第二話
通り過ぎざま、トラックが大きな音でクラクションを鳴らした。
美琴ははっとした。自転車のグリップを握る自分の手をまじまじと見つめる。
「何があったの……?」
確かに美琴は今、通り過ぎて行ったまさにあのトラックと事故を起こしかけていたはずだった。
さっきの出来事を理解しなおした途端、今まで経験したことがなかった焦りと絶望感がフラッシュバックした。
あの距離ではどうしようもなかったはず。
「助けてやったぜ」
美琴が混乱していると、また声がした。
ぱっと左を向くと、先ほど美琴に笑いかけた青年が立っていた。
「あなた……何なの? わ、わたしは……」
「説明してやるよ」
うろたえる美琴に、青年はまるで何もなかったかのように説明すると言う。
「俺の名前は……」
突然、あっ、と美琴が声を上げた。
「遅刻しちゃう!」
青年のことはお構いなしにペダルに足をかけた途端、周囲の異様な光景に気が付く。
暗いのだ。あまりにも。
いきなり天候が怪しくなったわけではない。ただ、風景、街、自分と青年以外がすべて色を失っているのだ。
暗い。モノクロの世界。
あまりにも寒々とした街が不気味で、美琴はペダルに足をかけた姿勢のまま、動かなかった。
「これ、何……?」
「まぁ落ち着けって。これでお前は遅刻せずに、俺の話をゆっくり聞ける」
「どういう意味? 何言ってるの?」
言いながら周囲を見渡す美琴。
青年の言葉もわけが分からないが、この黒と白の町並みのほうがずっと気味が悪かった。
「俺の名前は帷。存在としては幽霊みたいなものだ」
無言になる美琴を見て、帷は信じてないな、とため息をつく。
「まぁいい。さっき自分の身に起きたことを考えてみろ。あの距離で一体どうやってお前は生き延びたんだ?」
再び美琴は沈黙した。
「お前はさっき死にかけていた、というか死ぬはずだった」
「……杉浦美琴です」
「そう、美琴。死ぬはずだったお前を俺が助けた」
「どうやって?」
それを今から説明するんだよ、と帷。
「美琴はここが現実世界だと思えるか?」
美琴は首を振る。
「まさか」
「もちろんそうに決まっている。お前の知っている世界は、こんな黒と白ばかりの世界じゃないよな。いいか」
『逆世界』、と帷は言った。
「いつもお前が生活している現実世界の、言うなれば裏側だ。この世界に人間はいない」
美琴が首をかしげた。
「あなたはここにいるよね? それに、わたしも」
「俺たちは例外。
この世界は、現実世界の裏側だ。時計が逆に回る世界。ほら、見てみろ」
帷があごをしゃくった。
美琴の手首には、腕時計がつけられていた。
文字盤を見る。
「秒針が……逆回転してる!?」
「そういうことだ。
ただし、不思議なことに、どこかで一日がリセット、いや、現実世界と交わっている。
だから、時間がさかのぼりすぎて江戸時代の町並みに、なんてことにはならない。
そして、ここで過ごしている時間も過去に向かって逆方向に進んでる。
つまり、結果的にはこの世界は止まっているんだ」
尚も首をかしげている美琴から、うまく伝わっていないのだとわかる。
難しいなあ、と帷が髪をかき乱した。
「まあとりあえず、仮に美琴が今現実世界に帰っても、こうして話している数分間ぶんが過去に戻ったり、進んだりしてるわけじゃない。遅刻もしない。それがわかったら落ち着いて話を聞いてくれるな?」
「はい……」
「ちなみにどうやって助けたか、だが、逆世界でちょこっとお前を自転車ごと移動させただけさ」
まぁ方法は何だっていいんだ、と言って帷の目が、じっと美琴を見つめた。
「問題はお前を助けた理由だ。お前を助けるとき、条件付きって言ったろ? あれだ」
「条件?」
「まず一つ。美琴は俺に助けられて生きながらえたが、今後一切、そんなラッキーなことは起こらない。
二つ。これからこの逆世界で俺とタッグを組んで、いわゆる化物退治をしてもらう」