その3
「隼人、唯のことなんだけれど」
ふたりでの夕食中、ふいに母親が言った。少し不安げだった。
「何か、聞いてない?」
「聞いてないって……なにが?」
母親は少し言いにくそうにしていたが、眉を下げて口を開いた。
「最近、夜中に家を抜け出してるみたいなのよ」
「へ?」
隼人はありえない、と言った風に手を広げた。
「唯が外に? あいつに出られる訳ないじゃん。それに母さんにだまってなんて、ありえないでしょ」
しかし、母親の表情は変わらない。
「そうなんだけどね、たまに部屋の中にいないみたいなのよ。ノックしても反応がないし、一回、ドアを開けたこともあるんだけど……どこにもいなかったの」
「トイレとかじゃないの?」
母親は首をふった。どうやら何度も確認しているらしい。
「それで、なんというか……不思議なんだけど、いつの間にか戻って来てるのよ。もしかしたらあの子、病気も治らないのに、黙って外に出てるのかもしれないって……」
話によると、玄関のドアを開けた様子もないそうだ。
唯は肺の病気持ちで、現在は自宅療養している。小学生時代に罹患し、一度はよくなったのだが、中学生になって再発。現在は学校にも半年近く行っていない。現在彼女が外に出るとすれば、薬をもらうために母親と病院に行く時だけである。入院や手術は、本人が嫌がっているためしていない。
隼人は箸を置いた。
先ほど彼女が言っていた「冒険」という言葉が引っかかった。
あの言葉の裏には何かがある。唯は外で何かしているのかもしれない。
「信じられないけど、もし抜け出そうとしてたら、俺から注意しとくよ」
隼人は部屋に戻り、「ベスドラ」を再開した。
深夜一時。隼人は頭を抱えていた。
「ちくしょー……ぜんっぜんわかんねえ」
隼人は「ベスドラ」のダンジョンで詰まっていた。攻略サイトをチェックしてみたのだが、ボスのいる部屋の扉の開け方だけが見つからない。本来なら詰まるような場所ではないらしい。
鋼鉄のドアはなにをしても開かない。どこかでスイッチを押すのを忘れてしまったのか、はたまたフラグが立っていないのか。試行錯誤を続けたが、隼人はやがてベッドに突っ伏した。
しばらくして、ふと、唯のことを思い出した。
まだ起きているだろうか。あまり本意ではないが、やつに聞くのが一番ではなかろうか。どうせいつものようにバカにされるのだろうが、この状況が打開できるのなら、構わない。
隼人は部屋を出て、廊下の突き当たりにある唯の部屋をノックした。
反応がない。
夕食時に言われたことを思い出し、少し不安になる。
「おい、唯。いるか?」
がたり、と音がした。どうやらいるらしい。隼人はほっとした。
「入っていいか?『ベスドラ』のダンジョンがよ……」
「来ないで」
やたらと冷たい、唯の声が返ってきた。
「そう言わないでくれよ、ここがクリアできねーと寝られないんだよ」
返事はない。
隼人に妙な感覚が走った。足下が少し冷たい。ドアの下から、少し風が吹いている。
「唯?」
返事はない。
隼人は、もう一度ノックした。
返事は、ない。
まさか、と思った隼人は、ドアを開いた。
そこに唯の姿はなかった。