その4
「じゃ、ジャンプなんて汚くないですか」
隼人が思わず言うが、楓はうんうんと頷いた。
「そうね。たぶん試合でやったら反則でしょう。でも隼人、それは剣道での話です。今のあなたの剣は、剣道ではなかった」
楓はびし、と隼人の眼前に竹刀をつきつけた。
「――いつから、そんな剣を振るうようになった」
突如として、楓の雰囲気が変わった。
隼人は、周りの空気までが凍り付いたような気がした。
「剣の道とは、人の道、心の道だ。君が力を以て剣を振るうのは、他人を倒すためでも、快楽のためでもない」
言い返せなかった。
隼人は確かに、竹刀を振っていて、これまでにない高揚感を感じていた。
不思議なことに、それが当然のことのように捉えられていたのだ。
「剣は自己を高め、他人を救い、護るために存在するのだよ。それがわからない奴に、剣を、力を持つ資格はない。私が戻るまでに今日は帰れ」
楓は、竹刀をそっと置いて道場を出て行った。
隼人は、面を取って息をついた。
その通りだ。完全に見透かされていた。
「かなわねえな、あの人には。真矢、悪いけど今日はこれで帰るわ」
隼人が振り返りながら言うと、彼女は驚いた表情で硬直していた。
「……どうした?」
「な、なんできゅうに下の名前で呼ぶのよ」
真矢は少し赤くなっていた。
隼人は頭をかいた。
確かに。なぜだろう。
「あ……悪い。なんか、自然に呼んじまった」
「ま、まあ、べつに……いいけど」
真矢は床を見て少しもじもじしていた。
「それじゃあ、帰るからな。部活、がんばれよ」
真矢はしばらく答えなかったが、やがて言った。
「じゃあ……わ、私も帰る」
ふたりは、自転車に乗って学校を出た。
隼人はすぐ横を走る真矢を見る。
「おい、お前までサボっちまっていいのかよ」
「関係ないでしょ」
真矢は顔を前に向けたまま言った。
「関係ないなら、どうしてついて来るんだよ」
「それはこっちのせりふよ。私は家に向かってるだけだもん」
「俺の家だってこっちなんだよ!」
「じゃあ折笠が道を変えればいいじゃない!」
二人はそんなやりとりを続けながら自転車をこいだ。
しばらく走って、町のシンボルである塔の建つ公園に出た。
隼人は、自販機で飲み物を買おうと駐車場に入ることにした。
だが、真矢も全く同じことを考えていたらしく、二人は結局にらみあったまま公園に入った。
隼人は駐車場の縁石に腰掛けて、炭酸飲料の缶を開けた。真矢はウーロン茶のボタンを押して、商品を取った。
公園には二人のほか、誰もいない。車すら停まっていない。
隼人は缶を傾けながら、塔を見た。
「『小泉町スカイアロー』……いつ見てもショボいな。名前負け感が半端じゃねぇ」
「これって確か、景気がよかった頃に作ったんでしょ? 税金の無駄づかいよね」
「今どき、高さ八十メートルじゃあな……」
「しかも展望台が暑いのよね」
「ああ、エアコン入ってないからな。小学生の頃、冬に行って凍えたよ」
「そんなんじゃ、誰も入らないわよね……」
真矢のとげとげしい雰囲気は消えていた。
しばしの沈黙のあと、彼女が言った。
「それにしても、相変わらず先生はああなると怖いわね」
「昔からだよ。……でも、かっこいいんだよな」
真矢はそれを聞いて少しだけ、いらついた様子だった。
「でれでれしちゃって」
「ば、バカ野郎。あの人は怒るとさらに怖いんだからな!? ほとんど鬼だぞ、鬼」
「はいはい。鬼でも美人なら、それでいいんでしょ。男ってみんなそうなんだから」
「誰もそんなこと言ってねえだろっ!」
隼人は舌打ちして、飲み終えた缶をゴミ箱に入れようと自販機に向かった。
その時、どさ、と音がした。
隼人が振り返ると、真矢が倒れていた。