その1
見慣れた天井が見えた。
のそのそとベッドから起き上がり、時計を確認する。
午前九時二十五分。
一瞬ぎょっとしたが、そういえば今日は土曜だった。
二度寝しようかと思ったところで、窓ガラスのほうからこつんと音が聞こえた。
仕方なく光の差し込むカーテンと窓を開けると、玄関の前で、黒髪の少女が右手に石を持って振りかぶっていた。
隼人は、あわてて窓を開けた。
「お、おい! さすがにそれは割れるって! やめろよ真矢!」
真矢は石を不満げに握りしめた。
「やっと起きたわね、折笠! この私との約束に遅れるなんて、いったいどういうつもりよ!」
隼人は頭をかく。
「約束って、何だっけ」
真矢は迷うことなく、石を投擲する。
隼人の額に見事に命中した。
「このバカッ! 先生のお見舞いに行くんでしょっ! だからわざわざ部活休んでまであんたの家まで来てやったのに! もう知らないっ!」
隼人は「あっ」と声をあげて、急いで着替えを始める。
そういえば、言った。確かに言った。
どうして忘れていたのだろう。
「わ、悪い! すぐに支度するからさ!」
真矢は不満げにしつつも、しばらくそこで待っていた。
隼人は大急ぎで支度を済ませ、彼女と共にバスへと乗った。
「二人とも、部活はどうしました?」
病室で、ベッドに横たわる西山楓が開口一番言った。
「今日は休みです。今はタワーの騒ぎでそれどころじゃないですし」
真矢は明らかに嘘をついていたが、楓はそれ以上追求しなかった。
「そうね……。それにしても、悪いわね。せっかくのデートに、こんな寄り道させちゃって」
「えっ!? そ、そんなんじゃありませんからっ!」
真矢があわてて否定する。
隼人は、そんなに必死にならなくてもいいじゃないか、と思いながらも楓に言った。
「それで先生、お体の具合はどうですか?」
「うーん」
楓は、眼鏡のずれを直した。
「よくわからないの。そもそも、倒れた原因だって分からないみたいだし、正直このまま退院したっていいんじゃないかとすら思っていますよ」
「ダメですよ、先生みたいに原因不明の体調不良で倒れて、そのまま死んじゃった人だっているんですから。絶対安静ですよ」
楓は少し不満げだったが、にこりと笑った。
「生徒に説教されるようじゃ教師失格ね。君たちの言うとおり、ゆっくりさせてもらいます。それはそれとして二人とも、デートは部活の後になさい。練習をさぼるのはいけません。それと隼人」
「はい?」
楓の声色が、少し変わった。
「――力の使い道の話、まだ覚えているか」
「……ええ」
「ならばいい。だが見誤るなよ。お前が信じた道が、必ずしも正しいとは限らない。それでも進むのなら覚悟を決めてゆけ」
「いきなりどうしたんですか、先生?」
「……わかったなら、行きなさい」
二人は困惑しつつも、礼をして部屋を去った。
楓も、不思議そうにしていた。
「どうして私、今、あんなことを……?」
バスから降りた二人は、近くにある商店街に向かって歩いていった。目的地はスポーツ用品店である。
「言っておくけど」
先頭を歩く真矢が、前を向いたままぼそりと言った。
「なんだよ」
「私も、あの店に用事があるんだからね。だから、たまたま一緒に行くだけなんだからね」
隼人はため息をつく。
「わかってるよ。そんなに嫌がらなくてもいいだろ」
それを聞いて、真矢があわてた様子で振り返った。
「え、いや、その、別に嫌がってるわけじゃ……」
「クラスの奴らに見られても、俺がうまいこと言っておくから我慢してくれ。どっちにしろ同じ部なんだし、へんな噂が立ったりはしないだろ」
「わ、わたしは別に……」
少しばかり元気をなくした様子の真矢と、隼人の目が合う。
「だったら、なんなんだよ?」
「え、えーと、それは……」
真矢が目を泳がせていると、すぐ横の道路をパトカーが三台ほど通った。
「なんだ? 何かあったのか?」
隼人が不思議そうにそれを見送ると、真矢は顔を伏せた。
「おとといのタワーの件でしょ。まだ、瓦礫をどうするかも決まってないって話だし。近くを通るべきじゃなかったかもね」
「タワー?」
今度は真矢が不思議そうな顔をする番だった。
「あんた、何言ってるの?」
「タワーって、小泉町スカイアローのことか?」
小泉町スカイアロー。彼らの住む町に立つシンボルタワーである。
「何それ、もしかしてからかってるつもりなの? さすがに不謹慎よ。倒れた時に下敷きになって、亡くなった人だっているんだから」
それを聞いて、とくん、と隼人の鼓動が高鳴る。
なんだ、この感覚は。
「あのタワーが……どうしたって……?」
「まったく、やっぱりそうやって人をからかうのが好きなわけ? ――倒れたじゃない。ものの見事に」
隼人はそれを聞いて、駆けだした。
「ちょ、ちょっと折笠!」
真矢も続く。
隼人は、必死に走った。なぜだか分からないが、嫌な予感がした。
「はあ、はあ……」
そして、彼は見た。
荒れ地に変わり果てた公園と、そこに横たわる「小泉町スカイアロー」を。




