その5
「なあソルテス……」
「なあに」
ソルテスは、問いかけに答えた。
元気よく。嬉しそうに。
ハヤトの抱いた違和感は、この点にあった。
これまで、目的のために必死にやってきて。
成功間近で、失敗して。
その上、仲間を全員殺されて。
それでも彼女は、元気よく嬉しそうに、自分の問いかけに、答えたのである。
「どうして、そんな顔ができるんだ……?」
自分は、彼女の仲間たちの仇のはずなのである。
なのに。
「なぜ俺に、そんな顔ができるんだよ……? おかしくねえか。俺たちは、さっきから殺し合いをしてるんじゃないか」
「それが、何か?」
ソルテスは、小首をかしげた。
彼女にとって、おかしいことは何一つもないようだった。
「ソルテス……お前」
「唯って、呼んで」
ソルテスは、笑顔だった。
奇妙だと、思っていた。
この最後の戦いは、ぱっと見では互角に見えた。
戦っていても、そう感じた。
しかし、彼女は最初に例の「時止め」を行って魔法を放っていれば、その時点で自分に勝っていたはずなのである。
あの漫画のキャラクターのように、相手が能力について理解する前に致命傷でも負わせていれば、きっとそれだけで目的を達成できたはずなのである。自分を殺せていたはずなのである。
「なんで、だよ。どうして今更、そんなことを言うんだよ!」
「私は、この時を待っていたの」
ユイは、眼を閉じた。
「お兄ちゃんと二人きりの世界……それが、作りたかったの。もちろん、最初はね、違ったの。あなたを殺すつもりで、あの世界へと入った。もしかしたら、私も人間性を破壊されたのかもしれない、とか思うこともあるけれど、きっと違うと思う。……私は破壊した常識になじみきれずに、あの世界で病気にかかった。当然のことだと思う。私とお兄ちゃんが生まれた世界は、空気の成分とか、そういう根本的な部分から、全部違うの。お兄ちゃんがこの世界でふつうに過ごしていられたのは、もちろん私が『ゼロ』でそうしたから。でも、あちらの世界でそうしてくれる人はいなかった。だから私は、病気になった。一生治らない、残酷な病気に」
ハヤトは黙ってそれを聞いている。
ユイは続ける。夢見る乙女が自分の妄想を語るかのように、少し恥ずかしげに、大げさなリアクションで。
「でもね! でも……それでも私は、お兄ちゃんが持っている『ゼロ』をどうにかしようって、ずっと頑張っていたの。魔王となったことを忘れないように、必死にね。だけど、お兄ちゃん、覚えてる? 入院した私にマンガを買ってきてくれたこと」
ハヤトはすぐに思い出した。
小学生の頃、急に入院する羽目になった妹に対して何をすればいいのかよくわからなかった彼は、一冊の少年向け冒険マンガを買い、彼女に渡した。
「それがね……本当に、本当に本当に、嬉しかったの。今まで、そんなこと、してもらったことがなかったから。もちろんお母さんたちに優しくしてもらったことだって、嬉しかった。私には、本物がいないから……。でも、それ以上に、あなたの気持ちが、嬉しかったの」
「やめろ! やめてくれ!」
ハヤトはたまらず耳を塞いだ。
折笠唯は、それでも続ける。
「だからね……その時から、私の目的、もう、変わっちゃったんだ。勇者の『ゼロ』を育てて、自分たちの世界を取り戻すなんてこと、忘れちゃったの。私は、恋に落ちてしまったの。あなたと、二人だけの世界を作ること。それが私の、本当の目的なの」
まごうこと無き、愛の告白であった。
ハヤトは、うつむいた。
「たったそれだけのために……お前はふたつの世界を犠牲にしたって言うのか……」
「たったそれだけ? 聞き捨てならないよ、お兄ちゃん。女の子にとっては、自分の命よりも大切な問題なんだから。世界なんて、もうどうでもよかったの。こうしてあなたと、二人でここにいることができて、私は本当に幸せ」
彼は、顔を上げて大声を出した。
ハヤト・スナップではなく、折笠隼人として。
「馬鹿野郎ッ! たったそれだけなんだよ! 例えどんな理由であれ、世界を犠牲にしていい道理なんて、どこにもないんだ! どうしてお前には、それがわからなかったんだ! どうして、ここに来るまで、それを打ち明けられなかったんだ! その問題は全部、こうなる前に解決できたはずなんだ!」
唯は、涙目で彼を見る。
「朴念仁。お兄ちゃんはやっぱり、何もわかってない」
「ああ、そうだよ。俺はお前の兄貴だからな」
「血は繋がってないんだよ。だから好きって言えるんだ」
「もう、聞きたくねえ」
「だったら――」
唯は「紅きやいば」を勇者の兄に向けた。
「わかってくれるまで、あなたを壊す。壊して壊して、私を理解してくれるお兄ちゃんに作りかえる」
隼人も「蒼きつるぎ」を魔王の妹に向ける。
「やってみろ。それでも俺は兄として、本気でお前を叱るし、何度でも止めてやる。だから反省しろ、唯!」




