第25話 本心を隠して
夏休みを病院で過ごすというレアな体験をさせてもらって新しく学んだことが沢山あった。
一つ目、学校は病人に優しくしてくれないとこだ。
夏休みが始まるなり宿題を届けに来やがった。利き腕が使えるならできるよなって理不尽な説得をしてきた。
少しは労わる気持ちは無いのだろうか。
確かに問題集はやることはできる。だが、学校を怨んだ宿題があった。自由研究と写生だ。
病院の中でどんな自由研究をしようか相当悩んだ。毎年と同じ向日葵の観察日記は駄目だったので唯一外に出れる屋上、そこから見える星の天体観測をすることにした。始めは楽しくできたが夜起きるのがどんどん辛くなってきて間違った選択をしたと今更思っている。
写生は自分の隠された能力を発揮することになった。写生のお題は『夏らしいもの』だ。入院してしばらくしか経っていないが病室にいるだけでは季節の流れなど感じない。それどころか時間の流れも狂ってしまうほどだ。
夏らしいものを想像して描くしかなかった俺はスイカを想像で描くことにした。だが、病院で絵の具を使うことを禁止されていた。渋々鉛筆一本でスイカを描くことになった。時間はたっぷりあったのでそこそこのものができたが白黒のスイカは夏らしさを感じない。だが、何も見ないでここまでスイカを描くことができた自分を褒めてあげよう。
二つ目に暇になると何に対してでもツッコミを入れだすことだ。
当初は凛や愛華の行動に対してだけだった。二人とも面白がって受け答えしてくれていたが近頃では無視され始めている。相手されなくなって退屈が頂点だった頃は鏡に映った自分に話しかけ始めたほどだ。桜先生を呼びに行かれた時は相当焦ったがな。
三つ目に
「慎也煩い!いい加減にしなさい」
「あ、すまん。俺またやってたか?」
「慎也君、そこまでだと病気かもしれないよ。またお母さん呼んでこようか」
三つ目に無意識に長々と独り言を言い出すことだ。無意識なので本心を口に出したりしていて正直困っている。
今のように皆そろっての勉強中に良く出しているようでイライラや退屈が原因だろう。始めのうちに写生や工作を済ませてしまったのが原因とも言える。残った宿題は問題集だけだ。ひたすら書くだけで気晴らしが無いのが辛い。愛華が時々問題集以外の宿題をしているのを見ると遊んでいるようで羨ましいぐらいだ。
「くそーまた解らねえ問題だ。五十嵐の奴来てくれねぇかなあ」
「夏休みになった途端五十嵐君お見舞いに来てくれなくなったね」
「そーゆーもんよ。心配しているって言いながらも結局は始めの形だけなんだから」
経験者は語る…か。夏休みが始まって二週間。それまでしつこく来ていた五十嵐が急に見舞いに来なくなった。大会が近くなってきたから来れなくなるのは仕方ないが宿題の助力を願いたい所だ。特に凛の相手をしてほしい。
「慎也この問題教えて」
「断る!俺は自分のことで精一杯だ。愛華に教えてもらえ」
愛華は読書感想文のための本を読んでいるだけだ。そんなことをしているなら凛の相手をしてほしい。俺より勉強できるんだから余裕のはずだ。
「愛華教えて」
「凛さんごめんなさい。これから未来が来てくれるから」
伊藤が来るのか…凛の相手には十分な面子だな。
「―――こいなあ」
「―――からさ」
「未来だ」
入り口近くから伊藤の声が聞こえた。それ以外に男の声も聞こえる。
「いい加減にしてください。ついてこないで」
「へー君もここにようなんだ。奇遇だな、僕もなんだよ。きっとこの出会いは星の導きだよ」
「この声、この喉の奥に引っかかるような嫌な台詞」
凛が苦虫を潰したような顔をしている。この声の男と知り合いなのだろうか。
「やあ凛、久しぶりだな」
病室に入ってきたその男は伊藤と肩を組んでいた。伊藤はというとかなり嫌そうで引き離そうと必死だ。
「離れろ、何なんだよお前は」
「駄目だなあ。君のように美しい女の子がそんな乱暴な言葉を使って」
「くうっ……」
伊藤が押されているなんて珍しい。
「ほーら、そんなむくれた顔しないで笑顔笑顔。君って笑うととても素敵なんだろうなあ」
伊藤は嫌がっているが俺から見ると付き合っている二人に見えてきた。そんな事伊藤には言えないがな。
「ほーう、拓馬いい度胸してるね。私のことはもう諦めたってことね」
凛が怒っている…と言うよりやきもちを焼いているのかな。いつにない凛を見られて俺は十分面白いけど。
「勘違いをしてはいけないよ凛。僕は全ての女性を愛している平等愛主義者なのだよ」
「それなら私も愛華もその子も同じなら私にこだわる必要はないでしょ」
「分かっていないな。他の女の子と話しているときのやきもちを焼いている凛が可愛いんじゃないか。そうだろそこの少年Aよ」
同意を求められてもそんな事気安く答えられるわけ無いだろ。
「慎也君そうなの?」
愛華までそんなことを聞かないでくれ。
「うーん……嬉しいような気もするかな」
なんだかんだで本音を言ってしまう自分がいた。もし俺が彼の立場だったらそう思うだろうし、愛華にもやきもちを焼いてもらいたいとも思う。想像すると顔がほころんでしまう。
「もう!だから男は嫌なの。で、わざわざ何しに来たの」
「いやなに、凛が僕に会いたがっていたって詩音が言っていたから」
「べ、別にそんなこと言ってないもん」
100回花束を貰うより1回会いに来てくれる方が嬉しいとか言っていたような気が…まっ、これが凛の照れ隠しなのだろう。もし、独り言が大きかったら喜びの声で一杯だろう。
「そうか、それなら帰るわ」
「えっ、ち、ちょっと待ってよ。帰らないでよ」
180度変わった凛に俺達はつい笑ってしまった。素直に喜べない凛は面白いとより可愛く見えた。
「今の反応は良かったぞ。いつもの12倍可愛く見えた。そうだろ少年A」
「ああ、いつものツンツンした凛とは違ってよかったぞ」
「慎也、あんたねえ」
怒りのオーラが見える。それもまたいいかもな。
「慎也君!私を見るの」
やきもちだ。愛華がやきもちを焼いている。思ったとおり可愛かったし嬉しかった。
「悪かったって怒るなよ」
満面の笑みでそう言っても愛華の機嫌は簡単に直ってくれなかった。
「中本、ちょっといい。話したいことがあるの」
今まで黙っていた伊藤が俺だけを呼び出した。始めからおかしいと思っていた。愛華の見舞いなら椎名も一緒のはずだし真っ先に愛華に駆け寄るような奴だ。そうしないということは俺に用事がある。それも、あのことだろう。
「別にいいけど屋上だけは止めてくれよ。すっごく雨降ってるし」
蒸し暑く熱帯雨林のような豪雨の中彼と伊藤は見舞いに来てくれた。それぞれ何か強い思いでもあったのだろう。この雨の中をわざわざ来るほどに強い何かが。
屋上以外で二人きりになれるところがなかなか見つからない。確かに病院で目の届かない所があるのは問題だと思うがこれからする話を他人に聞かれたくないのが心情だ。
探しに探して病院と大学の境目まで来た。ここから先俺達は立ち入ることができない。仕方なく戻ろうとすると珍しい声が聞こえた。
「こんな所でなにやってるんだ馬鹿」
大学エリアから滅多に聞かない声が聞こえる。そこには薄汚い白衣に無精ひげを生やしたやつがいた。周りには何人もの大学生を引き連れてでかい態度だ。
「君達は先に戻っていてくれるかな」
大学生を先に行かせ俺のところへ来た。
俺より伊藤をじっくり見て
「浮気か?斎条から聞いた話とは違うな」
「うるさい、彼女は伊藤未来。ただのクラスメイトだ」
伊藤は頭を軽く下げて挨拶をした。こいつに頭を下げなくてもいいのにと心で思っていた。
「そうか、愛華ちゃんとは仲良くやれよ。斎条と職場で気まずくなるのはごめんなのでね」
「うるせえ、そういえばお前一度も見舞いに来なかったな」
「馬鹿言え、運び込まれてすぐに行ってやったぞ。おかげで実験を止められていい迷惑だぞ」
「俺より実験の方が大事だと言うのか」
「ああそうだ。1024倍大事だ。2の10乗だ」
「2の10乗ってなに訳の解らねえこといってんだよ」
「そうか、頭がさらに悪くなったのか。中学生ですら知っていることなのにな」
「小学生の俺がそんな事知ってる訳ねぇだろうが」
言い争っていると袖を伊藤に引っ張られた。
「中本…この人誰?お兄さん?」
兄貴…そうか。見た目から判断するとそう見えるよな。
「親父だ。親父。育児放棄したような駄目親父だ」
そう、生活費を大量に送りつけてくるだけで滅多に顔を見せない親父だ。生活は麗羅さんがいるからなんとかなるが親がいないのも何かと不便だ。あっ、麗羅さんについてはまた今度説明するからな。
「お父さん?すごく若いんだね」
「その辺は気にしないでくれ。それより親父、誰も来なくて二人きりになれる場所知らないか」
餅は餅屋。この建物に詳しいこいつに聞くのが速いだろう。
「二人きりになりたいだと……仕方ないな俺の研究室を貸してやる」
渡された鍵には部屋の番号が書かれていた。
「この先を真っ直ぐ行って突き当たりの階段を6階まで上って緑色の扉を通って左側にある二番目の階段を3階まで下りて突き当りまで行って4階まで上がって始めの曲がり角を右に曲がればあるから」
「覚えられるかよ。もっと分かりやすく教えろよ。先生だろ」
「たく、そこの角を左に曲がればすぐだ」
初めからそう言えよ。こいつは病人をどれだけ歩かせるつもりだったんだ。
着いた部屋は使われている感じがまったく無くただの物置となっている部屋だった。ただ話をするだけなら十分な所でもあったが研究室とはいえない。
「で、長くなったけど話ってなんだ」
「あの事故のことなんだけど…ごめん」
やっぱりか。俺はもうどうでもいいと思っているがやはり伊藤はまだ引き摺っていたのか。
少し前の俺と同じだな。今になって分かる珊瑚がどんな気持ちで謝罪を聞いていたのか。
もう、どうにもならないと分かっている。自分でも決着をつけていることに対してここまで謝られると逆に悪いようで苦しくなる。だから、俺はあの時一番ほしかった一言をあげた。
「そんなことはどうでもいいよ」
「でも……」
「いいって、あれは俺も悪かったんだからさ」
「そんなことない!全部私が悪いの」
伊藤は何かと頑固だからな。正義を貫いて白黒をはっきりしたいのだろう。そして、あいつの中では自分を自分で真っ黒だといっているのだろう。
「そんな事無いって、あれは俺達二人だけの秘密にしておこうぜ」
「そのことなんだけど…私、皆に本当のこと言おうと思うの」
決意、自分のしたことの重さを知ってなお恐怖に脅えながらそれに立ち向かう。伊藤の強さが見えた。だが、震える彼女はそのまま砕けそうで見ていられなかった。
「駄目だ!」
「どうして」
「お前がどう話そうとしているか知らないが今のお前は全部自分が悪いように話しそうだ。それは真実じゃない。お前の正義や責任が作った嘘だ。その嘘を聞いて愛華は悲しむしお前を怨むと思う。ただでさえ今の愛華の心は不安定なんだ。そんな嘘絶対つくな。いいな」
素直に伊藤を守ってやりたいと言いたかった。だけど、そんなこと言うと伊藤はさらに責任を感じるだろう。ここは悪いが愛華を理由に使わせてもらった。愛華ごめんな。
「でも」
「絶対だ。約束だぞ!」
「でも、それじゃ中本が……」
「俺のことは気にするなって、伊藤は愛華を笑顔にしてくれればそれでいいからさ」
泣きじゃくる伊藤の頭を軽く叩いて慰めてやった。
その時俺は何も知らなかった。
俺を取り巻く環境、友達、それらがどう変わっているのかを……
それを伊藤は伝えたかったのかもしれない。不器用ながらも必死に自分を削りながら……




