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第31話 ただ一点を見つめて

 大会の日の朝、麗羅さんの作ってくれた朝食を食べていると親父が起きてきた。家にいること自体珍しいのにこんな朝早く起きるのはありえないことだった。

 その親父は俺の向かいに座った。麗羅さんの出したコーヒー牛乳を飲み干すとテレビを見始めた。

「今日は大会だったな」

「そうだが」

 親父の質問にそっけなく答えると親父はビー玉のような青く透き通った玉を出した。

「何だよ。これ」

「大会に出るなとは言わない。全力で戦えとも言わない。ただ、倒れたらそれを飲め。救急車が来るまでの時間稼ぎぐらいしかできないがな」

 親父は朝食を食べることなく寝室に戻っていった。

「旦那様、それを作るために仕事そっちのけで徹夜をされていたようですよ。本当は慎也様の試合を見たいのに今からお仕事だそうですよ」

「そうだったのか」

「はい、ですから私がしっかりと見てますからね」

 麗羅さんは一眼レフカメラを磨いていた。我が家のアルバムの写真はすべて麗羅さんが撮ったものでお気に入りの写真は広間にでかく掲げるほどだ。

「いいから、絶対にこないでよ」

 俺は親父からの贈り物をポケットに入れて家を出てた。


 小学校の体育館前には他校の生徒も含め多くの生徒が集まっていた。俺は生徒の群れの中を掻い潜って体育館の中へ入った。中では既に五十嵐が最後の仕上げをしていた。体育館の使用がもうじき終るので俺はユニホームに着替えて五十嵐を待っていた。

 先生に注意されるまでやっていた五十嵐が俺の元に来た。試合が始まっていないのに既に息が上がっていた。

「中本、これから瑠璃川の応援か?」

 俺達バスケ部の試合は午後からとなっている。それまでは他の試合を見にいけれる。俺が見に行くとしたら、椎名が出ている陸上か珊瑚や神原のでる武道館の試合だろうな。両方とも午前中の試合のはずだ。

「俺は、珊瑚の応援に行こうと思ってるけど」

 応援に行くと珊瑚と約束したからな。それに、椎名の方には愛華がいるはずだ。愛華と会うとなにがあるか分かったものじゃない。それに、愛華には約束のプレゼントがある。それを渡すまで会えそうにない。会ったら思わず言ってしまいそうだからだ。

「そうか、それなら俺もそっちにするかな。言っておくが、俺は神原を応援しに行くんだ。ってことは敵同士ってことだな」

 両方応援する気は無いのかな?そんなところで敵対されても何とも思わないが。


 武道館に入ると試合はもう始まっており、無差別の個人戦をしていた。男女問わずの試合で今は柔道をやっていた。次の試合は龍真と他校の生徒だった。

 俺達は観覧の場所に座った。トーナメント表を見るともう準決勝のようだ。次の試合は珊瑚と神原になっていた。

「次は龍真と神原か。予定通りだな」

「なに勝手に決めれるんだ。珊瑚が負けるわけ無いだろ。龍真、とりあえず応援してやる。頑張れや」

 やる気の無い俺の応援に龍真は犬歯を見せて笑った。そして、畳が敷き詰められた真中へ向かった。すると、背中から重い何かが覆いかぶさってくるのを感じた。

「シンシン、応援するならちゃんとしてくれよ」

「そうなのら、リュウちんはあんなのには負けないけど、そんな応援では失礼なのら」

 俺の上に乗っていたのは赤井キャプテンだった。それに、かりんは学ランを着ていて応援する気満々だった。

「良かった。間に合った」

 試合開始直前に武道館に入ってきたのは愛華だった。愛華は俺を見つけるなり小走りで俺のところへ来た。そして、隣に座っていた五十嵐を押しのけ俺にくっつくように座った。

「愛華、椎名の応援はいいのか」

「うん、慎也君来なかったからこっちにした」

 誰の試合かではなく、俺のいる試合を見に来たのか。

「それはいいが、離れてくれないか」

「や〜だ」

 よりいっそう強く抱きついてきた。武道館での俺達の集まりは変わり者の集まりに見えるだろう。そう思うと恥ずかしい。

「そこ!いちゃつくな。気が散る」

 龍真の怒鳴り声にも愛華は断固として退くことなく龍真を睨みつける余裕さえあった。

「くそ、もういい。すまなかったな。よろしくお願いします」

 龍真は対戦相手に謝罪して一礼した。そして、試合が始まった。


 相手は距離をとって龍真の動きを待っていた。相手はどこから攻められても受けきれるような構えをしていた。それに対して、龍真は……

「頭を使っても駄目な時がある」

 そう言うと低姿勢で相手の懐へ突っ込んでいった。相手は好機と判断したのだろう。龍真の襟首を掴んだ。そのまま下へ押し付けようとしたようだ。だが、龍真は勢いよく体を立ち上げ相手の掴みを振り払った。

 そうなってからすぐだった。龍真は相手の袖と襟を掴んで相手を畳みに投げつけた。

「お前は、想像通り動ける体か」

たった30秒で試合は終った。龍真と試合をした相手は怪我をするほど打ち所が悪かったようだ。俺の頭の中には龍真の言葉が残っていた。その意味が今の俺にはよく分かる。

「おい、次、神原と瑠璃川の試合だぞ」

 柔道着姿の珊瑚が立っていた。一瞬、俺の顔を見て微笑んだように見えた。それを見て安心した。珊瑚は約束を忘れていなかったと核心ができた。

「珊瑚頑張れよ」

「神原、瑠璃川なんかに負けるなよ」

 俺達の応援に二人は照れくさそうな顔を見せた。緩んだ二人は見合った途端、真剣な目つきになった。すでに武道家の顔だった。

「ねえ、慎也君。私のこと好き?」

 いきなり、しかもこんな所でそんなことを聞かれても答えに困った。だが、愛華が好きなのは昔と変わりない。ずっと隣にいて欲しいし笑っていて欲しい存在だ。それは色々起きた今でも変わっていない。

「ああ、これからも笑っていてくれ」

「笑っているだけでいいの?」

 ぎゅっと、強く抱きついてきた。顔を伏せて見せないようにした。

「愛華?」

「ううん、なんでもない。ごめんね、変なこと聞いて。ほら、始まるよ」

 伏せられていた顔はいつもと同じ笑顔だった。


「珊瑚、悪いけど今回はあたし本気だから」

「夢、私も負けられない理由があるから。ごめんね」

 そして、二人の試合が始まった。龍真のような圧勝とは言わないが誰が見ても実力の差は明白で珊瑚の勝利に終った。

「あーもう、龍真にも珊瑚にも勝てないなんて。いい珊瑚、あたしの代わりなんだから絶対に優勝しなさいよ」

 文句を言いながらも神原は珊瑚を応援して観覧席へ来た。そして、ついに決勝戦。龍真と珊瑚の試合が始まる。


「龍真、ひとつ聞いていいですか」

「何だ?」

 試合前の二人の会話、静まり返った会場に二人の声だけが聞こえていた。

「貴方にとって強さとは何ですか」

 強さ。それは珊瑚の目標。強くなることによって何事にも屈せず挑み続ける。今の珊瑚の強さは諦めない強さだ。

「武、力こそ強さ。何者にも負けぬ、ねじ伏せる最強の力。それが俺の強さだ」

 力、自分の実力で相手を負かし勝ち続ける強さ。自分の力を信じる強さ。それが、龍真の強さ。その強さ、俺にも良くわかる。どれだけ自分の力に溺れようとも負けない限り強くなり続ける力。

 でも、その強さは珊瑚の強さとは正反対のもの。龍真の強さは諸刃の剣。折れない限り強くあり続けるが、一度折れると元の強さには戻らない。それに対して珊瑚の強さは折れても、折れても、強くなり続ける永遠の強さ。その刃は鈍く切れないかもしれない。でも、いつか必ず諸刃の剣に打ち勝つ鋭さを得ることを信じ磨き続けるもの。

 今、目の前の二つの剣はどちらが勝っているのだろう。

「そうですか。それなら……」

 珊瑚は夢のときとは違い鋭利な空気を放っていた。

「私は貴方に負けません」

 強気な珊瑚に龍真は不敵な笑みを浮かべ全てを飲み込むような大きな空気を放った。

「大口叩いたことを後悔させてやる」


 試合が始まった瞬間、二人は組み合った。珊瑚は襟元を、龍真は袖を掴んでいた。

「サンちん、引き込まれるなのら」

「龍、襟行け、襟!」

 今まで黙っていた中学生二人が急に熱くなり始めた。二人とも応援している方にアドバイスをしている。それにみんなも影響を受け自然と声を出していた。みんなの声が二人の動きを激しくした。

 龍真は両袖を引き珊瑚を引き寄せた。力では負ける珊瑚は逆らうことなく龍真の懐へと入って行った。隙ができた襟首を龍真が狙う。だが、それが分かっていたかのように珊瑚は自分の後ろへと転ぶように襟を引き龍真を引き寄せた。珊瑚の右足に右足をとられた龍真はバランスを崩しかけた。しかし、左足を杭のように叩き鳴らし踏ん張った。踏ん張りきった龍真は襟首を掴み、右足を珊瑚の右足の脹脛に当て珊瑚を背中から倒そうとした。ほぼ倒れ掛かった珊瑚は、左足を龍真の腹に当て倒れる力を利用して龍真と一緒に回り龍真を飛ばした。

 お互い、背中から落ち、咄嗟に立ち上がり距離をとった。


 二人の攻防をみな応援を忘れてみていた。そして、二人が止まるとみんなが思い出したように大声の歓声を上げた。

「やはり、力では勝てないですか」

「危ねえな。今のは不味いだろ。技を考えろ」

「貴方に技を選んでいる暇はありません」

「はは、違いねぇ。それじゃ、こっちも行かせてもらうぞ」

 龍真は珊瑚の右側に近づいた。珊瑚は正面を向こうとするが間に合わず、龍真に右腕をとられ倒されてしまった。

 まだ、一本は取られていないが、寝技に入ってしまった。力でねじ伏せる技では珊瑚には不利だ。もがき苦しむ珊瑚の顔が見える。

「お前、言ったよな。力では敵わないって、男らしくないけど確実に勝たせてもらうぞ」

「う、くっ……」

 もがいているが何も変わっていない。動けば動くほど珊瑚の息は上がり龍真の笑みが大きくなってきた。

「もう、駄目らのら。あの顔のリュウちんには勝てないのら」

 かりんが諦めたようにみんな決着が付いたような顔をしていた。みんなどうしてだ。まだ、20秒あるじゃないか。それなのにみんな諦めるなんて……

 そうか、これが…。一瞬絶望を見るともう立ち直れない。もがくことも応援することもやめてしまう。ここのみんなは諸刃の剣だった。

 それでも俺は諦めなかった。珊瑚は勝つって信じていた。信じたから珊瑚は今ここで戦っている。だから、俺は信じる。小さくてもいい、珊瑚の力になってくれるから。

 諸刃の剣だった俺だけど、折れた刃を握り締め立ち上がると決めた。そうさせたのは珊瑚だ。今度は俺が……

「珊瑚!立て、立ち上がれ。誰にも負けないんだろ!」

「慎也君…」

 その時の俺はまっすぐに珊瑚しか見ていなくて愛華の声はまったく届いていなかった。

「し、んや」

 珊瑚は唯一動く左手で龍真の襟を掴み龍真を自分と床の間にねじ込んだ。このまま時間が経てば珊瑚の勝ちになる。だが、疲れと力の差で龍真は珊瑚の捕縛から逃げ出した。

 二人そろって時間を見た。残り30秒。このままでは引き分けに終る。それを嫌った二人は次の組み手に全力をかける勢いだった。


「次で私は―――」

「次で俺は―――」


「「勝つ!」」


 龍真は珊瑚の腰帯に手をかけた。それを気にせず珊瑚は襟を掴んだ。先に投げようとしたのは龍真だった。腰帯を引き上げ珊瑚の左足を浮かした。そして、不安定になった右足を払うため龍真の左足が動いた。しかし、珊瑚は宙に浮いた左足を龍真の右足に絡ませ襟を引き龍真の上半身を左肩で背負い投げた。


「一本!それまで」

 ドン。と龍真がたたきつけられる音と珊瑚の勝利を告げる声。その数秒後、武道館は歓声で揺れた。

「サンちん。よくやったのら」

「へー、瑠璃川も強いんだ」

 神原を応援していた五十嵐も最後には珊瑚を賛美していた。そして、珊瑚は俺のところへ駆け寄ってきた。

「慎也、応援ありがとうね」

「ああ、おめでとう、珊瑚」

「うん」

 喜びを声で表しきれない珊瑚は俺に飛びつき全身で喜びを表していた。その時は、嬉しくて、珊瑚の嬉しい気持ちが俺にも伝わってきたようだった。


 その時、俺は、愛華という彼女のことを忘れていた。その時は珊瑚が俺の中のすべてだった。


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