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第29話 孤立した彼から離れる彼女

 昼休み教室で俺は自分の席で愛華と一緒にいた。夏休みが終ってから愛華はやけに俺に触れるようになってきた。初めは手を繋ぐだけだったのに今は腕を抱きながら終始笑顔で俺の隣にいる。これならまだいいほうだ。廊下を歩いている時後ろから抱きつかれた時は周りの目線がよりいっそう痛く感じた。

「少し離れてくれないか」

「やだ」

「やだって…すぐにでも離れてくれないと俺、伊藤に睨み殺されそうなんですけど」

 俺達から距離を置いたところで伊藤は仁王立ちで睨みをきかせていた。横で五十嵐が笑いを堪えている状況だ。

「未来」

 愛華は伊藤を上回る睨みで伊藤を退けた。それを見た五十嵐が声を上げて笑った。

「伊藤、お前弱すぎ。斎条なんかに眼付けで負けてるんじゃねえよ」

「う、うるさい」

 強く抱きしめられていた左腕が開放された、愛華は服を整え隣の席に座った。

「慎也君が嫌がるならやめる。でも、帰るときは譲らないからね!」

 ウィンクと微笑で拒否する気持ちを剥ぎ取っていった。

 小悪魔の表情から目を背けると愛華が座っている机に目が行く。俺の隣の席、珊瑚は始業式のあの日から夏風邪で学校に来ていない。先生の話では連日の部活の疲れと夏バテで体調を崩したそうだ。風邪なら大丈夫だろうと安易な考えでいたが今日でもう5日目だ。そろそろお見舞いにでも行ってみるか。

「中本、ちょっと」

 クラスメイト数人と話している五十嵐が俺を呼んでいる。俺は愛華との会話を止め五十嵐の所へ向かった。愛華には文句を言われたがそれぐらいも許されないのかと思ってしまう。

「中本君、瑠璃川さんは大丈夫なの?」

 話の輪に入るなりクラスの女子に話しかけられた。愛華や伊藤達以外で話しかけてきた女子は夏休みが終って初めてだ。

「珊瑚?俺は良く知らないけど…体調崩しただけだろ」

「部活の時は元気だったんだけどな。途端にだったから大丈夫かなって」

 この男は珊瑚と同じ剣道部だったはずだ。それ以外にも珊瑚のことを聞いてくる質問が次々と出てきた。珊瑚とのつながりは違ってもみんな珊瑚のことを心配してくれているようだ。

 それより、知らない間に珊瑚のことを思っていてくれる友達がこんなにもできたことに俺は嬉しかった。

「って、なんで俺に聞くんだ。普通先生だろ」

「瑠璃川のことはお前が一番良く知っていることなんてこの学校の常識だぞ」

「そんなことを常識にするな!」

 からかう五十嵐に噛み付いているとバスケ部のメンバーが五十嵐を呼んでいた。

「分かった今行く。みんな瑠璃川のことが心配なんだ。ちゃんと答えてやれよ」

 五十嵐が輪から離れていった。みんなから頼りにされてそれに答えられる。あいつの側にはいつも笑顔があって失敗なんて寄り付かない。そんな五十嵐が羨ましくて俺の目標でライバルだ。

「で、珊瑚のことだけど」

 再び話し始めようとする…が、みんな散り散りに離れて行ってしまう。それもみんな冷めた顔をしていた。

「お、おい」

 呼び止めようとしたがみんな離れて行ってしまう。その中の一人だけ残ってみんなクラスの中に解けていった。

「なんだよ。あいつら」

「誰もお前と話したいわけではないんだぞ。俺達は五十嵐に聞いていただけだ」

 五十嵐、その一つのピースが抜けただけで俺を拒むように絵は砕け散ったのか。

「五十嵐の前だったからな、それなりに振舞ってやったがもうその必要はないからな」

 去り際にトドメを残していった。

「どうせまたお前が瑠璃川を怪我させたんだろ。瑠璃川もお前をかばうために変な芝居しやがって…俺達に近づくなよ。何されるか分かったもんじゃねえからな」

 そして俺は一人になった。五十嵐のいる輪に入ろうと思えば入れる。だが、それは五十嵐の付属品だと自分で認めているのと同じだ。唯一、自分の居場所が用意されている愛華の隣、それは俺の逃げ場。愛華にすがり自分の存在を叫んだって結局俺ではなく愛華がいるから俺はそこにいられるだけだ。

 教室を見渡した。が、どこにも俺の入れる場所はなかった。それ以前に、俺はここにいていいのだろうか。この教室に…この学校に……この世界に………

「中本、どうした。酷い顔だな」

 凛々しく氷の刃、そんな声を聞いたのは何ヶ月ぶりだろ。

「珊瑚…」

 目の前には珊瑚がいた。

「あ、瑠璃川さん。学校に来られるようになったの」

 愛華が近づいてきた。

「ああ、昨日には完治していたんだがな。念のため病院にいっていた。それと、これ。桜先生から預かってきた」

 珊瑚は愛華に紙を渡し自分の席に着いた。俺もそれにつられるように席に着いた。

「珊瑚、もう大丈夫なんだよな」

「ああ、心配させてすまなかったな」

 何だ。氷の壁?二人きりじゃないからか。それにしても、珊瑚が遠くに感じる。いつもは氷の壁の一部がガラスみたいになっていて近づけるようになっていたはずなのに…今の珊瑚の壁はどこからも近づくことができない。

「珊瑚」

「何だ中本」

 中本だと……珊瑚が俺から離れていっている。俺、また知らないうちに珊瑚を傷つけていたのか?

「珊瑚、俺また何かしたのか」

「いや、そんなことはない。ただ……」

「ただ?」

「その…今まですまなかったな」

 どうしてと聞く前に授業が始まってしまった。授業中何度か話しかけたが答えてくれることはなかった。


 放課後になった。するとすぐに愛華が近づいてきた。今日は愛華と帰る約束をしていた。だが、珊瑚のあの言葉も気になる。ここは愛華に謝るしかないか。

「愛華、その」

「慎也君、ごめんなさい」

 いきなり頭を深く下げられ俺は言い出した声を引っ込めた。

「用事ができちゃってすぐに帰らなきゃいけなくなっちゃったから先に帰るね。バイバイ」

 それだけ言って慌てて帰っていった。ここまでさっぱり諦める愛華は珍しいものだ。でも、これで気兼ねなく珊瑚と話せる。

「おい、珊瑚」

「すまない。部活があるから」

 俺の呼びかけから逃げるように離れていく珊瑚の腕を掴んだ。

「少しだからいいだろ」

 手を振り払われ珊瑚は振り返った。その瞳には微かだが潤んでいた。

「その引き止める手も無理をしているのだろ」

 珊瑚は教室を飛び出していった。俺はそれを追いかけた。


 珊瑚を追い詰めたのは屋上の扉前だった。珊瑚は扉の前で諦めたのか俺のほうへ振り返って近づいてきた。俺の立っている横に珊瑚は階段に座った。俺もその隣に座った。

「どうしたんだよ。俺から逃げるようにして」

「べつに逃げているつもりはない」

「それだよ、それ。苦手な話し方をして俺から逃げてるだろ」

 強気に聞くと珊瑚は黙って下を見ていた。

「俺、悪いことでもしたか」

「慎也は悪くない。私だけが悪いんだから」

 本音で叫んだ珊瑚は苦い顔をして俺から目を背けた。続けて話すこともなく珊瑚は悩んでいる顔をしていた。

「なんだよ、それ。分かんねえよ」

 珊瑚の肩を掴んで俺のほうを向かせたが珊瑚は俺の顔を見ようともしなかった。

「…………」

「珊瑚!」

 何も答えない珊瑚に苛立ち始め声を張り上げてしまった。すると、珊瑚は肩にある俺の手を握りながら小さな声で話し始めた。

「名前を呼ぶのも、この掴みとめる手も、私を思ってくれる優しさも、何もかも嘘なんでしょ。無理して私に優しくして苦しんでいるんでしょ」

「なに言ってるんだか。誰がそんなこと言った」

 確かに珊瑚のことで苦しんだ時はあった。だが、それは自分が馬鹿らしくて悔しくて自分自身に苦しめられていただけだ。珊瑚は悪くない。それどころか、感謝するぐらいだ。珊瑚は悩んでいた自分に間違っていると教えてくれた。新しい夢もくれた。どんなに酷いことをしても許してくれて俺を支えてくれた。ずっと本当の気持ちでぶつかってきてくれた。

 そんな珊瑚を俺が迷惑がるはずがないだろ。

「だって、慎也は斎条と付き合ってるから……私が慎也と仲良くしていると迷惑だから」

「俺はそんなふうに思ったことは一度もないからな。それに、ただ話すだけで愛華が怒るはずないだろ」

「でも、慎也のそばにいるだけで迷惑になると思う」

 珊瑚はどうしたんだ。あの時はあんなに強気で自信があったのに

「だから、もう慎也にも斎条にも近づかない」

「愛華に負けないんじゃなかったのか。愛華に勝って俺を好きになるってあれは嘘だったのか」

 自分で言って恥ずかしくなった。でも、それが俺の中での珊瑚だ。珊瑚がそう簡単に夢を諦めるはずがないとこれは絶対の自信があった。

「言わないで!それを言わないで!」

 両耳を押さえて珊瑚が泣き出した。夢。これが珊瑚の中で一番大きな何だったのか。

「分かってる。分かってるけど……誰よりも強くなりたい、誰にも負けたくない、それが私の夢だって分かってる。でも、分からないよ。斎条には負けたくない。斎条以上に慎也を好きになりたい。だけど、それを目指すだけで慎也が苦しんでいるって思うと…私何もできなくて、慎也を苦しめたくなくて……負けたくないのに苦しめたくない。私、どうすればいいか分からないよ」

 珊瑚を抱き寄せた。なぜだろう。泣かれると全力で守りたい。珊瑚を思う気持ちが自然とそうさせた。

「人に好きになってもらって辛いはずないだろ。だから、珊瑚は自分のしたいことをすればいいんだ。俺もそれに全力で答えるから。だから、夢を諦めないでくれ」

 落ち着かせるためゆっくりと優しい声でささやくように話した。


 が、珊瑚に突き飛ばされ俺から離れていった。


「優しい声も抱きしめてくれたのも全部無理をしているんでしょ。そんな嘘に喜ばされるぐらいなら、はっきり拒絶してくれた方が嬉しいよ!」

 行ってしまう。また明日話してみるか……いや駄目だ。明日何があるか分からない。このまま会えなくなるかもしれない。これが最後になるかも、そんな最悪な伝えきれない別れはしたくない。

「待ってくれ。珊瑚!」

 珊瑚は止まってくれた。近づこうとしたが珊瑚の赤い顔を見ると近づけなくなった。たった10段の階段を降りれば抱きしめる距離になるのにそれができなかった。

「な、なに」

 震えながらも強気な声で聞いてきた。俺は、伝えたいこと全てを話そうと決意した。珊瑚がどんな思いで聞いてくれるか分からないけど全部伝えたかった。

「俺、珊瑚には遠くに行ってほしくない。隣にいてほしい。悲しい顔じゃなくて笑っていてくれよ。俺から逃げないで隣でずっと笑っていてくれ」

「――――――の時と同じだね」

 聞き取れないが珊瑚は小さく口で笑っていた。そして、また歩き出してしまった。

「お、俺、絶対に嘘は付かないから。もう、珊瑚を傷つけるような嘘はつかないって約束する。だから、珊瑚も俺とは本心でぶつかってきてくれ!」

「慎也の嘘は―――だから。―――をつくために―――してるんだよね」

 そのまま珊瑚は行ってしまった。俺はそれを追いかけて背中しか見えない珊瑚に最後まで伝えたいことを叫んだ。

「俺は嘘を付かない。だから、珊瑚も約束を守ってくれ。今度の日曜日、大会の日。待ってるから。珊瑚が来るのを待ってるからな」

 返されることのない返事を俺はずっと待っていた。


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