その9(終)
ハヤトとマヤの二人は、灰色の階段を登っていた。
周囲は同色の壁に包まれており、外を見ることはできない。
「……あのエントランスを出てから、もう一時間は経つな。一体どこまで続いてるんだ、この階段は」
ハヤトが腕で汗をぬぐう。
返事は返ってこない。
彼は足を止め、振り返って言った。
「マヤ。体調は大丈夫か。少し休憩しようか?」
「……大丈夫」
マヤはハヤトに目も合わせず、暗い顔をしながらぼそりと言った。
ハヤトは息をついた。
「ぜんぜん、そんな風には見えないぞ」
「大丈夫って言ってるじゃない……放っておいて」
歩けど歩けど、変わらぬ景色。
どこまで続くのだろうという不安。
はやく仲間と合流しなければという焦り。
いろいろな事情があるにはあったが、さすがのハヤトもこの言葉にはかちんと来たようだった。
「おい、俺は君を心配して言ってるんだぞ。そんな言い方って、ないんじゃないのか」
「心配される筋合い、ないわ。『つるぎ』が出せないハヤト君の方が、明らかに危ないじゃない。この間だって、きゅうに風邪引いたし」
「マヤだって魔王軍のグランを見てから、ずっとおかしいぞ! 何か魔法でもかけられたんじゃないのか」
その言葉に、マヤが顔を上げた。
表情は怒りに満ちていた。
「そんな訳ないじゃない! 兄さんが私に、そんな事するわけない!」
「言い切れるのかよ!? あいつらは街を襲うことに、何の躊躇もなかった! かつて守ったはずの春の都を、あいつらが守った時と、同じようなやり方で! ルドルフさんや、コリンや! シェリルさんたちの信頼を裏切ったんだ!」
「――っ!」
その時、マヤの瞳から、ぽとりと涙がこぼれた。
ハヤトはそれを見て、我に返った。
注意していたはずなのに、つい言ってしまった。
「あ……その……」
「……わかってる。わかっているのよ。ハヤト君だって、私と出会った日以来、ずっとユイちゃんを追いかけてるんだもんね。何にも言ってもらえないまま……ただ不安なまま、知らない世界でこんな風に旅をして……。きっとハヤト君の方が、ずっとつらいはずなのに」
マヤはぼろぼろ涙を流した。
「私が今、そんなあなたに迷惑をかけているのは、すごくよくわかっているの……。でも、私は……ハヤト君みたいに強くないみたいなの……。耐えられないの……たとえばこのまま兄さんと戦うことになったら、どうしうようかって……不安でしょうがないの……」
嗚咽が漏れた。
ハヤトは階段を下りて、彼女の背中に手を置いた。
「……ごめん、言いすぎた」
「私こそ、ごめんね……。兄さんが、あんな風に……まるで私を知らないみたいに振る舞うなんて、思ってなかったの。だから、取り乱しちゃって……」
知らない風に、振る舞う。
ハヤトはそれを聞いて、ふと思った。
そう言われてみると、ユイも完全にそんな感じだ。
「そうだ……その通りだ……」
「……ハヤト君?」
「ユイのやつも、そうなんだ。ここに来た時のやりとりもそうだった。俺の知るユイとほとんど別人だった。マヤ……もしかしたら君の兄さんたちは」
気づけばマヤは、ハヤトの顔を真剣にのぞき込んでいた。
ハヤトはテンポをおいて、言った。
「昔の記憶を、失っているんじゃないか? それか、何かしらの理由で、記憶が書き換えられているとか。それなら、あいつらの行動にも辻褄が合う気がする」
マヤの涙が止まった。
「確かに……」
「もちろん、推測にすぎないし、理由だってはっきりしないけど、もしそうだったとしたら」
「グラン兄さんも、ユイちゃんも……そして魔王軍の人たちも、元に戻るってこと……?」
単なる、希望的観測だった。
もしそれが真実だったとしても、解決策が見つからなければ、何も変わりはしない。
だがそれは、現在の二人が意地でもしがみついていたいと思えるほどの魅力的な道筋だった。
「そうだよ、あり得ない話じゃない! もしそうなら、ユイを救って、魔王を倒して! 両方実現できる!」
「そ……そうよ! そうに決まってるわ! だって兄さんが、私を忘れるはずないもの!」
ハヤトは、手を差し出した。
「マヤ、行こう! 君の兄さんを取り戻そう!」
「ええ!」
マヤはすっかりと元気を取り戻して、その手をとった。
その瞬間のことだった。階段の上方で、強烈な振動と共に爆発が起こった。
突風が吹き込み、彼らは危うく階段を転げ落ちそうになる。
「なっ……なんだ!?」
階段を、一人の男が降りてきた。
「一体、誰を救うって?」
赤いローブで煙を払ったグラン・グリーンが、ハヤトたちを見下ろしていた。
【次回予告】
少年たちと悪意の戦いは続く。
運命が刻々と、迫っていることも知らずに。
だが、悪意も知らない。
運命の中に、たったひとつだけ異分子が含まれていることを。
次回「聖域の塔 運命のはじまり」
ご期待ください。




