第十四話
「何てことするの! コンチュエ、コンチュエ! しっかりして!」
美琴も顔から血の気が引いていくのがわかった。やりすぎではないか。
「女、これはお前が招いた結果だ。『わたしより弱い』? その程度だったのか」
「うるさいっ!」
「仮にも俺らの縄張りで暴れた結果だ。これ以上怪我をしたくないなら、身を引くことだな」
フーティエの背後で、コンチュエが弱々しく言葉を放つ。
「いいんだ、喧嘩を吹っ掛けたのは僕らのほうさ……しばらく移動は歩きになるけれど……もう、行こう」
「でも……!」
それでもなお引き下がらないフーティエを、コンチュエが遮る。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
コンチュエは、ぺこりと頭を下げて、マヤ、智樹、美琴にそれぞれ目を向けてから、帷に背を向けた。
「コンチュエ!」
フーティエがいくら呼んでも、もう彼は振り返らなかった。腹を抱えて、ゆっくりとこの場を後にする。
一瞬、しゅんと顔を陰らせてから、フーティエは帷をきっとにらんで、コンチュエのあとを追った。
「帷、あれはやりすぎじゃない……?」
ろくな反撃もせず、立ち去った二人組の背中を見つめながら美琴は話しかけた。
「おそらくあいつらも生概とその契約者だろうが……だからって、仲間なわけじゃない。確かにあいつは強かったが、図に乗らせるわけにもいかないだろう」
「でも怪我させるのはどうかと思うわよ」
割り込んできたのはマヤだ。
「浅く斬ったつもりでしょうけれど、代償は必要なのよ」
智樹までもが鋭い視線を向けていた。帷がそれに気が付いて、一瞬ひるんだ様子を見せた。
「なんだよ、もうっ……別にあいつらを殺したわけでもないだろ。好きにしろ! もう今日は終わりだ! さっさと帰れ!」
三人が顔を見合わせた。
「何それ……」
美琴は大げさに溜息をついてその場をあとにした。
今日はあまり魔獣退治をしていないせいか、「やり終えた」というような感情はなかった。散歩がてらに道を歩いて、魔獣と遭遇しだい狩っていく。素早く終わらせれば、二体以上を一気に相手することはないため、かなり安全だ。
それにしても、美琴は先ほどの二人のことが気になっていた。本人たちにそのつもりはなくても、二人は美琴たちを助けてくれたのだ。恩を仇で返すような帷の対応には不満がある。
視界の隅、、ビルの陰から魔獣が生まれてくる。飢えた獣、犬のシルエット。ガリガリに痩せた野良犬が、首をもたげて……
「なんで!?」
てっきり襲い掛かってくると思っていて銃もしっかり構えていたのに、その魔獣はビルの陰へ消えていった。
こんなに近くに人がいるのに、寄ってこないということは――魔獣の向かった先に、何かある。誰か、いる!
ビルとビルの陰に滑り込む。美琴は予想もしていなかった光景につい悲鳴を上げてしまった。
「きゃぁっ!?」
狭く暗いビルの谷間、そこにあぶれる大量の魔獣。表の通りにそんなに魔獣がいなかったぶん、ここに集まっていたのだろう。
「……!」
美琴は後ろに気配を感じた。
銃を構えながら勢いよく振り返る。その姿を確認したのと、引き金を引いたのはほぼ同時だった。間一髪で軌道を逸す。
「智樹!」
「危ないやつ。まあ反応悪いよりかはいいけどさ」
そこにいたのは、銀色に輝く、一本の剣を持った智樹だった。
美琴の後ろをちらりと確認して、彼は剣を握りなおす。きらりと剣が光った。
「俺が突っ込む。上から援護頼む」
「でも狭いしすごくたくさんいるし……」
「そんなこと言ってる間にやられるぞ!」
智樹が美琴を押しのけ、魔獣に斬りこんで行く。人間のにおいに気が付いた魔獣たちが、顔をこちらに向けた。
「私が見つけたのにーっ!」
叫んで、美琴は強く地面を蹴った。ふわり、と体が宙に浮く。地上およそ五メートル。智樹に近い個体から銃弾を撃ち込んでいく。倒すまでしなくとも、少しダメージを与えるだけで魔獣の動きは遅くなる。
「よっ、と」
地面に降り立つ前に、ビルの背面につけられたパイプにしがみつく。めきっ、という嫌な音がしたが、空中に放り出される恐れはなさそうだった。そこから壁を軽く蹴って、反対側のビルの壁へ。さらに壁を蹴って、またさらに高い場所に移動する。
上から見下ろすと、やはり全体が見えやすい。智樹が順調に斬りこんでいるようなので、その先のほうの魔獣も撃っていく。細い路地の奥のほうが魔獣の密度が高いようだ。
そこで、魔獣のはびこる先でその光景を見て、美琴はあっと声を上げた。
「どうした? ……って、おおおおい!」
智樹が頭上を仰ぐと、美琴が空から降ってくるところだった。
「ごめん、場所開けて!」
智樹は剣を横に振り、目の前の魔獣を一気に薙ぎ払う。
悲鳴を上げながら、美琴は魔獣の死体の上に着地する。すぐに体勢を整えて、目の前の魔獣に弾丸を撃ち込んだ。
「助かったぁ。ありがとう!」
「助かった、じゃねえよ。落っこちてくるな!」
「ごめん、びっくりしちゃって……」
美琴が強い意志を感じさせる目で智樹を見据えた。
「智樹、ここにいるの全部倒しちゃおう。魔獣が集まってる原因、さっきのフーティエさんが原因みたい。奥で戦ってた」
ビルの上から見た、密集する魔獣たち。さらにその奥には、互いが押しつぶあうほどの魔獣。そして、ビルの裏口だろうか、道より数段高くなっている場所で、せいぜい踏み込めるのは一歩だけという足場で、その扉を死守する一人の少女。
「はぁ!? 全部!? だいたいあいつらを助ける義理なんてないだろ」
「やらないなら私がやるよ。どいて」
美琴が智樹を押しやろうとすると、押し戻された。
「美琴に任せられるか。それにその銃じゃ効率が悪いぞ」
美琴の顔がぱっと華やいだ。
「ありがとう!」
斬って斬って斬って、前には進めても今度は横から魔獣が増える。コンチュエの血の匂いに反応しているに違いない。
それでも、何としてでも。この扉は――コンチュエが怪我も癒せずにいるこの扉だけは、死守しなければならない!
今までずっとやってきた。二人で、二人きりで……!
それなのに、ここにいたあの男のせいで、コンチュエは負わなくてもいい傷を負った。ただでさえコンチュエは休まなくちゃいけないのに……。
フーティエは二本の剣をそれぞれ左右に振り払った。右で猪の、左でカラスの魔獣を斬っている。
その二体から剣を戻した時、前方から物騒な音が聞こえてきた。
ジャキッ、ドサッ、ゴッ。
刃がきらめき、大きな質量を持ったものを斬り伏せる音。フーティエが発し続ける音と同質の音だ。びゃっ、という音が、刃に付着した液体を振り払う様子をまざまざと想像させる。
美琴には、荒い呼吸が二つ聞こえる気がした。魔獣たちの鼻息と鳴き声、悲鳴の中で、剣を振り続ける、智樹とフーティエの呼吸。
美琴は後ろから追ってくる魔獣の撃退で、二人のことは見えなかった。しかし、その空気はまざまざと感じられた――うるさいほどの剣の音が止んで、人が作り出す妙な沈黙。
「……何しに来たの!」