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インセンシティブ・センシブル  作者: サウザンド★みかん
(新)第Ⅰ部 大衆教育社会の欠陥教師―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
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(新)第3話 内省なんて、するだけ無駄~第二節~

 学校までは一五分ほどで到着した。スニーカーを履き替え、職員室の前に立つ。昨日、九里村を怒らせたことが気になっていた。

 スライド式の扉を開ける。自分の机が目線に入った。窓ガラスの向こうには、私が毎日水をやり続けているゴーヤがある。昨年は枯らしてしまったから、今年こそはその雪辱を果たしたい。これは別に、私が罰ゲームを受けているということではなくて、教員がそれぞれのチームに分かれてゴーヤの育成をしているのだった。

 ゴーヤの育成は、地球温暖化を防ぐためという名目で実施される、教育委員会のキャンペーンである。当初は皆、単なる義務感で水をやっていたようだが、段々と愛着が湧いてくるものらしい。


「おはようございます、九里村先生」

「乾先生、おはようございます」


 九里村はすでに自分の席についていた。その机は相変わらずの汚さである。

 その堆く詰みあがった書類の山から、なにか茶色の液体がこびり付いた、数枚の指導案らしきものが私の机に落ちてきていた。

 これには見覚えがある。おそらく昨年のクリスマスあたり、九里村がコーヒーを零していた書類だろう。どういうわけか彼女は、ゴミ箱があるというのに、其処にものを捨てないのである。

 それはそうと、九里村の機嫌が治っているようでよかった。私が察していないだけかもしれないが。確かに、昨日は橘田先生に対してやり過ぎたかもしれない。耳打ち可能な距離まで侵入されるというのは、女性にとっては嫌悪感をもたれる行為だろう。

 だが私は、どうしてもそれを聴きたかったのだ。昨日の話からするに、恐らく致命的な事態がない限り、私が二-一のクラス担任を下ろされることはない。今でこそあいつらを黙らせる術をもたないが、このままやられっ放しではいられない。

 とはいえ勝てる保証はないので、むやみに勝負するというわけにもいかない。聞いた話によれば、ほかの先生たちも佐野のグループには苦労している。教師の先輩方も、私の姿勢によっては何か良い助言をくれるかもしれない。

 とにかく、物理的に挑戦が不可能になるまでは何度でもやるのだ。先生としての矜持なんて私の内面にはまだないが、やられっ放しはとにかく嫌だ。最後に勝った者の勝ちなのだ。なぜなら、最後に勝利しているならば、その時点でそいつの能力がその試練以上に追いついていたということだろう? ならば順当に考えて、努力を怠らなければ次もまた勝てる見込みが高いといえる。それは少なくとも、能力的には、かなりいい線まできていることを意味するのだ。

 ところが、そんな理想の展開も、私がクラス担任を下ろされることで、その挑戦はあっけなく終焉を迎える。なんという惨さ。


「九里村先生、今日は何時間目ですか?」

「え、ええと。二-三、五限です」


 私は一限から三限まで詰まっている。その後は何もないが。


「九里村先生、昼飯なんですけど。昨日と同じように食べましょうよ」


 昨日は私から声を掛けた。九里村の年代の女性はうちの職場にはいないので、彼女はいつも一人で食べている。その隣では、私がいつも一人でパン四つ程度を食べていた。

 さすがに食い過ぎだと思ったので、昨日からはパンを二つにしている。まあ、明日からは弁当を作るし関係ないか。


「いいですよ! 一緒に食べましょう」


 九里村は化粧っ気もない(教師なので当然なのだが。橘田先生はファンデーションが濃すぎる)し、髪も乱れてボサボサになっている部分もある。だが、その周囲に若さを与えるような笑顔こそが、彼女の最大の武器なのだと私は勝手に思っている。


「九里村先生、髪の毛茶色いですよ? 教師が染めたらダメじゃないですか?」

「いいんですっ! ちょっと染めるくらいは。乾先生も染めたら……あ、毛がないですよね」

「あぁ? 毛がないやと!?」

「やだなぁ、怪我ないっていったんですよ」

「……」

「なにか反応してくださいよ、乾先生」


 そんな他愛のないやり取りを交わしながら、さて次の授業へ行こうかと席を立ったその時、私の脳裏で感触がした。あの時と同じだ。あたかも雷に打たれたかのような、あの感覚(雷に打たれたことはないのだが)。


「乾先生?」

「あ、大丈夫です」


 こうして職員室の扉を開け、二-一へと向かいながら今の瞬間を必死で振り返ろうとした。私(元)の記憶の一部が甦ったのである。

 そこは小さな工場だった。何を作っているかは分からないが、金属加工系の自営業だろう。目の前の男は緑色の作業着だった。洗濯のしすぎだろうか、その色は緑から白へと近づきつつある。いま喋っている相手は、この記憶の目線から考えるならば、私(元)である。


「すいません、取引先からちょっと相談があって……それで不渡りの手形を掴まされそうなんです。あと、品質が下がっているつもりはないんですが、注文があんまりなくて」

「分かりました。そうなんですね」


 落ち着いた口調だった。まるで、最後まで何をすれば良いかを確信しているように。


「大丈夫ですよ、あなたは悪くない。運が悪かったんです。売れないのだって、相手が悪いんですよ。品質が落ちてないなら、新規開拓を頑張りましょう」


 おいおい、それは無責任な発言じゃないか? 工場側にも改善すべき点が幾らかあるはずだ。それを……何かあるな。何が狙いだ?


「本当に大丈夫ですかね、今ならまだ事業を畳めます。工業資格ならたくさんもってますし。家内からは言うなって釘を刺されてますけど、あんたを信頼してるんで、言わせてもらいます。実はね……」

「大丈夫です」


 なにが大丈夫なんだ? この記憶の人物、本当に私なのか?


「だっt、?」


 およそ十文字程度。混濁したような言葉で、それは途切れた。

 私の記憶。ほとんどイメージですらないほどにあやふやだった記憶。当然、以前の私自身の基本的なプロフィールさえも、未だ分からないまま。だが今の回想は、それについてのヒントを得るには十分過ぎるほどであった。

 何ということだろう。私は今、二-一教室前の廊下で立ち止まっている。そのまま一分。予鈴が鳴る。小走りで教室に駆け込んだ。

 (第3話、終)

毎週、金曜日から更新です。それでは、ゆっくりお読みください(。。)...

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