その8
ハヤトは仰向けのまま、冷たい海に深く沈みはじめていた。
さっきまで自分を苦しめていた体の痛みがすでにない。
意識が少しずつ遠のいていく。
死ぬ。このまま死んでしまう。
わけもわからないままこんな世界に飛ばされて、ひたすら痛い思いをして……。
冒険は、ゲームの中だけで十分だったのかもしれない。
でも、楽しいこともあった。森野真矢そっくりなマヤや、耳のぴこぴこがかわいいルー。かっこいいミランダさんと、ちょっと頼りない雰囲気が自分と重なるロバートの漫才コンビ。
彼らとの旅路は、短かかったけど、楽しかった……。
そう、楽しかったのだ。
まだ、続けたい。彼らと冒険を続けたい。
そしてユイに会わなければ。
ハヤトは、冷たい海の中で必死にもがこうとした。
だが、力が入らない。体が闇へと引きずり込まれてゆく。
ダメなのか。
もう、ダメなのだろうか。
ならばせめて、マヤにお別れを言いたい。
ハヤトは最後に、すがるように手をさしのべた。
その手を、誰かが取った。
「ハヤト君! ハヤト君っ!」
海上に上がったマヤは、肩に抱くハヤトを必死で呼んだ。
ハヤトはせきこんで水を吐き出し、うつろげに目を開いた。
「マヤ……生きてんのか、俺……」
ハヤトが声を出すと、彼女は涙と海水でびしょびしょになった顔をくしゃくしゃにして、「よかった」と彼にだきついた。
体中の痛みが蘇り、ハヤトはうめいた。マヤはすぐに回復魔法をハヤトにかけてやる。
心地よい“魔力”の流れがハヤトの傷を少しずつ癒したが、それでも彼は苦しそうにしている。
「傷が深すぎる……。私の“魔力”じゃ、全部治してあげられそうにないわ」
「すまねえ、マヤ」
「クラーケンは倒せたし、なんとか船に戻れれば……」
マヤは自分の背後を見る。
かなり遠方に見える「ザイド・アトランティック」号の船体を掴むようにして、巨大な触手がうごめいていた。
「ク、クラーケン!? どういうこと!?」
「ヤバいぞ……。早く戻ってあいつを倒さないと」
ふたりは水をかく。しかし、船はだんだんと遠くなっていく。どうやら波に流されてしまっているようだ。
「くそっ、波か……せめて『蒼きつるぎ』が出せりゃあな……」
ハヤトは悔しげに自分の手を見た。
全く握力が出ない。剣が握れる状態ではない。
マヤは何も言うことができない。
キング・クラーケンが船のマストを数本つかみ、それをねじ切った。
「ちくしょうっ、みんなを護れないで、なにが勇者だよ……」
「ハヤト君……」
船がちかちかと発光する。誰かが魔法で応戦しているようだ。
その光景が、少しずつ遠くなっていく。
「俺に、もっと力があれば……」
マヤは思った。
違う。
自分に、もっと力があれば。
オウルベア、レッドドラゴン、館の魔物、そしてビンス。
思えばハヤトに出会ってからは、彼に助けられっぱなしだ。
今回も、彼一人に魔王軍との戦いを任せてしまった。
どこかで、「蒼きつるぎ」さえあればなんとかしてくれると考えていた。
でも違う。ハヤト・スナップは確かに伝説の勇者かもしれないが、自分と同年代の男の子でもあるのだ。
彼ひとりにつらいところは任せっきりで、自分は運良く兄に会えればいいな。
そんなの、都合がよすぎる。
私が、もっと強ければ。
あのモンスターを倒せるくらいの力があれば。
ハヤト・スナップを、助けられる力があれば……!
「マヤ……?」
ハヤトはマヤが再び涙を流しているのを見た。
だが、さっきとは違い、彼女は強いまなざしを船に向けていた。
「ハヤト君。悔しいよ、こんなの……! 力がほしい。あなたみたいな、力が……。あなたを助けるための、力が……!」
その時、マヤの背中に輝く亀裂のようなものが走った。
ハヤトは目を見開いた。
「マヤ、それって……!」
「ハヤト君、私は、あなたと旅を続けたい! 兄さんに会うまで、諦めたくなんかないっ!」
声に反応するように、亀裂が広がる。
同時に、ハヤトは自分の手のひらが蒼く輝いているのに気がついた。
彼は自然と、その手で亀裂にふれた。
「蒼きつるぎ」が突如として現れ、マヤの体を貫いた。