第十話
「……っ、くそがぁっ!」
美琴は突き飛ばされ、地面に伏せた。それ以外の痛みはない。突き飛ばされた美琴の横で、智樹が戦っていた。
美琴をかばったのは、智樹ではない、ならば……
「帷!」
先程まで美琴のいた場所に、帷がいる。腹を抱えてうずくまり、がむしゃらに日本刀を振るう姿は危なげだ。
「帷、大丈夫!?」
マヤの声とともに、十メートルほど先で大きな雷が落ちた。魔獣のいない大きな空間ができていた。
「そこまで行って! ひとまず撤退よ。智樹、切り開いて!」
マヤの声を合図に、智樹が戦っていた魔獣に背を向け、安全地帯に向かって斬り進む。その場所もすぐ魔獣が占領しようとしていたが、その度にマヤの雷撃で倒していた。
「美琴、ついてこい!」
「で、でも、帷が、」
「そいつを支えるんだ!」
智樹の言葉に我にかえって、美琴は帷に駆け寄った。
「帷……」
「肩貸せ……っ、智樹の援護をしながら進め」
帷は息を切らし、それでもなおふらふらと力なく日本刀を振るいながら、美琴の肩を借りてゆっくりと歩きはじめる。まだ呆然としている美琴は彼を支えるどころか、それに引きずられるようにして歩く。
「でもっ、弾が出なくて……!」
「……くそっ。ならせいぜい早く歩け……」
帷の言葉通りに、美琴は歩みを進める。智樹が少しずつ切り開く道をたどる。たったの十メートルなのに、魔獣の相手をするのが智樹一人のため、思うように進めない。その上、前に進むだけでなく、横や後ろから攻撃されないように、美琴と帷の周りをぐるぐると回りながら、全方向の魔獣を倒している。魔獣と、戦えない二人の間に一定の距離をとるために。
なんとかして、マヤによって魔獣の一掃された場所にたどり着いた。ビュウッ、と風が頬を切り、体が浮く感覚がした。気が付くと三人は、魔獣の包囲網を抜けて、マヤの立つビルに移動していた。
「助かった……ぜ」
「まだよ、もう一回」
マヤの言葉通り、もう一度、三人は風を感じた。次の瞬間には、先ほどのビルよりも高いビルの上だった。とりあえずは四方を魔獣に囲まれるという窮地を脱し、安心して痛みが戻ってきたのだろうか。大きく咳込んで、帷が体を九の字に曲げた。
「帷っ」
帷の体をコンクリートの床に横たえた。腹部が血液で赤く染まっていた。かつて見たこともないくらい真っ赤な鮮血。見ているこちらも貧血を起こしそうなほどの、大量の血液だった。
「う、嘘、こんな……」
無意識に美琴は体を引いた。出血量が多すぎる。どのくらいの出血で人が死ぬかなんて知らなかったが、本能的に危険だと判断することができる量だった。このままでは、帷が死んでしまう。
「救急車、呼ばないと」
美琴はつぶやいたが、頭のどこかでは分かっている。
どうやって呼ぶのだ、と。
魔獣とたった数人の人間の住む世界で、一体どこにそんな機関があるだろう。
早く帷を助けなければいけないが、その方法が分からない。焦る美琴に気が付いたのか、苦悶の表情をした帷がまぶたを上げてかすれた声で囁く。
「そんな顔すんなって……大丈夫だぜ」
「大丈夫なわけない! でも、私どうしたらいいのか分からない……!」
魔獣の倒れ伏す鈍い音がする。二人の周りで、智樹とマヤが戦闘をしていた。少し高い位置に移動したからといって、魔獣の手からは逃れられない。コウモリに似た形の魔獣が、空から襲ってきていた。血の匂いに反応するのか、どこからともなく湧いてきて空を黒く埋めていく。
帷は大丈夫、と繰り返す。
「そりゃあ痛いけど……っ、俺らは所詮、生概だ。……人間じゃない」
視線が、今も魔獣と戦っているマヤに向けられた。
「この傷も、時間がたてば治るんだ……今すぐに、とはいかないけどな」
帷が唇を弱々しくゆがめた。
「だから、今は魔獣を倒すことに専念してくれ……逃げられたら、それでいい。……ヘマやらかした、俺が言うのもなんだけどな」
「違う、帷じゃない、私のせいだよ……」
「気にしなくていい。契約者を傷つけるわけにはいかねぇ。放っておいてくれ。本当に、放っておけば治るんだ」
「でも、痛いんでしょう!?」
「そりゃ、な」
額に脂汗をにじませ、眉根を寄せながらも、苦痛に耐えて帷が話している。
美琴が半ば無意識につぶやく。
「私のせいなのに……止血しないと」
しかし、その返答は美琴の救済を拒むものだった。
「どうにもならねぇよ。……ほら、行け。魔獣どもが弱った俺にたかってくるからな、いっぱい仕留めるんだぞ……」
そう言って、帷は気を失った。
「帷!」
思わず叫ぶが、帷は血の気の失せた青白い顔でまぶたを閉じたままだ。明らかに瀕死の状態の帷を目にした美琴の行動は早かった。
「マヤさん!」
素早く空を飛ぶ魔獣に照準を合わせる。
彼女の手は先ほどまでのようには震えておらず、しっかりと銀色の銃を握っていた。
マヤと智樹、苦戦する二人を援護する。銃もまた、先ほどのように撃てないことはない。弾が装填されているのが、美琴には直感でわかっていた。
今までと同じように――否、今までよりも正確に、しっかりと魔獣をとらえる。
美琴は叫んだ。
「帷を、助けることはできないの!?」
美琴を庇ったがために、重傷を負った帷。苦しそうにうめく彼を見ていられなくて、美琴は尋ねるしかない。その苦痛の取り除き方を。――契約者だから。
「美琴ちゃん!? 無理しないで!」
突然戦場に乱入してきた美琴に、マヤが驚いている。
「無理、してません!」
実際、叫び返す美琴の手元はぶれず、今までにない精度で魔獣を撃ち抜いていた。
「教えてください、何か、あるんですよね……!」
確証はなかった。それはほとんど、祈りだった。
できる限り二人の足を引っ張らないように、今までで一番、一生懸命に魔獣を狙う。目が、狙う魔獣一匹に集中する。ギュっと眼球が引っ張られているかのように、目を見開いて魔獣を追い、撃つ。
……できる、と美琴は思った。魔獣を、倒せる、と。そう思えば、狙いがさらに正確になる。いつか帷が言ったとおりだ。できると思えば、できる。
「マヤさん!」
撃った魔獣は、地上に落ちる前に霧散する。美琴の加勢により、見るからに魔獣は数を減らし
ていた。
雷を落とすだけでは手が足りないのか、ピンクのステッキを振り回してまで魔獣と戦うマヤが、ちらりと美琴を見た。そして次は、智樹を見る。その視線はどこか愁いを帯びているようだった。
さっきから何も言わない智樹を一瞥する。彼もまた、何かをためらっているようだった。
「何かあるんでしょう、教えてよ!」
美琴の声が、悲鳴のように響き渡った。
次に重く唇を開いたのは、智樹だった。
「マヤ」
「……分かってるわよ」
一跳びしたマヤが、横たわる帷のそばに降り立ち、ステッキを床と垂直に立てた。
『我、闇の森を駆ける者――』
マヤの傍らには、いつの間にか智樹も降り立っていた。
『――闇の世界に輝く命を守らん』
その言葉は、美琴が最初に帷に教えられたものとよく似ていた。人間が逆世界に入るときに唱えなければいけない言葉だ。しかし、微妙に美琴のそれとは違う。
「これは……」
美琴がさらに魔獣を落とそうとしたところ、魔獣と美琴の間にうっすらと膜のようなものが見えた。
「結界よ」
それは、美琴をはじめとする全員と魔獣を隔てていた。魔獣は美琴たちに向かってこようとするが、結界に阻まれて近づけない。結界の中は、どうやら彼女たちにとって安全なようだった。
こんな力を持っているなら、最初から――帷が怪我をする前から、使ってほしかった。そうも思ったのも事実だったが。
「マヤさん、帷を……、助けてください! こんなことまでできるマヤさんなら、きっと」
「それは無理よ」
マヤの言葉は、美琴の救いを拒絶した帷のそれと重なった。美琴の胸を深く抉る。
「そんな……!」
「……帷を救うのは、私じゃないわ。……美琴ちゃん、あなたよ」
「私……?」
マヤの言葉に、美琴は呆然とする。
――魔法の使えるマヤさんにできなくて、わたしにできること?
「本当は、言いたくなかったんだけど……」
智樹は、終始目を伏せている。
「これは、生概と契約者の問題だから」
そう前置きして、マヤは語りだす。
帷を救う方法を。