第26話 諦めるとき
夏休み終了一週間前になって俺と愛華はようやく退院できた。俺はリハビリ期間を省いての特別扱いの退院だ。親父に頼んだかいがあったというものだ。
愛華の怪我なら夏休みに入ってすぐにでも退院できたのだがなかなか桜先生の許しが出ず俺が追いついた形になったのだ。
窓から手を振っている凛に俺達は手を振って別れの挨拶をした。
「慎也君まだ学校でね」
「お互い短い夏休みを楽しもうな」
俺は家で療養することが退院の条件の一つに入っている。それを知っている愛華は俺とではなく伊藤たちと遊ぶらしい。そうしてもらえると俺も助かったりもする。五十嵐が学校で宿題と共に待っていてくれている。結局残った宿題を片付けて二人でやることが沢山あるからだ。
愛華は桜先生と帰って行った。
俺は荷物を麗羅さんに預けすぐに小学校へ向おうとした。
しかし、簡単に麗羅さんに捕まってしまった。力が強く振り切ることができなかった。
「離してくれよ。どうしても試してみたいんだ」
1クォーターしかもたない体。小学生独自のミニバスケではどこから打っても2点しか取れない。目標は15本。10分で15本打てるようにならなければならない。フリーでいけるかいけないかぐらいの難しさだ。ボールがまわされないことも考えられる。奪って打つ。トリックを極めることもしなければ。それよりなにより10分走り続けられるかどうかを確かめたい。
「駄目です。慎也様に運動はさせないよう旦那様にきつく言われているのですから」
麗羅さんは家事と家庭教師と保護者を親父から任されたメイドさんだ。歳は聞いても笑って誤魔化されるだけで見た目は25歳ぐらいのお姉さんだ。容姿も良く文武に優れ親父に言わせれば麗羅さんこそ自分の子供にふさわしいらしい。
「頼むよ、麗羅さん。三日分のお願い」
「少ないですね…駄目なものは駄目なんですからね」
そう言われることは分かっていた。俺が長い入院生活で何も考えていなかったと思うなよ。麗羅さんの弱点は既に研究済みなのだ。
あたりに顔見知りがいないのを確認して潤んだ瞳で麗羅さんを見つめた。
「お願い麗羅お姉ちゃん」
「はうあ!」
昔一度だけ間違って麗羅さんをお姉ちゃんと呼んだことがある。それからしばらくはどんなお願いでも聞いてもらった記憶がある。性格を利用するのは悪いが俺にも譲れないものがある。
「だ、駄目なのでしゅ」
台詞は怒っているが顔は笑顔で一杯だ。でも、これ以上やっても喜ばせるだけだ。こうなったら脅ししかないか。
「だったら親父に言うぞ」
「な、何をですか?」
笑顔から緊張と恐怖を含んだ顔になった。顔がコロコロ変わる麗羅さんは面白い。
「屋根裏部屋で猫を10匹も飼っていることとか」
「ふぇ、なんで知っているのですか」
「親父が大事にしていたワインを飲み干して代わりに安物のワイン入れたこととか」
「旦那様美味しいって言って飲んでいましたよね」
「目の前に俺がいるのに息子を誘拐したって電話を信じて身代金振り込んだこととか」
「あ、あれは慎也様を心配して」
「親父が帰ってきたとき二日酔いで夕飯はお惣菜を盛り直しただけだったとか」
「はうう」
泣き出しそうなドジメイドの麗羅さんに満面の笑みを見せて回れ右をした。
「親父に話したいことはまだまだ沢山あるし、まだ大学にいるよな」
病院に戻ろうとするが先ほどより強い力で引きとめられた。
「待ってください……わかりました。許可しましょう」
「マジで?」
「マジです。ただし、私が付き添うことが条件ですよ」
そっちの方が好都合だ。限界ギリギリもしくはそれ以上を試せるからな。
「それならすぐにいこう。今すぐいこう」
車に乗り込むとバスケットボールとシューズが置かれていた。お昼のお弁当まで用意されていて麗羅さんはこうなることが分かっていたようだ。やっぱり麗羅さんはすごい人だな。
小学校の体育館に入るとバスケ部が練習をしていた。その集まりから離れて隅の方で五十嵐とキャプテンがトリックの練習をしていた。特にキャプテンは動きに切れを出す練習を重点においてやっていた。五十嵐も苦手としていたボール捌きが上手くなっていた。2ヶ月見ない間にずいぶんと追いつかれた、いや、追いつかれ追い抜かれたと言った方が正しいか。
「シンシンようやく登場したな」
「どうしてキャプテンがいるんですか。中学の方は?」
「虎之耶は俺が呼んだんだ」
格段に上がったシュートを俺に見せつけるようにして五十嵐が来た。
「俺だけではお前がこれからやっていけるか分からないからな。虎之耶にも見てもらおうと思って」
五十嵐とキャプテンだけには俺のことを教えてある。黙っていてもすぐに分かることだ。それなら早めに相談しておいたほうが何らかの策ができるかもしれない。
「それよりシンシンあの人は?」
キャプテンが指さしたのは顧問の先生と一緒に楽しそうに話しているフリフリメイド姿の麗羅さんだ。
「ああ、麗羅―――」
言いかけて戸惑った。麗羅さんは家のメイドさん。そんなこと言ったらこの二人はどんな反応をするだろうか。今の今まで隠していた家のことは言いたくない。言ってもいいのだが長く隠していたので言いづらいのだ。
「姉さん。そう、姉なんだ」
「シンシンにお姉さんなんていたんだ」
「そんなことより五十嵐、勝負してくれないか」
久しぶりに履くシューズの感触を確かめながら五十嵐に近づいていった。
9分後、まるで計っていたかのように俺の体が悲鳴を上げ始めた。
呼吸が続かず腕に力が入らなくなってきた。五十嵐にボールを奪われ始めて足がもつれ転びキャプテンが10分経過の合図をした。
その場に座り込み五十嵐とキャプテンが側に座った。五十嵐も息が上がっていたが回復するのは五十嵐の方が倍以上早かった。
「キャプテンどうだった」
「技術やスピードは前までとまったく変わってないな。成長してないともいえる。マコマコの方が成長したと言うことだな」
容赦ないキャプテンの感想を黙って聞いていた。五十嵐は褒められて嬉しそうに頭をかいていた。
「だが、最後はアレだ。徐々に悪くなるのではなく途端に悪くなる。それはシンシン自信がよく分かっているだろ」
確かに終了間際体力がなくなったと言ってもいいような疲労感と苦しみが体を支配していた。
気力で1分走ったが速度も自慢のシュート率もガタ落ちだった。
「俺が監督だったら9分で即交代させる。マコマコはどう思った?」
スポーツ飲料をCM顔負けの飲み方をしていた五十嵐が俺に満面の笑みを見せて笑っていた。
爽やかスポーツ少年とはこんな奴を言うんだろうな。
「得点は18対8、俺の惨敗。だが、終了1分だけを見るなら0対4だ。初めの10点差なんてあと3分で埋められる。虎之耶の判断は俺も正しいと思う」
「はっきり言ってやる。戦力不足とは言わん。体力不足だ。小学校ではそれでいいが20分持つ体にならないと中学では通用しないな」
中学のことはどうでも良かった。五十嵐相手に18点、五十嵐一人だぞ。目標に遠すぎて悲しくて悔しくて先のことを考えたくなかった。大会中コートの中で一人遅れて走っていて最後には倒れる自分。想像するのは惨めな自分しかいなかった。
「外走ってくる」
今は少しでも体力を付けたい。外に出る時麗羅さんに付き添うと言われたがもしもの時の薬と携帯を貰って一人で行くことにした。
外に出ると日差しが強くまだ夏は終っていないことを主張していた。
首に掛けたストップウォッチを9分にセットしてコンクリートで舗装された学校の周りを走り初めた。このコースは運動部の体力コースとして使われているので他の部のも走っていた。
9分経って4分休む実際の試合の時間運びに近い走りをしてみた。それでも走ることができたのは14分ぐらいだ。ただ走るだけなのにこれでは試合なんてとてもできたものではない。
「慎也退院したんだ」
コースから外れ絶望に打ちひしがれている所に珊瑚が現れた。学校指定の体操服を着た珊瑚はコースを走っていたようだ。コースから外れ俺の隣に座った。
「座り込んでどうしたの」
「退院したてだから体力が戻ってないんだ」
「そうなんだ。無理しないでね」
無理をするなか…無理をしたくてもできない体なんだ。
俺達は走っていく生徒をただ見ているだけだ。途中椎名がいたが軽く話しただけでそのまま行ってしまった。
同じ生徒を見かけるようになった。椎名が俺のところに再び現われてタイムを見たらさらに悲しくなった。俺が休み休み走ったタイムの半分で回ってきやがった。今の俺は女子にも置いていかれるようになったのか。
「珊瑚、これは独り言だから黙って聞いていてくれ」
「うん」
独り言は本心を正直に声に出せる。理解してもらいたいからではない。自分の本心が知りたいから自分が聞きたいのだ。
「俺…バスケ辞めようと思う」
珊瑚は驚くことも理由も聞くことも無く黙ってそれを聞いてくれた。
「今日五十嵐とやってみて分かったんだ。俺はもうあいつには追いつけないって、必死に追いかけても俺は転んで置いていかれてどんどん差が広がるだけだ。五十嵐に追いつけない程度の俺じゃあ世界で活躍することもできやしない。限界が分かっている夢を追いかけるなんて……」
最後まで言い終える前に珊瑚は立ち上がり俺に手を差し出してきた。
「慎也付き合って」
珊瑚の手を受け取る前に無理矢理手を繋がれた。
「つ、付き合うってどこに?」
「七ヶ橋小学校」
その小学校は赤井龍真が通う小学校だ。




