(新)第4話 成功とは忍耐の妙事~第二節~
家に帰ったのは午後七時であった。なぜこんな時間になったかといえば、田奴からこってりと絞られていたからだ。どうやら、あの会話(というか罵倒祭り)を聞かれていたらしい。他にも佐野の暴言が聴こえた教師もいたらしく、職員室が一時騒ぎになっていた。教頭や校長の耳にも入っていることだろう。
救いといえば、田奴の言葉が私へのフォローや激励だったこと。具体的なアドバイスもあった。
なんでも、今回のクラス編成はそれを行った側にも責任があるという話になっているらしい。本来ならばクラス分けというのは、これでもかというぐらい慎重に行われる。例えばクラスに一定数以上の楽器ができる子、運動ができる子、リーダーシップのある子……といった具合に、先生同士で協議を重ねることでクラス分けは進行していく。著名な私立ともなると、コンピュータプログラムまで使用して偏りのないクラス編成を心掛けているという。
基本的には、仲の良い子が一緒になれるということはない。だが、昨年度末は相当に忙しかったらしく、例えば問題児の傾向があった佐野とその仲良しを同じクラスにしてしまったらしい。新学期も始まったばかりというのに、五人~六人であそこまで仲良くおしゃべりしていたのは、いくらなんでも仲が良すぎだろうとは思っていた。
やがて、我が家の前に着いた。考えごとをしているとすぐだ。私は、相変わらず立て付けの悪い、かすれた水色の扉を開いた。ギギ、と不快な音がする。
「ただいま」
夜七時三十分とは微妙な時間だ。まだ春ではあるが、はっきりいって暗い。だが、あまり明かりを点けたくはない。そういう微妙な暗さだった。面倒くさい、と思いながら電灯のスイッチを入れる。パチリという軽やかな音とともに明かりが点いていく。
けっこう古いやつなので、完全に明るくなるのは何度も点滅してからである。五回ほど点滅したろうか。六回目にして、ようやく完全に点いた。
「おかえりなさい」
「!?」
最後の点滅とともに現れたのはタキプレウス。本当に一瞬だった。心臓が飛び出るかと思った。
「何をしているんだ」
「前はやられたからな。仕返しだ」
思い返す、確か昨日の朝だった。私は、タキに手のひらサイズの石をぶつけた。しかも左耳のすぐ上、側頭部に。
「悪かったよ。でも、あそこで透明になるのはないだろう。気になってしまう」
「透明になんて、なってない。そんな能力はないよ」
私は参ったように、両手の指先を頬の上あたりにもってきた。
「わかった、とにかく悪かった……」
そして、タキは悟ったような表情で言う。
「ずいぶん苦戦しているな?」
「当たり前だ。でも、まだ二日目終了だからな」
タキは、なんだか見下したような笑顔になった。
「もう詰んでないか? どうやってクラスを治めるんだ?」
「……」
まだだ。いまは戦略を練りたい。ゴールまで到達する覚悟は決まっている。だがそのためのピースが手詰まりで、もっと多くの情報が欲しいのである。
「今週中にカタをつけたい。そのためには情報が必要だ。タキ、協力を頼みたい」
タキの表情が、なんだか緩くなる。いいだろう、といっているような気がした。タキは私の心を読めるという。私の方からはさっぱり読めないのだが、なんとなく彼女の心を読めてくるような気もする。
「いいだろう」
「!?」
私はビクッとなり、一歩たじろぐ。
「わたしの心を、読めるような気がしているのだろう?」
ああ、そういうことか。別に驚くことではなかったのだ。それにしても乾賢太朗という人間。本当に頭の回転が遅いな……まあ、配られたカードで勝負するしかないとはいうが……。
「でもまあ、石をぶつけられた時のように考えごとをしていれば読めなくなってしまう。そういえば、初めて会った時のお前も……」
「どんなだったんだ?」
タキは若干首をかしげながら、わざとらしく右手を、その唇のあたりに当てる。かわいい。
「いま、かわいいって思ったな?」
「思ったよ。だが、確信をもっていえる。前の私は、そんな変態的な性向はもっていなかった」
「ん、まあその通りだ。あのとき、といっても一週間前のことだが。わたしは確かに以前のお前を這い蹲らせたよ。抵抗されたんだ」
こんな異常なやつ相手に、よく抵抗なんてするよな。私はこっそりと想念する。
「まあ、わたしに一矢報いたのは褒めてやる」
「それは恐縮なことで」
「だが、そのあとが問題だ。お前は、床に倒れているわたしを、そのまま殺害しようとした。いっておくが、わたしはずっとこの可憐な姿だったぞ?」
頭が真っ白になった。あり得ない。タキの自画自賛なんてどうでもよかった。
「私は……やはり……」
気が付けば、タキは私の胸元にいる。いつに間に移動したんだ? 校舎裏で消えた時といい、人間では到底、敵いそうにない。
「心配するな。いま詳しくは言えないがな……あくまで経歴的には、けっこう優等な人間だったよ」
それを聞いて安心した。もし生粋の殺人者とかだったとしたら、どうしようかと思った。
「……おい、ちょっと待て」
「なんだ?」
「私(元)は、いまどうしてる? どこにいる? まさか、死んでなんかいないよな?」
タキは私の胸元から、じっと上目遣いをしている。なにかを強請るような、その視線。目は口ほどにモノを言うという慣用句を地でいくようだった。もしも私が単なる小児偏愛者だったなら、一年を待たずしてゲームオーバーとなっていただろう。
タキが「にっ」と微笑んだかと思うと、私のベッドまで歩いていった。そこに座り、やがて喋り出す。
「いまは何事もなく生活している。意識がなくなる直前の、賢、いやお前のクオリアがコピーされた機械のようなものだ。大丈夫、運命操作されているから運悪く死んだりしない。仕事もちゃんとやっている」
それを聞いて、数分考え込んだ。私はさして頭が良いわけではない。だからこそ慎重に考える必要があった。それに依然、聞いたところによると、タキは禁則に触れない限りは、いくらでも質問に答えるという。だったら、一日一回のこのチャンス、出来る限り多くの質問をした方が良いに決まっている。制限時間も三十分しかないため、あまり考え過ぎも良くない。
重要なのは、質問に答えるのはタキということだ。あまりその気分を害さないようにしたい。そこまで考えたところで頭が破裂しそうになっていた。
「タキ、いまの私の考え。全部読めたか」
「お、分かってきたな。良い集中だった。もし今、脳裏でわたしを暴行しようとか考えていても、恐らく分からなかったろう」
背骨に沿って、悪寒が走る。
確かに、私は考えたのだ。学校での疲れも溜まっていたのだろう。思考の最中に、ふとタキプレウスについて想像してしまった。
想像上の視点は、ある男性の背中だった。その男は、ベッドの上でタキに対して覆い被さるような格好をしている。その腰骨から膝上あたりを運動の中心に、その筋骨隆々とした肉体を彼女に向かって忙しなく上下させ続ける、動物。
それは快楽に酔った笑みだった。下卑た目で彼女を見下ろしている。だが彼女、タキプレウスは、その彼以上に蕩けた表情で、しあわせそうに、その筋肉質の男を見上げていた。タキプレウスは、自分が性的暴行を受けていることを知っている。相手に愛情がないことも。
そのうえで、その行為が自身の淫欲を満たすがために、性的暴行を受け入れたいと願っている。付け加えて、自分がそうした汚らわしい存在であることを意識することで、さらなる被虐的な色情が彼女を満たしていくのだった。
「おい! そのへんにしろ」
「うっ……すいません」
どの先生に説教を食らっているときよりも、今が一番、肩身がせまい思いをしている。
「まさか本当に考えていたとはな。これだから男というのは……いいか、こっそりと思うだけならばいいよ。わたしにも分からないから」
そうなのか。もしかすると、そこまで強い読心能力ではないのかもしれない。ならば、タキは分かっていないだろう。妄想に出てきた男の体型は、いまの私とは欠片ほどしか似ていない。だが、あれは紛れもなく理想の……。
タキの側頭部がピクッ、と反応するのを見た。まずい。けっこう強く念じてしまった。頭の回転が遅い自分が、ほとほと嫌になる。
「タキ、すまなかった。以後は自重するから」
「精神への直接セクハラなんて行為はやめてくれよ」
しばしの間、沈黙が支配した。ふと、コタツ机の上にある時計を見遣る。制限時間はあと五分と少しだった。毎日現れるのだから、別にそこまで焦らなくてもよいのだが。
質問したいことは、まだある。一点目に、そもそも私はクオリアについての細かい説明を受けていないので、それについて聞きたかった。だがもう、時間がない。それは諦めて、二点目にしたかった質問を訊ねようと思う。
「質問というよりは、相談なんだが」
「どうぞ」
今日の悶着のときに思い出した音恋さんについての記憶を回想する。できるだけ、鮮明に。おそらくタキの相手の心を読む能力というのは、相手のクオリアをある程度まで読む力だと思う。
タキは、たとえば黒という色を見ているときに、それを黒だと感じている精神的な、まさにそれがクオリアだといっていた。とすれば、タキはそれを感じることで相手の心を読んでいるのだ。あまりに記号的な情報などは入ってこないだろうが、もし相手が強い情念などを抱いていたなら、その心は手に取るように分かるだろう。
現に、さっきは性的な想像を読まれてしまったが、その行為の具体的な中味については、読むのが難しかったのではないだろうか。
「う~ん……」
「悩んでいる余裕はあるんだな……」
今は、それでもいいと思っていた。一日三十分、私の前に出てくるということは、質問などいくらでも出来るわけだし。
あることに気が付いたのは、窓に吊ってあるカレンダーを見たときであった。二〇一一年四月一九日という四角形。そうだ、タキに音恋さんのことを相談しようと考えていたのだった。
「タキ、音恋さんのことなんだが」
タキプレウスは、黙って頷うなずいた。
「聞いてくれるか?」
「どっちでもいい。わたしはその子については知らないから」
タキの意思を確認して、私は黙々と喋り始める。
「音恋さんがああいう態度をとった理由を思い出したんだ。新学期の体育の着替え中だった。佐野たちのグループがな、更衣室で私のことを気持ち悪いと連呼していたらしいんだ」
「ああ、なんとかわかるぞ。キモいってやつだろう?」
ゆっくり話を続ける。その更衣室で、音恋さんが私をかばう発言をしたこと。それが面白くない佐野のグループが、その場で音恋さんを攻撃したこと。音恋さんは学業成績、生活態度ともに優秀な生徒だったが、それをハッピーマウンテン市会議員の娘だからと詰られたこと。それからは、クラスでも浮き気味になり、ささやかながらいじめが始まったこと。女子内で共通の敵を得た佐野のグループが拡大傾向を取り始めたこと。
一週間前、授業中の二-一教室を通りがかった私に、佐野たちの声が聞こえたこと。
「なあ、今日臭くない? なあ誰? 生理が重いやつおるやろ?」
「ほんま臭いし! 更衣室でもプンプン臭ってきおるし」
「ねえ、どうなの音恋さ……」
その時、乾賢太朗が人生最大の大きさで教室の扉をスライドさせたのを覚えている。授業の担当は九里村だった。激昂する乾は、佐野に詰め寄るも謝らせるなど出来るはずもなく、逆に低脳呼ばわりされて憔悴し、その日を早退したのだった。
以後、諦め切った乾は音恋さんに申し訳ないと思いつつ、佐野たちをますますつけ上がらせる結果となり、今に至る。
「どうだ、わかったかタキ?」
「うん……」
タキプレウスは私のベッドに腰掛けていた。さっきまで、私の妄想の舞台だったそこには、汚らしいシーツ(次の休みに洗いに出そう……)と、藍色の掛け布団がざっくばらんに敷いてある。
「わたしには何とも言えないが。そりゃあ、音恋さんは助けてやるという結果じゃないと筋が通らんだろう?」
それが出来るなら、とっくにやっている。と私は心に強く念じた。
「おい、会話をめんどくさがってんじゃないぞ。でもな、助けられなくてもな、そういう行動を起こせば、彼女も喜ぶんじゃないか?」
「……」
私は、また考え込んだ。制限時間まで二分だった。残り一分を切ったところで、ようやく言葉を探り当てることができた。
「音恋さんは助けるし、佐野も黙らせる。それができない奴は、一年経つまでのどこかで自殺でもしてるんじゃないかな」
タキは、ぼうっと何かを考えているような表情だった。やがて、ベッドから立ち上がった。そのままこちらに歩いてくる。
「月並みの言葉で悪いな。がんばれよ」
嬉しそうな笑顔だった。私は左腕を伸ばし、彼女の頭髪を撫でた。自分でも、何故そうしたのか分からない。懐かしい感じだ。あたかも、その行為が自然であるように思えた。はたから見れば、オッサンから少女への性的嫌がらせにしか見えない。
その髪質は、新月の闇に近い黒。私の左手はいま、とても暖かい。その髪の一本一本が、洗いたてのタオルのような触感だった。やはり、この人間とは異なる感じが、我々とは違う生き物であることを確信づけていた。タキプレウスはそのまま、空気に溶けて消えていく。
「ばか」
少女のように見える生き物の、口吻の動き。そう言っているように聴こえた。
……彼女の行動が、裏切りでなかったことを確信するには、相応の時間を要した。
(第4話、終)
毎週、金曜日から更新です。それでは、ゆっくりお読みください(。。)...




