第28話 小さな嘘と大きな嘘
時間の感覚がずれているせいで遅刻ギリギリに教室前についた。教室の外でも中のにぎわいが聞こえてくる。夏休みの思い出で盛り上がっている教室を見ると自分だけ置いていかれたような疎外感を感じる。そんな教室に俺は踏み入った。
一斉に多くの目線が俺を貫いた。その数秒間、静寂が教室の色だった。
「中本遅かったな」
五十嵐の呼びかけで教室のにぎわいは戻ってきた。俺は窓際最後尾隣の席に着いた。
前には五十嵐、横には珊瑚、左前には愛華、愛華の前に伊藤、この見慣れた光景を見るのも2ヶ月ぶりだと新鮮に感じる。
「慎也君おはよ。あの、今日一緒に帰らない」
伊藤と話していた愛華が満面の笑みで近寄ってきた。一週間会っていなかったせいか今まで以上に愛華が可愛く見えた。
「俺、バスケの練習があるから遅くなるぞ」
「うん、待ってる」
「ちょ、今日は帰りに病院行くんでしょ」
愛華のいつもの嘘に伊藤が飛んできた。嘘をつくというより忘れている感じだ。自分にとって都合の悪いことは忘れられるなんて少し羨ましい。
「えー、いいよ。ママと話すだけなんだし。慎也君と帰るほうがずっと大事」
何よりも俺を優先してくれる愛華はやっぱり俺にとって大切な彼女だと実感させられる。それは嬉しいが用事があるならしょうがない。
「病院にはちゃんと行けよ。こんどまた…」
目線を感じ言葉に詰まった。愛華や伊藤の目線ではない。他の遠くから見ているクラスメイトの目線だ。あってもおかしくはないのだがその数が異常に多く感じる。その先に目をやるとすぐに目線が外される。俺の周りは前までとまったく変わらない空気だがその外側はまるで違う空気があるようだ。俺は愛華や珊瑚たちのいるこの空気の中に居るから分からないが外の空気はどう変わってしまっているんだろう。その空気とギリギリで触れている愛華たちはどう思っているんだろう。
「慎也君どうしたの?」
「いやべつに……なあ、五十嵐。クラスのみんな変わったか?」
バスケ部の奴と話していた五十嵐はそいつに聞こえなくなるまで待ってから答えた。
「変わったな。あの噂が広がり始めた頃から」
「五十嵐!」
伊藤が声を張り上げ立ち上がった。取り乱した伊藤にみんなの目が集まっていた。
その緊迫した教室に無関心に先生が入ってきていつもの教室に戻った。
始業式が終ってから先生達の会議があるらしく教室で長い休み時間をとることになった。
みんな好き勝手に話したりしている。他クラスの出入りも激しく神原夢が珊瑚と話していた。愛華は伊藤と椎名と話しており俺と五十嵐の二人だけで教室の隅の方でクラスを見ていた。
「五十嵐、噂って何だ」
「お前が屋上から飛び降りた次の日から出てきた噂なんだがな。『伊藤がお前を突き落とした』って噂だ」
伊藤が関係しているのは合っているが突き落とされたのではない。噂はそんなどこか正しくて根本的なところが間違っていた。
「そんな噂が斎条の耳に入ってな。伊藤に本当かどうか問いただしたんだ。もちろん伊藤はすぐに否定したよ。すると今度は『中本が伊藤を突き落とそうとして失敗した』と言う噂に変わったんだ」
「まったく逆の噂に変わったな」
「そうだな。だが、今回の噂は強い根拠がおまけについていたんだ。斎条と伊藤は仲がいいだろ。いつも伊藤と一緒にいる斎条を独り占めしたいがためにお前がやったんじゃないかって」
あの時の愛華は伊藤よりも俺といる時間の方が多かったはずだ。小学校だけを見るとそう見られたのかもしれない。
「そんで、その噂が広まって教師達の間に話題になったんだ。そして、お前のあの発言」
あの発言、鳥が呼んでいるとかいったやつか。あれは伊藤をかばうがために咄嗟についた嘘だったのだが。
「お前の発言が噂と共に広がってな。お前が殺人狂じゃないかって言われ始めてるんだ」
「ひでー言われようだな」
「だな。でも疑わしきは罰せよって感じだな今のクラスは」
だからみんな俺に近づこうとしないのか。
「ちなみに俺は真実を知っている」
「真実?」
「伊藤をかばったんだってな」
あれだけ強く念を押して秘密にしろって言ったのに。まあ、伊藤のことだ俺より先に五十嵐に相談したのだろう。五十嵐はいざと言う時に頼りになるからな。
「かばったんじゃない。助けたら俺が落ちただけだ」
「それをかばうって言うんだ。でも、伊藤は苦しむだろうな」
伊藤が苦しむ?伊藤にとって不利益なことは何一つ無いはずだ。それどころかクラスの同情を買うこともできるのに。
「どうしてだ」
「してほしくも無い同情をされてさ。それに、お前がそんな体になったって知ったときには伊藤の奴はどう思うんだろうな」
伊藤は俺の夢を知っている。俺はもうそんなこと気にしていないが経験した俺はよく分かる。他人の夢を潰してしまうことがどれだけ罪の意識を感じるか、取り返しのつかないことをしたと一日中後悔する。そんな思いをさせたくなかった。
「絶対に話すなよ」
「分かってる。でもよ、すぐに分かることだろ」
「かもな。でも、少しでも忘れてからでいいだろ」
「また今度一緒に帰ってやるから今日は病院に行けって」
「うー分かった」
愛華を説得して帰ってもらった。今日は秋の大会に向けてのメンバー発表がある。確実に状況を知らない監督なら俺を入れてくるだろう。それを辞退しなければならない。そんな所を愛華に見られたら体のことがばれてしまう。
部員を前に監督がスタメンを発表していく。意外にも俺の名前は呼ばれなかった。
「で、キャプテンは夏と同じで五十嵐だ。ベンチメンバーはお前達で決めればいいぞ」
監督は俺達を残して体育館を出て行った。
「まったく手抜きな監督だな。おいスタメン集まってくれベンチ考えるぞ」
隣の五十嵐が他のメンバーを呼び集め隅の方に行ってしまった。他の部員に話しかけられることも無く俺は一人その場に座っていた。そうなると俺は一人集まりから置いていかれた気分だ。バスケ部との繋がりの五十嵐がいなくなるとここまで俺は孤立しているのか。
「5人で話して決めたから文句は言わせないぞ」
五十嵐が戻ってきてベンチのメンバーを上げ始めた。
最後まで俺は呼ばれなかった。
「そんじゃ練習始めるぞ」
呆然と放心状態で立っている俺のところに五十嵐が来た。
「どうした中本元気ないぞ」
「どういうつもりだよ。俺無しでやれると思ってるのかよ!」
怒鳴りながら五十嵐の胸倉を掴んでいた。それでも五十嵐はまったく動じていなかった。
「1クオーター10分、前半2クオーター後に5分のインターバルを挟んで後半の2クオーター、これがこの星川小学校を含めたこの地区で採用している特別ルールだ。意味が分かるか」
「何が言いたい」
五十嵐は今更特別ルールを出してきて何が言いたいんだ。それぐらい俺でも知っている。
「総時間40分の試合だ。普通では考えられない長さだ。これは技術より体力勝負にしていると言う意味だ。つまり、中本、お前には不似合いのルールだ」
「だからってベンチ入りすらさせてもらえないのか」
五十嵐は練習をするメンバーを見て呟くように言った。
「あの中でお前のパスを受けてくれる奴は何人いるんだろうな」
「そうか……そんなことが理由かそれなら……」
五十嵐はボールを俺にパスをした。
「少なくとも俺だけはお前にボールを預けていいと思っている。ベンチ入りだけならなんとかなるかもしれない。説得してみる」
五十嵐の説得でなんとかベンチ入りを許された。だが、誰一人俺を受け入れた顔をしていない。五十嵐の頼みならと言う顔だ。
竹刀と柔道着を引き摺りながら武道館を出た。夢の相手を無理矢理やらされて体力がなくなりかけている。体全身から熱が出ていて風邪をひいたような錯覚もする。
「五十嵐任せたぞ!」
「無茶苦茶なパスするな!」
体育館から慎也と五十嵐の声がする。中をのぞくと慎也が練習をしている。
秋の大会が近いから一生懸命なんだな。私も頑張らなくちゃ。夢も強くなってきてるし油断したら駄目だよね。
「慎也、頑張ってね。応援しに行くからね」
影で聞こえないような小さな声で応援してみた。もちろん振り向いてくれることはなかったけど今の私はそれだけでも胸が一杯になって嬉しくなった。
「なにニヤニヤしながら見てるんです」
不意に話しかけられて声のするほうを見ると椎名が見ていた。陸上部の帰りだろうか体操服のままだ。タオルで顔を拭きながらつまらないものを見るような目で私を見ていた。
「傍から見るとただの怪しい人に見えるよ」
「あ、ああ。すまなかったな。変なところを見せて」
帰ろうとすると椎名に呼び止められた。いつもの私なら無視して帰るところなのだがその呼び止めた言葉が私を引き止めた。
「中本が好きなら見ていればいいんじゃない」
「何を言っている」
声では強がっているけど本当はすっごく驚いていた。私が慎也のことを好きだってこと誰も知らないはずなのに……
「好きなんでしょ中本のこと、ずっと見てればいいんじゃない。だけど…中本に近づくのは許されないんだからね」
椎名に強く言われた。慎也に近づくな?なぜ椎名にそんなこといわれなきゃいけないの。
「なぜだ」
動揺しても強気な自分で椎名に噛み付いていった。それなのに椎名はまったく怯むこともなく当然のように答えた。
「中本が愛華と付き合ってるのは知っているよね。それなのに毎日毎日あんたが付きまとって中本は迷惑していると思わないの」
中本と斎条が付き合っているのは良く分かっている。だけど、私は斎条には負けたくなかった。その気持ちはまったく揺らぐことはなかったけど慎也が迷惑していると言われると少し揺らいでしまう。
「なぜそんなことを言われなければならない」
「愛華が教えてくれてね、中本がお前に迫られて困っていたって」
迫るなんて…私はただ自分の本当の気持ちを伝えただけなのに。
「中本はそんなこと言っていない」
「言えるわけないでしょ。中本は好きな人がいても告白されたらその人のことを考えちゃうぐらい優しいんだから」
そんな…あの優しい言葉や笑顔は全て嘘。本当は私が迷惑だった?そんなの……
「自分が満たされればそれでいいの?中本ことも考えたらどうなの」
せっかく本当の自分を見せられる人を見つけたのに、その人は無理をして笑っていてくれたの?私の大切なあの人は辛い思いをして私の隣にいてくれたの?私にとって一緒にいた大切な時間もあの人にとってはただの苦痛の時間だったの?
「中本には近づかないようにしなさいよ」
椎名の忠告なんて私の耳には届いていなかった。頬を伝う涙が床に落ちるように今まで大切に集めていた思い出の砂が私の手からこぼれていった。




