第三話
「ば、化物退治?」
美琴の声が裏返った。
「そうだ。まぁ一つ目の理由も詳しく説明しようと思う。実は俺も生前、お前と同じように、本来死ぬべきだったところを助けられた。今の美琴のようにな」
あまりにも自然な『生前』という言葉は、先ほどの『幽霊みたいなもの』発言も嘘ではないのだと、美琴は改めて青年を『人間ではない何か』だと認識する。
「人は誰でも死を免れるチャンスが一度だけある。運よく俺みたいな奴に助けられた奴は、人生をコンティニューすることができる。だけど、一度俺たち――死後逆世界で生きているような奴を生概って言うんだが――に助けられた人間は、もう二度と生概に救われることはない。生きながらえるチャンスは一度だけだ。
また、生概に助けられた人間は『契約者』として逆世界にはびこる魔獣を退治しなければならない。そしてまた、生概に救われた人間は、死後、生概としてこの逆世界をさまよう」
俺も昔助けられた、その代償が今のこの状況ってわけさ、と帷が肩をすくめた。
「生概に救われた人間は死んだあと、生概としてこの世界にとどまって、その生概がまた人を助ける、ってこと?」
「そう。いつ始まったかも、いつ終わるかもわからない永久の円環、ってところか」
「ふぅん……死後のことは当分先だし、今は考えなくてもいいかな。その化物? 魔獣退治っていうのは?」
「逆世界は現実世界の逆の世界だ。だから時計は逆に回るし、道行く人も後ろ向きに歩く。ゆえに『前に向かって』歩く俺たちのことは認識できない、というのは一つの豆知識だな」
「この世界では人の目を気にすることはない!」
帷は灰色の空を仰いで謳歌した。
「まぁ、とにかく、だ」
帷はゴホン、と咳払いをして、居住まいを正した。
「逆方向に動くのは体だけじゃない。現実世界では蓋をされているものたちがこの世界で姿を現す。殺人、強盗、強姦をはじめとした犯罪や、憎しみ、恨みといった感情。現実世界でストップをかけられている事柄が露わになる」
そういうものが具現化したものが『魔獣』。
「そして、魔獣を狩るのが俺たちの役目だ」
「俺たち、って……わたしがいる意味ってあるの? っていうか、どうやって戦うのよ」
美琴はファンタジー小説や少年漫画にあるようなバトルを想像していたが、そもそも武器がなくては戦えない。
「そこだ。俺たち生概は一人じゃ力を持たない。だからこそ契約者が必要になる」
お前のことだぞ、と、帷は美琴に釘を刺す。
「生概と契約者は特別な関係だ」
右利きだよな、と聞きながら帷が美琴の手を握る。
「なっ、何してるのっ!?」
男子とのスキンシップに慣れていない美琴は突然のことに慌て、手を引き抜こうとするが、それもがっちりと握られていたので叶わなかった。
「お前、男と手も繋いだことないのか?」
さらに帷にからかわれ、美琴の顔が真っ赤になった。
「なっ、何をっ!!」
「ちょっと大人しくしろ。――我、夜の帷を上げし者。夜の世界に瞬く命を救わん――美琴、反復するんだ」
さっきから分からないことだらけで、いきなり落ち着いて人の言葉を反復しろ、と言われたって何の準備もできていない。
「えっ、え? わ、我……」
「夜の帷を上げし者」
帷の声を辿る。
「夜の帷を上げし者」
「夜の世界に瞬く」
「夜の世界に瞬く」
「命を救わん」
「命を救わん……」
二人の握り合った手から青い光が放たれた。
曇りが晴れないような逆世界に広がる青い光がまぶしい。
「何、これ……」
帷が手を引く。二人の間の距離が一歩近づく。近くで見てみると、帷の顔は子供ではないけれど、決して大人ではない顔だった。こんな、まだ若いうちに死んでしまったのだろうか……。
光が徐々に弱まり、最後には二人の手のひらに吸い込まれるようにして消えて行った。それを見届けた帷は、右手を離して満足そうに頷く。
「よし。これで俺たちは戦えるはずだ。さっきのやつ、『夜の世界に瞬く命を救わん』、唱えてみろ」
美琴に命令し、帷は『我、黄昏の帷を上げし者』とつぶやいていた。
「一体何なの、意味が分からない……」
漫画じゃないんだし。そう思いながらも美琴は唱えてみる。もう、摩訶不思議なことは始まっていた。
「夜の世界に瞬く命を救わん」
するとまた美琴の右手が輝いて……
「ちょ、重っ」
その手には、銀色に輝く銃があった。
「っていうか物騒! え! 怖っ! どうしたらいいの!?」
あまりにも美琴が騒ぐので、帷が彼女の右手を覗き込む。
「お前騒ぎすぎだっつーの……お、銃じゃん。格好いいなあ」
そういう彼の右手には、日本刀に似た細い剣が握られていた。こちらも月光の輝きを放っている。
「だってこんなもの一体何に……」
「それが魔獣を倒すためのお前の武器だ」
「そんな! わたし銃なんか撃てないよ!?」
慌てる美琴の肩に、帷がポンと手を置いた。
「大丈夫。ここは逆世界だぜ? 現実じゃあ撃てないかもしれないが、その逆だぜ。撃てるんだよ」
とても格好の悪い、そして惨めになるフォローをされた。
「あとお前、この世界じゃ俺のほうが立場は上だから。俺の命令はちゃんと聞けよ」
「でも年齢とか大して変わんないじゃん」
「お前が何歳か知らねぇが、たぶん俺のほうが二歳は上だぞ? 二年ってのは大きいぞ、だから大人しくしとけ。ちなみに余談だが、生概ってのは人生で一番動きやすい体で存在を保てる。まぁ俺は死んだのがこの体のときだったから、これ以上は成長しようがないんだけどさ」
なんだか聞いてはいけなかった話なような気がして、美琴は押し黙ってしまう。そんな美琴の様子に気が付いたのか、帷は話題を変える。
「うーん、じゃあどうするかな。ためしに魔獣退治してみる? それともとりあえず現実世界に帰るか?」
「帰る……」
一度にたくさんのことが起こって、難しい説明ばかりされて疲れてしまった。
「オーケイ。ちなみに俺、現実世界には存在しないから」
幽霊みたいなもん、って言っただろ、とふてくされる。もしかしたら現実世界が恋しいのかもしれない。
「助けてくれたときいたよね?」
「あれは例外。生概は逆世界か死の境界線でしか存在できないの。まさに幽霊って感じだな」
帷はアッハッハと笑った。
「ちなみに帰り方だけど、現実世界に帰ろうと思って足を一歩踏み出したら――待て待て。
逆世界に来る方法だけ教えといてやる。
『汝、黄昏の帷を上げし者』……これでお前は逆世界に来れる。
ただしお前が逆世界に入った途端、俺はお前の傍に召喚される。
逆に、俺が『汝、夜の世界に瞬く命を救わん』と唱えれば、お前は強制的に俺のもとへ飛ばされる」
「何それ!? わたしの生活邪魔できるってこと!?」
「まぁそうなるが……極力こっちからは呼ばないようにするよ。ただ、どうしても手におえない魔獣に遭遇したらお前を召喚させてもらう。……他にもいろいろ話すことはあるが、お前も疲れただろう。学校終わったくらいにでも召喚してまた話すわ。じゃあな」
「え、ちょっ」
待って、と言う前に帷は大きくジャンプして、横のビルの屋上に降り立っていた。
「そうか、現実じゃ不可能なこともこっちじゃできるのか……」
帷がさらに高く飛翔して姿を消すのを確認すると、美琴は自転車にまたがってペダルを踏む。
「ん? じゃあこのまま逆世界で学校まで移動して現実世界に戻ったら遅刻しないんじゃ……」
その瞬間、世界に色が取り戻される。考え付くのが少し遅かったようだ。
「ち、遅刻だぁ……!」