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インセンシティブ・センシブル  作者: サウザンド★みかん
(新)第Ⅰ部 大衆教育社会の欠陥教師―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
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(新)第7話 静かなるもの、事件の直前~第一節~

 人間は教えている間に学ぶ。

 


四月二十一日(木)

 ガララララ、ガーー、ガッ!!

 本格的に建て付けが悪くなった職員室の扉をスライドさせながら、その入り口から真正面やや右よりを見つめる。

 九里村がいた。今は午前八時である、けっこう早めに来るんだな。私はそのまま自分の席について、とりあえず鞄の中の教科書類を準備し始めた。それが終わり、朝用のインスタントコーヒーを淹れてから、また九里村の様子を伺う。

 彼女は保健体育の教科書を眺めていた。その手元には蛍光ペンが握られている。生徒からは、よくある勘違いのひとつだが、教師だって普通に勉強する。それをせずとも何とかなる科目もあるが、少なくとも創造的な授業をしようとするなら、その科目(というか学問郡)についての理解が必要となってくる。教師に向いている人材というのは少なくとも、その人が専門とする教科については学問好きである必要があるのだ。

 私は九里村先生の様子を伺いながら、話しかけるべきタイミングを伺っていた。ふと彼女の、こちらを振り向く仕草を確かめる。気が付いているのだ、私の視線に。やはり女性というのは、そういうのに鋭いのだな。


「九里村先生」


 私はすっと、呼びかけた。


「はい。なんですか?」


 ちょっと不機嫌そうな感じがする。よく見たら、その顔はけっこう小さかった。茶髪気味のショートヘア。乾いた色感の髪は、その耳を少し覆っているようなスタイルだった。もう少し長ければ、セミロングとして定義されるべきだろう。

 その視線は、俯きがちに教科書を眺めている。その焦点は本当に教科書にあるのか分からない。きれいに開いた一重のまぶたは、もの悲しいような、混乱しているような。そういう感じの色を醸し出している。

 

「昨日はすいません。本当にいっぱい買うものがあったんですよ」

「だから、付いて行ってもいいですよっていったのに」


 大丈夫。次の手は考えてある。


「今度ついて来てください。誘うって約束しますから」


 これでどうだ?


「もう、ついて行きません」


 つれない返事だった。もう手は残されていない。せめて二手先くらいまでは考えてくるべきだった。その頭を精一杯に回転させて私は、どうにか言霊を紡き出す。


「九里村先生が付いて来てくれたら、私は嬉しいですね」


 九里村は少し黙った。それから回転椅子をくるっと回して、私の方に向き直る。


「嘘ばっかりつかないで」


 なかなかにキツイ一言である。これは見抜かれていると考えてよいのだろうか。いや九里村だって、私の想いが本気だと信じたいのだ。だが私の素振りが本気にみえない。ここは男を見せるべき瞬間だろう。

 私は九里村の瞳をまっすぐに射るつもりで視線を遣った。


「なら、いま誘います。今日、夕ご飯を一緒に食べましょう。もっと九里村先生とお話しをしたいんです」


 反応は即座に返ってきた。九里村は自分からみて右下へと、その視線を落としながら言うのだった。


「……しらない」


 彼女は俯きがちに、まるで溜め息のように、そう言った。どうしよう、詰んだぞ。

 女性への、こういう場面での対応について、私は必死に思い返そうとしていた。だが、その記憶はいつまで経っても甦ってはこない。


「ちょっと、そこ!」


 助け舟だ。そういえば橘田先生も、いつも早めに来ているのだった。その席は、職員室のちょうど真ん中あたりに位置している。

 別に有能な人ほど真ん中にくるとか、そういうわけでもないのだが。私と九里村の席はかなり端っこの方にある。制度的にはともかく文化的にはそういうことなのだ。

 

「朝から何やってるの? 痴話喧嘩しにきたの?」


 かなりお怒りの様子だ。橘田先生は確か昨日、有給を使っている。職場の仲間は皆、また婚活に出ているのだろうとか噂していたが、真相は闇の中である。


「橘田先生。朝からいらない話をして、すいませんでした。謝罪以外に言うことはありません」

「……すいません」


 九里村は憮然とした表情で謝った。橘田先生の眉がピクリ、と動いた気がする。いや、ピクリどころか、その眉根は完全に歪んでいる。


「いい加減にしなさいっ!!」


 怒らせてしまった。橘田先生は若手教師に厳しい。もしかして女子中学生にも厳しいのかもしれない。


「九里村さん、あなたはもうちょっとだけでいいから、社会人としての自覚をもちなさい。早めにきて掃除するのは感心するけどね、とにかくもっと真面目にやって」


 九里村は変わらずムスッとしている。視線はずっと床である。


「なに下を向いてるの? 人の話を聞くのが、そんなに嫌なの?」


 そりゃあ嫌だろう。もっと言い方というものがある。相手の人格を否定するような言い方は反発を招いてしまう。まあ今回は私が反省しないといけないのだが……。


「九里村さんは、昨年度から臨時職員としてではあるけど、働いてるんだから。もっと自覚をもってね。生徒との雑談はうまいみたいだけど」


 今のは、どちらかといえば嫌味だろう。確かに九里村は生徒との雑談は多いが、そこまで言わなくてもよいではないか。

 どうして、こんなに橘田先生は怒っているんだ? 私も見ているばかりではいられない。これ以上は傍観者との謗りを受けても致し方ないだろう。


「橘田先生、今回は私が悪いんですよ。だって私から話しかけたんですから」

「乾先生は黙っていて。これは九里村さんの姿勢の問題です。九里村さん、腰掛けのつもりなら早めに退職したほうがいいと思うわ」


 その時、またしても幸運が私に降りかかった。これは多分、良いアイデアである。朝の鈍い頭を頑張って回転させ、今からやろうとすることの絵図えずを描く。


「えっ? 橘田先生、九里村先生は早めに辞めた方がいいっていうんですか!」


 橘田の反応は早かった。


「そうよ。だって時間の無駄遣いじゃない。本気で正規職員を目指していないなら、やめるべき。教師はアルバイト感覚でやるしご……」


 そこまで言って、橘田先生は凍りついた。さすがに説教中では気が付くのにも時間がかかったようだ。

 職員室を校庭とを繋ぐ扉には、橘田が顧問を勤める女子バレー部の生徒たちがたむろしていたのである。橘田も、さすがにこれは堪えたらしい。何も言わず職員室を出ると、左の方に小走りで向かっていった。トイレの方向である。

 軽く七人くらいには聞かれていただろう。橘田の発言はきっと、教師の耳にも入る。臨時職員とはいえ、気軽に辞めろとか発言していいものではないのだ。

 そして、そういう発言をされた九里村は……。

 九里村は……。

 自分の馬鹿さ加減に失望した。九里村先生は無能だ、というメッセージは校内を伝わるだろう。橘田先生に付くであろうマイナスイメージで多少は相殺されるのだろうが、それでも九里村の株を下げる結果になるのは間違いない。

 おそるおそる、声を掛けてみる。


「九里村先生?」


 はっきり言おう。九里村律子の頬は濡れていた。もうすでに床にも、その跡がついている。


「ごめんなさい! 九里村先生……」


 それから、九里村は何も喋らなかった。彼女が自分の席に座り、タオルを取り出すのを確認する。そういえば、彼女の鞄は女性が持つにしては重たそうである。

 なにやら白い物体と、それに巻きつけられた黒い帯がはみ出している。いずれもかなりゴツイ生地である。これはなんだ? 絶対どこかで見たことあるぞ。

毎週、金曜日から更新です。それでは、ゆっくりお読みください(。。)...

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