第5話 手の繋ぎ方
「落ち着いたか」
「うん、もう大丈夫」
俺は、斎条の誘いを断り珍しく教室に最後まで残っていた。帰り道にクラスメイトがいるのが嫌だと松島が言ったので時間を空けて帰ることにしたのだ。時計は夕方を指していたが、まだ辺りは明るく気温も下がりちょうど良くなっている。
「そろそろ帰るか」
「まって、中本君」
教室を出ようとした時、松島に呼び止められ振り向いた。時間が経つのを待っていた時の顔とは違い、満足したような無理のない微笑の顔だった。
「昼休みの時は変なこと言ってごめんね。気にしなくて良いから」
「気にするなって、あんなこと言われて気にならないわけないだろ」
「それは、そうなんだけど………」
松島は苦笑いをしながら目線をずらした。
「たく、話したくないなら良いけどさ。話せるようになったら話してくれよ」
「うん、そうしてくれると助かる」
「なら、帰るぞ」
「あ、あの、手繋ぐ?」
呆れた目で松島を見ると、手を差し出していた。顔を赤くしていて握ってくれるのを待っているようだ。それでも目線は合わせようとしてなかった。俺の返事が遅いせいで長い時間が経ってしまった。一分は経っていないが、お互いの間に気まずい空気が流れた。今の俺でもこれは松島のボケなのかそれとも本気の気持ちなのか分からなかった。
「ばーか、そういうことは、相手の目を見て言えるようになってからにしな」
「うーボケたつもりなのに」
松島は笑いながら俺の横に並んだ。
学校を出て自転車小屋までに着くまで二人の間に会話はなかった。教室での空気を引き連れてきているようで、何を話せばいいかお互いで探り合っている所だ。話したいことは沢山あるくせに前みたいに話し掛けてこない。
「何か聞きたい事とかないのか」
自転車を押しながら聞いてみた。松島は俺達二人しかいない長い道を見ながら聞いてきた。今までの気まずさがが嘘のようにすぐに返事は返ってきた。
「友達を作るのって何でこんなに難しいのかな」
色々聞きたいことはあるだろうに真っ先に出てきた質問は、彼女が今一番知りたくて彼女が最も苦しんでいることだった。今の俺は簡単だと思っている。でも、松島の気持ちもよく分かる。悩む質問だが、聞かれることは分かっていた。だから、答えも用意できていた。
「昔からの付き合いだからもう友達の型ができているから、その中に入るのは難しいんだよ」
「型?」
「そ、こいつとこいつは仲がいいみたいな。一人一人に役がある感じ。配役が決まった演劇団にいきなり入るのは難しいだろ」
「そうなんだ。それなら伊藤は団長だね。中本君は何なの」
「副団長らしい」
「らしい?」
「よく分からんがそうなっていた」
「いいな、知らないうちに良い役が来るなんて」
「そうか、俺は岩や木ぐらいの役でいいんだけどな」
暗い顔になりかけていたのが何とか笑顔になってくれた。
「副団長さん、どうしたら村娘その一になれますか」
「そうだな……お前は主張力が強いから………周りに合わせて変わってみたらどうだ」
「変わるってどんな風に」
「伊藤や斎条を相手には難しいけど、他の女子の側で黙って立っているだろ。質問された時だけ答えて必要以上に話さなくてもいい、取り合えずみんなをよく見る。そして、各自にあった会話を持ちかければいいんだ」
「なんだか難しそう。よく分からないし」
「簡単な話、話し相手によって自分の雰囲気を変えればいいんだよ」
松島はさらに難しそうな顔をしていた。今の話の内容をすぐに理解できるぐらいならこんな問題は起きなかっただろう。人間関係について何も知らない所が彼女の良い所かもしれない。
「それなら聞かせてくれ。前まで通っていた小学校では、どうやって友達を作ったんだ」
「そんなの話し掛けただけだよ。逆にあっちから話し掛けて来たぐらいだもん」
「いい所だったんだな。転校は親の仕事か」
「うん、日本にはちょくちょく来てたけど学校は初めてかな」
「日本?前までの小学校って何処の小学校?」
「アメリカ、所謂、帰国子女。どう驚いた」
からかうような笑顔が俺を見ていた。初めての学校であんなことになって、よく今まで笑ってこられたと彼女の強さを知ったきがする。
「ハーフなのか」
「えっと、難しいけど聞く?」
頬を掻きながら苦笑いをしていた。
「是非」
「えっと、お父さんのお祖父ちゃんがアメリカ人でお母さんがフランス人、お母さんのお祖母ちゃんがイタリア人でお母さんが中国人、あとはみんな日本人」
「………多、それに、アメリカ人の血薄。なんか沢山国名出てきたんですけど」
「あはは、ほとんどが日本人だから何とも思わないんだけどね。碧眼じゃないし、それに、どれもみんな人間だし」
松島にしては似合わない台詞が出て来た。彼女は国境や人種を全く気にしない大きな子だったのだと知ることができた。そんな彼女にとって、あの学校はあまりにも小さすぎるのかもしれない。
「いいじゃないか、そんな感じに話せばいいんだよ。楽しかったぞ」
「そう、ありがと」
松島の家に着いたが、松島は家に入ろうとしなかった。前回来た時とは違い明かりが点いていて、家の前には車が止まっていた。
「どうした、入らないのか」
「うんん、ちょっと驚いただけ。私より先に親が帰っているなんて初めてだから」
すると新しく後ろから来た車が松島の家の前に止まった。その車から出てきたのは同じ年の男だった。その男を見るなり松島はそいつを連れて家の中に入ろうとしていた。
「ま、またね、楽しかったよ」
男を家の中に押し込んだ松島は、慌てながら手を振って家の中に入っていった。
「なんだか逃げられた気分だ」
帰ろうとした時家の中から松島の奇声が聞こえた。
「確かに言い出したのは俺だけど、流石に早過ぎないか」
「無計画だと伊藤達が文句言うだろ」
俺と五十嵐は、開園三〇分前の映画館の前にいた。映画館と言っても、それを中心に色々な施設が集合している娯楽地区のような所で、休日になると多くの学生で溢れる所だ。それで、今日の予定はこの辺りでみんなで遊ぶというものだ。まだ何処も開いていないのに俺達はなぜここにいるかと言うと、集合場所を連絡するのを忘れていたいのと、どの映画をどの時間帯で見るのかを決めていなかったのだ。
「学校じゃなくても早いんだね」
伊藤と斎条が来た。制服のイメージが強い二人なので私服だと新鮮だ。
「おはよう中本君」
「おはよ、珍しいなこんな早くに来るなんて」
学校では遅めに来て団体で登場するのだが、伊藤と二人だけで登場した斎条が挨拶をしてきた。
「そのことなんだけど、五十嵐ちょっと私に付き合ってくれない」
伊藤が五十嵐を手招きしている。学校では見せない控えめな彼女の行動に五十嵐は含み笑いをしていた。
「付き合えといわれましても何処へでしようか。この時間帯に行くような所があるのですか」
「いいから私に着いて来るの」
「はいはい分かりましたよ。私五十嵐はそこまで鈍感で馬鹿じゃないのでね。それに、伝えておきたいこともあったし」
五十嵐と伊藤はそのまま映画館前から離れていった。
「行っちゃったね」
「そうだな」
「二人っきりだね」
「そうだな」
「二人しかいないんだよね」
「そうだな」
何故そこで二人っきりを強調したがるのだ。確認したくせに周りに誰もいないことを見回していた。今日の斎条は妙に挙動不審に見える。一帯何を考えているのだか
「中本君。今日時間空いてる」
「まー見る映画も決めてないし暇って言ったら暇だけど」
俺は、ある一箇所に目線を送りながら返事を返した。斎条も俺と目を合わせないように遠くの方を見ていた。ので、今俺が直面している異様な威圧感、もとい重圧感に斎条は気づいていないようだ。
「それならね、もし良かったら一緒に映画見ない」
「別にいいけどみんなで見るんじゃないのか」
「それはそうだけど……隣って言うか二人きりで見たいって言うかその……」
「それって……俺は一向に構わないけど伊藤はいいのか」
俺の目線の先には、多くのクラスメイトの目があった。その中にはもちろん伊藤の目もあり強烈な威圧感と殺気を飛ばしてきている。あれだけ離れていれば話は聞こえないだろうが、気付いてしまうとやりにくい。
「未来には午前中だけならいいって許可を貰ってきたから」
「そうか、ならいいけど」
「できれば一緒に遊んでくれないかな」
「いいけど、何して遊びたいんだ」
「えっと、うーん、お任せします」
「任せるって、ゲーセンぐらいにしか行かないと思うけど」
「うん、それでいいよ」
「駄目に決まってるでしょ」
伊藤が殺意むき出しの顔で俺の目の前まで来た。伊藤が来たことに斎条も驚いていて、残念そうな顔をしていた。
「未来、聞こえていたの」
「聞こえた聞こえないの話じゃないの。何で愛華を連れてゲーセンなの。もっといい所なんて沢山あるでしょ」
「いいの、行き先は中本君に決めてもらいたかったんだもん。それに、午後までは口を出さない約束じゃなかったの」
いつになく強気の斎条に伊藤は押され気味で、場の悪そうな顔をしている。そのずっと後ろでは、五十嵐達が俺達のやり取りをまだ見ていた。
「そうだけど……でも……」
「でもじゃない、約束を破るなら明日から遊んであげないんだから」
「分かった分かったごめん愛華、約束は守るから」
「あはは、流石の伊藤様も形無しですね」
笑いながらクラスメイトを引き攣れ五十嵐が戻ってきた。俺と斎条とのやり取りを見ていたせいかみんないつもより余所余所しい。
「一人以外みんないるぞ。もう開いたみたいだから始めようか」
先頭を切って男子達が映画館の中に入って行った。俺も入ろうとすると、服を後ろに引っ張られた。そこには、目を合わせないようにしている斎条がいた。
「あの……手、繋いで」
「たく、そういう事は相手の目を見て言えるようになってからにしな」
歩き出そうとしたが、さらに後ろへ引っ張られた。仕方がなく後ろを振り向くと、斎条が真っ直ぐに俺を見ていた。
「手、繋いでください」
顔は赤いが真剣な目で俺を見ながら手を差し出していた。学校では控えめで大人しいのに今日はやたら強気のようだ。強気と言うより覚悟を決めたような目をしている。
「たく、その勇気を買ってやる」
斎条の細く柔らかい手を握った。その手は力加減を間違えると壊れてしまうようなガラス細工のようなものだった。
「こらー、中本、なに手出してるんだ」
「伊藤、勘違いされるようなこと叫ぶなよ」
今にも飛びついてきそうな伊藤を五十嵐が羽交い絞めで抑えようとしていた。それでも、伊藤は五十嵐を引き摺りながら俺の後ろに着いて来ていた。
「どうして女はこんなことに必死になるのだか」
「でも、女の子はこんなことでも嬉しいんだよ」
俺の少し後ろを歩いている斎条が呟くように言った。握っている手に力が入り俺を引っ張るように斎条が前に出た。
「早くしないと良い席なくなっちゃうよ」
「たく、席なんて何処でも同じだろ」
「でも、当たり外れ大きいと思うよ」
その時俺は、どうでもいいと思っていた。映画館の席なんてどうでもいいと、その時は簡単に思っていた。それ以前に松島のことなんて全く考えていなかった。




