第十九話
いよいよ竜巻が、四人のもとに収縮した。
「これで終わりよ」
マヤがピンク色のステッキを掲げる。
風にはためく、ピンクと白のフリルのワンピース。厚底の先が丸いぽてっとしたストラップ付のパンプスで、歩道橋の地面を踏みしめる。
マヤは、その可愛らしい姿には似つかわない、険しい顔をしていた。
『神よ! 願わくば解放を! 偽りの生の証をここに! 闇の世界に輝く命を救わん!』
マヤが叫んだとたん、ひときわ風が強くなった。
魔獣を吸い込んだ紫色の竜巻が、細く、そして空に向かって高く伸びる。
「……っ!」
見上げると、いつもは厚い雲で覆われていた、逆世界の空が開けていた。
空の色は青ではない。雲があるときと変わらない、灰色だ。
しかし、太陽が見えた。
太陽を直視してしまった美琴は、片目をぎゅっとつむった。
竜巻の先が、太陽に触れたかのように見えた。
次の瞬間。
キュイ――――――――ンッ
風が光り、びゅおおお、と竜巻が霧散した。
竜巻が消えた余波の最後の風で、ついに美琴はしりもちをついて倒れた。
「何?」
空は明るいままだった。
座り込んだまま、マヤを見上げる。
マヤは太陽を見上げたまま、微動だにしない。
何か様子が変だ。
「……やっと、終わるのね」
マヤが囁いた。
この声は、美琴にも聞こえた。
終わる? どういうこと?
とっさに智樹を振り向いた。
智樹は視線に気が付き、美琴を見つめ返した。
「終わる」という言葉が、どういう意味なのか。
智樹の顔を見て、美琴は直感で悟った。
「”昇る”んだ」
解説してくれたのは、帷だった。
その瞬間、さっき智樹と帷が前で何か話していたことを思い出す。美琴は、ああ、これだったのか、と合点がいった。
「ああ、疲れたわ」
マヤが両腕をうんと伸ばした。逆世界の太陽に向かって。
もう、いつもの様子に戻っていた。
「今までありがとう、美琴ちゃん。おかげで私たち、この世界から解放されるわ」
マヤはそう言って、晴れ晴れとした表情で笑った。
「じゃあ、智樹は……」
「うん。俺ももう、この世界には来ない。……来れない」
そうなんだ、と美琴はつぶやいた。
「おめでとう」
そうか、終わるのか。
昇るのか。
この世界から、解放されるのか。
嬉しいことのはずなのに、美琴は心がぎゅっと縮こまるのが分かった。
智樹とは、現実世界でいつも通り会える。
だけど、マヤさんとは?
マヤは、もう現実世界では死んでいる。
昇った後にどこに行くのかは分からないが、成仏みたいなものなのだろう。
もう、会えない。
美琴はマヤを見つめた。
「そんな顔しないで。美琴ちゃん、きっとまた会えるわ。そんな気がするの」
マヤが、美琴を安心させるようににっこり笑った。
「本当に今までありがとう。帷も。随分長い付き合いだったわね」
「ああ」
帷も、真剣な顔でマヤを見ていた。
「俺も」
智樹が声を発する。
「俺も、今までありがとう。帷、お前のことは嫌いだったけど、助けられたことは何度もあった」
「お互い様だ」
二人が頷き合う。
いつも、喧嘩ばかりだったのに。
これが今生の別れというやつなのか。
智樹が美琴の方を向いた。
「美琴も、ありがとう。俺がいなくなっても、怪我するなよ」
「わたしと智樹は現実で会えるじゃん」
そう言うと、智樹は複雑そうな顔をした。
嫌な予感がして、美琴は智樹に詰め寄った。
「何なの?」
その瞬間、マヤと智樹の体が光に包まれた。
魔獣の発するまがまがしい色とは真逆の、暖かい光だ。
こんな光を見るのは、逆世界に来て初めてだった。
「ありがとう」
マヤが微笑む。
「智樹!」
美琴が追いすがろうとすると、智樹は笑った。
「心配するな、俺は生きてるよ」
目を焼くような強烈な光に、美琴と帷は目をつむった。
光が収まった頃、目を開けた時には、もうそこにはマヤも智樹もいなかった。
「いっちゃったんだね」
これが、昇るということなんだ。
美琴は、二人が経っていた場所を、まだ見ていた。
「二人きりになっちまったな」
そう言う帷も、どこか寂しそうだ。