その6
ハヤトはここに来て、「ゼロ」を覚醒させて初めて、苦境に陥っていた。
二人の戦いが始まってからというもの、グランは腕を組んで立っているだけである。
しかし、ハヤトは片膝をついていた。それだけのダメージを負っていたのである。
「どうしたよ、勇者さま。そんなもんじゃないだろう?」
グランが嘲笑する。目を血走らせて、力強くにやける。おどけている風ではあるが、その笑みには明らかな怒りが込められていた。
ハヤトは大声を出して剣を振り上げようと試みたが、その瞬間、動かした腕の周辺が爆発を起こす。
衝撃で体がよろめくと、その背にさらに大きな爆発が起きた。
「うああああッ!」
ハヤトはその場に倒れ込んだ。
彼もまた、まだ一歩も動いていなかった。
マヤはそれを、ただ見ている。
目の前で散った仲間たち。あまりにも残忍な兄。動くことすらできずに攻撃を受ける、勇者。それらを瞳に写し込んでいるのみであった。
「くそっ……こんな魔法、破壊してやる……」
なんとか立ち上がったハヤトは、「グローボ」二十数個を、剣へと変えた。グランは表情を変えない。
「今度はレジーナの技か。もう少し工夫して欲しいものだ」
「うるせええッ!」
ハヤトが剣をグランへと向けて飛ばす。
しかし、その全てが彼へと届くまでに燃え尽きた。
グランは、やはり腕を組んで彼を見ている。
「届かねえよ、そんなもん」
ハヤトは焦った。
なぜ、やつの魔法が破壊できないのかわからない。
と、言うよりも。やつが一体何をしているのか、理解できない。
以前、塔での戦いでミランダが言っていた。「攻撃の全容が全く掴めない」と。
仮に、機雷のような魔法を縦横無尽に敷いているのだとすれば、「つるぎ」や「グローボ」をぶつけて破壊することができるはずだ。
だが、「グローボ」は自分の周囲をふわふわと飛んでいる。飛んでいるのだ。何にもぶつかることなく。
この上ない時間稼ぎと言えた。きっと「つるぎ」の一撃が加えられればグランは倒せる。しかし、彼には近づくことができないのだ。
ハヤトはようやく、仲間の名を呼んだ。
「マヤ……! 動けるか」
マヤは二回ほど声をかけられて、ようやく意識を現実に戻すことができた。ショックから立ち直るには、まだ時間が必要そうであった。
彼女は、一歩前進することができた。ハヤトとは違っていた。だが、その瞬間にグランが叫んだ。
「動くな!」
足が止まる。グランの視線は、ハヤトに向けられたままだ。
「動くんじゃねえ。もしそれ以上動けば、お前を殺さなくちゃならない。マヤ。俺はそれだけはしたくないと思っている」
狡猾な言い方だった。
グランは、正確に言えばマヤの兄ではない。だが、彼は察していた。異世界の見知らぬ妹は、兄を溺愛していた。きっと、この戦いに臨むまでも、旅の中でも、異世界の自分を心の拠り所としていた。例えこの戦いが世界の命運をかけたものであっても、彼女は止まると、そう予想していたのである。
事実、マヤは止まった。
ほとんどパニック状態の中で、ずっと探していた兄を目の前にして。ほんの少しばかり、優しい言葉をかけられて。ほとんど反射的に止まってしまった。
「にい……さん」
「マヤ! そいつは君のにいさんなんかじゃないんだっ!」
グランは、マヤを見て言った。
「違うな。俺はグラン・グリーン。マヤの兄だ。マヤ、お前ならわかってくれるよな? だからそのままでいてくれ、頼む」
マヤの心は、その言葉だけで大きく揺れてしまった。
マヤ・グリーンにとってグラン・グリーンは、そのくらい大きな存在だった。
彼女の瞳から涙がこぼれた。
「よし、マヤ。それでいいんだ。それだけで俺は救われるし、本当に嬉しいよ」
「くっ!」
その時、ハヤトが駆けだした。爆発が起きるかと思ったが、彼は二、三歩前進することができた。グランは弾かれるようにして、再び彼のほうを見る。爆風とともにハヤトは地面へと打ち付けられた。
「ちっ、やっぱり『ゼロ』の前で油断は許されねえな」
グランは舌打ちした。
自分の右腕が、なくなっていたのである。さっきのコンマ数秒の間に、ハヤトが放った攻撃によるものであった。
グランは腕がちぎれた部分を見ると、すぐにそれを復元させた。
「見る……ことか。お前の能力は、見ることで発動するんだな」
ハヤトが、なんとか立ち上がりながら言う。
グランは答えない。
「ハヤト。お前はこのままここで終わりだ」
「終わるもんか……! 俺はソルテスを止める」
「ほう。実の妹を、殺すのか。もっとも、知っての通りソルテスはお前に近づくため、あの世界へと潜入していた赤の他人だったわけだ。そりゃ、容赦なく殺せるだろうな」
「違うッ!」
ハヤトは、声を荒げた。
「ソルテスは……赤の他人なんかじゃない。実際は一体どのくらい、あいつが『ユイ』として俺と一緒にいたのかは、俺にはよくわからねえ。だけど! あいつは確かに、俺の妹だったんだ。そして俺は……俺はあいつの兄貴だから! だから止めるんだよッ! 何やってんだって、怒ってやらなきゃならねえんだよッ!」
マヤが、それを聞いてはっとする。
ハヤトは、のし、と一歩踏み出した。
爆発が起きる。彼の体は再び、地へとたたきつけられた。しかし、ハヤトはまた、立ち上がった。
「諦めねえ。ソルテスにそれを言うまで、俺は! 俺は諦めねえッ!」
「それを聞いて尚更、お前をここから動かす訳にはいかなくなった。全力をもって、ここでお前を足止めする。それが俺の役目だ」
「に……にいさん」
その時、マヤが言った。涙声ですらなく、もはやそれは嗚咽に混じったしゃがれ声であった。
グランは、彼女を見ずに言う。
「なんだ」
「兄さんは、確かに、兄さんよね」
「……何が言いたい」
マヤは、「紫電」を抜いた。
「ごめん、ハヤト君……あなたの言うとおり……だわ。兄さんたちは、間違っている。だから例えあなたが兄さんでも、そうでなくとも。それは関係ないことだった。私はあなたを止めなきゃ……」
マヤは言葉を止めた。涙が止まらない。声が出ない。
それでも彼女は言い切った。
「私が、あなたを止めなきゃ……ならない……!」
マヤの背中から火花が散り“魔力”の翼が生える。
グランはぞっとするような視線を彼女に投げかけた。
「泣いたり叫んだり、忙しい女だな。こんな奴が妹だと思うと、寒気がする。……止めるというなら、やってみせろ」
「はあああッ!」
マヤの青い瞳が輝く。彼女は地を蹴ってグランに飛びかかった。




