その7
両肩を強く押され、ハヤトは意識を取り戻した。
「お目覚め?」
さっきの少女、コリンの声がした。
辺りを見回すと、そこはねずみ色の壁が印象的な薄暗い空間だった。自分のすぐ右側では、水が流れている。ひどいにおいがした。
おそらくは、町の下水道だろう。
ハヤトはすぐに立ち上がろうとしたが、両腕を鎖で繋がれていることに気がついた。
背後にいたシェリルが彼の手をおそるおそる取り、立ち上がらせた。
「この先に、歩いてください」
「……お前たちは何者だ。まさか魔王の手下か?」
ハヤトの言葉に、二人はきょとんとする。
コリンが肩をすくめた。
「とりあえず、歩いてくれる?」
「いいや。お前らが魔王の……ソルテスの手下なら、言うことを聞くわけにはいかない」
その言葉を聞いて、シェリルは大いに動揺した様子だった。
「ええっと……とりあえず、違います」
「シェリル、あんまりごちゃごちゃ言わないほうがいいよ」
「で、でも!」
「とにかく、私たちと来て。あなたに選択の余地はない」
コリンは、腰の部分から小さなナイフを取り出して言った。
ハヤトは仕方なく、彼女たちに引き連れられて歩き出した。
しばらく下水道を進むと、開けた場所に出た。
天井が高く、いやなにおいもしなくなっていた。
コリンが鎖を切り、ハヤトを解放する。
彼は即座に二人と距離を取った。
「こんなところに連れてきて、いったいどういうつもりだ」
大柄なシェリルはそれを見てまたあたふたしていたが、小さなコリンは、余裕そうな表情でナイフをしまう。
そして、一歩後ろに退いた。
奥から、こつこつという靴が地面をこする音が聞こえてくる。
現れたのは、一人の白い仮面をつけた男だった。
「お前が親玉か!」
ハヤトが言うが、男は腰に下げた細身の片手剣の柄を取り、自分の胸に掲げるようにした。
コリンたちはそれを見届けると、さらに後ろへと下がって腰をおろした。
「答えろ、お前は魔王の手下なのか!」
ハヤトの言葉を無視して、男は地を蹴って駆けると、彼に向かって剣を突く。ハヤトはとっさに横へと転がってそれをかわした。
「ちくしょうっ! なんとか言え!」
返事は返ってこない。男は有無を言わさず、鋭い突きをハヤトに向ける。かわしそこね、彼の頬に赤い筋が刻まれた。
さきほどから続く意味のわからない展開に、ハヤトはいらついていた。
だが、真剣で攻撃されているというのに、恐怖はなかった。
さすがにもう、こういった状況には慣れてきていた。
ハヤトは男の剣をよけながらも、冷静に考える。
どうすれば、この男を倒せるだろうか。
男はある程度の距離を保ち、ひたすら切っ先を向けて突く。隙は、ほとんどない。
せめて武器があればいいのだが、ベルスタでもらった剣は海に落としてしまったし、以前、護身用としてマヤにもらったナイフも、鎧と一緒に城へと置いてきてしまった。
現状、武器はない。
ただひとつをのぞいては。
ハヤトは、突如として背を見せて走り出すと、座っていたコリンの元へと向かう。
さっき彼女が持っていたナイフを奪い取れば、戦うことができる。
しかしコリンはそれを見ても、表情を変えることはなかった。
直後、ハヤトは見えない壁に激突した。
すぐ近くで、シェリルが目を閉じて“魔力”を練っている。
「『ウォール』か……!」
足音が後ろから聞こえてくる。ハヤトは振り返って透明の壁に手を付けた。
仮面の男が、目の前まで迫って来ていた。
もはや、リスクを恐れている場合ではない。
ハヤトは、全神経を集中させて、男の動きを観察した。
男はゆらゆらと揺れながら、突くタイミングを伺っている。それに伴い、刀身が反射でぎらりと光っていた。
じりじりと互いの間合いが狭まる。
ハヤトの額から汗が一筋垂れ、顎から地面へと落ちた。
男が右足を大きく踏み出し、今までの攻撃の中でも一番気合いの乗った突きを放つ。
しかし、誤算が生じた。
あろうことか、全く同じタイミングで目の前の標的もこちらに踏み出してきていたのだ。
刀身をくぐるようにして手をのばしたハヤトは、男の剣の柄部分を掴んでいた。
「必殺の一撃を打つ時って、どうしても力むよな。わかるよ。俺も、そうだから」
直後、ハヤトの瞳が蒼く輝く。
男の剣を媒介として、「蒼きつるぎ」が姿を表した。
“魔力”の衝撃波が起こり、男の体は吹き飛ばされて壁にたたきつけられた。
ハヤトは奪い取った「蒼きつるぎ」をそのまま構えようとしたが、体に痛みが走り、地面へと落としてしまった。
さすがに、今日は「つるぎ」を酷使しすぎてしまったようだ。
コリンとシェリルの二人が、思わず目を見開いた。
「ルドルフ様!」
「大丈夫だ、ふたりとも」
壁によりかかって立ち上がりながら、仮面の男がようやく口を開いた。
ハヤトは、その声に反応した。
「えっ……ルドルフって……まさか」
「どうやら、その『蒼きつるぎ』は本物のようだな、勇者よ」
仮面を取ったザイドの若き王は、少しだけ笑った。