その1
ハヤトは迷うことなく剣を抜く。
隣のマヤは、「紫電」の柄に手をかけたが、そこで躊躇した。
「兄さん……!」
彼女は階段の先で対峙する、男を見る。
グラン・グリーン。マヤの兄。
彼女の旅の目的が、今まさに目の前にいる。
「この間もそんなことを言っていたな、女」
グランはほんの少しばかり笑みを浮かべて、マヤに言った。
それを聞いて彼女の心は、再び張り裂けそうになった。
女。たったそれだけの、簡素な単語。
やはり自分が妹であるという認識は、されていない。
「マヤ」
隣のハヤトが、グランから視線を外さずにつぶやく。
「さっき決めたばかりだろ。取り戻すって」
「ええ」
マヤは頷くと、手に力を込め、腰に下げる刀・紫電を抜いた。
グランは興味深そうにそれを見つめた。
「秋の忍が使う刀か……さて、それを持って、どうする? 俺の何を取り戻すんだ」
マヤは汗をにじませる。
ザイド・オータムのことは、覚えているらしい。
ならば、どうして――。
マヤはそこで、ぶんぶんと首を振った。
今は、考えている時じゃない。
「兄さん……いえ、グラン・グリーン」
マヤの「紫電」から、青白い“魔力”の火花が散る。
グランはそれに呼応するように、腕を組んだまま“魔力”を放出した。赤いローブと金色の髪が、ゆらゆらと揺れる。
「あなたの記憶を、取り戻すッ!」
マヤは階段を踏むと、ぱし、というかすかな音と共に一瞬にして姿を消す。
「ライトニングブースト」。彼女が秋の忍里で修行して身につけた体術強化魔法である。
「おおおっ!」
同時に、ハヤトも地を蹴ってグランへと向かう。
彼は、それを見て今度こそ、にたりと笑った。
「おいおい。何をいきってんだよ」
重い金属音が、その場に響いた。
「誰が今、お前らと戦うなんて言った?」
「うっ!?」
マヤは驚きのあまり、声を上げた。
自分の全力の斬撃が、グランに止められている。
それも、人差し指ひとつで。
「くらえっ!」
遅れてハヤトが攻撃に出る。
だが、剣を振り切る前にグランは姿を消し、空を斬る結果になった。
「見ての通り、お前たちと俺では、実力に差がありすぎる」
ハヤトとマヤは、階段のさらに上方をみた。
グランはすでにそちらまで移動していた。
「お前らは……俺と戦う資格すら得ていない。さっき見せた“魔力”で、その差がわからなかったのか」
「だったら、どうして! はあああっ!『ライトニングブースト』!」
マヤがかまわず、再度攻撃をしかける。
超高速で繰り出される剣戟乱舞。グランは余裕顔でそれらをかわす。
「そのレベルじゃ言霊を込めても無駄だ。お前らに自己紹介が済んでなかったな、と思ってな。とっくにご存じだとは思うが、俺はグラン・グリーン。魔王軍の最高幹部ってところだな。お前らが『取り戻す』と言っていたことについて、特に言いたいことはない。何のことだか知らんが、勝手にしろって感じだ」
マヤが攻撃にテンポを置く。
グランがその一瞬に気を取られた時、彼の頭上には「空踏み」で飛び上がったハヤトがいた。
「全く、話を聞かない連中だな」
グランが指を弾くと、強烈な“魔力”の衝撃が起こった。
ハヤトの体が空中で吹き飛ばされ、天井に打ち付けられた。
「ハヤト君!」
ほぼ同時に、マヤも壁に突き飛ばされた。
グランはふっと姿を消し、彼らがいる場所のさらに上部へと移動した。
「聞く気がないなら別に構わん。これから顔見せする、魔王軍の最後の一人も、話を聞かん奴だからな」
「おい、グラン!」
階段から、ずしずしと言う音と共に、一人の男が降りてきた。
一歩一歩を踏むごとに、巨体が揺れた。
なんとか起きあがったハヤトは、その顔を見てはっとした。
春の都のビジョンで見た、柄の悪い男だ。
「いつまで待たせんだよ! さっさと勇者をつれてこい!」
「ミハイル、こいつらだ。男の方が勇者だ」
「……なかなか、いい女だな。殺してもいいのか?」
「話を聞け」
「さっき、殺してもいいと言ったよな。そうする必要があると、言ったよな。つまりは殺してもいいってことだよな!」
グランは舌打ちして、踵を返した。
「勇者よ。見ての通りだ。俺やソルテスと戦いたいのなら、そいつをぶちのめして登ってこい。もっとも、どちらにせよお前らの旅は、この塔で終わりだがな。最後まで抵抗するって言うのなら、丁重に扱ってやるぞ」
ハヤトとマヤは、身構える。
「魔王軍の、新手……!」
「いい、女だなあ。一体お前は、どんな声で死ぬんだ? 楽しみだなあ、オイ」
魔王軍のミハイルは、拳をばきばきと鳴らした。




