くなると人々は浮足だって、享楽的、刹那的になる、昔も今も人間の基本的な行動、心理的パターンは動かない。
ラジオの開発、流通に伴って音楽が求められた。もちろんワーグナーなんかではなく、人々の忙しないテンポにマッチした音楽だ。それがジャズだ。フィッツジェラルドの「ジャズ・エイジ」にそれは詳しく描かれている。ルイ・アームストロングのトランペットを象徴としてそれは常に、二十年代を語る上で符牒となった。
そして、ジャズの高揚とともに、女性のスカートは短くなり、グロリア・スワンソン、グレタ・ガルボのセックスシンボルが生まれた。
性意識は変わり男と女の交遊は近まった。本能を支点として女の社会的立場が向上した。
映画は退屈だった。ありきたりなメロドラマ、これも流行によって一時的にもてはやされて、すぐに忘れられていってしまったものだろう。なんだか疲れた。一九二〇年代のニューヨークのハイテンポに。
How many years can a mountain exist
Before it's washed to the sea?
Yes, 'n' how many years can some people exist
Before they're allowed to be free?
Yes, 'n' how many times can a man turn his head,
Pretending he just doesn't see?
The answer, my friend, is blowin' in the wind,
The answer is blowin' in the wind.
どれほど悠久の世紀が流れるのか
山が海となるには
どれほど人は生きねばならぬのか
ほんとに自由になれるために
どれほど首をかしげねばならぬのか
何もみてないというために
その答えは 風に吹かれて
誰にもつかめない。
ボブ・ディランが果敢に歌ってるように、風でさえ分からない、時代の移り変わりは。
これからも同じように繰り返されることだろう、二十年代のニョーヨークのように。