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インセンシティブ・センシブル  作者: サウザンド★みかん
(新)第Ⅰ部 大衆教育社会の欠陥教師―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
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(新)第2話 決意、挑戦、玉砕~第一節~

 世界の崇高さは世界を観る精神の崇高さにつねに等しい。善人はここで天国を見出し、善人はすでにここで地獄を楽しむ。



四月十八日(月)

 時刻は八時五十分だった。HRは丸ごとすっぽかしている。

 だが、まあいい。大した内容でないことを思い出したからだ。とにかく何をすべきか掴めない状況だ。戦略を練る前に、しばらくはこの男、乾賢太朗について知る必要がある。

 私は、適当に知りたい記憶を意識した。なるほど、この男についての情報を意識すれば引き出せるということか。この乾という人間からすれば当然の記憶なのだが、私にとっては全くの未知である。

 いちいち思い出さないといけないのは、はっきり言って不便だ。しかも、その記憶のカテゴリーは自分で考えて検索しないといけない(例えば、動物について嫌な記憶がある→犬に噛まれたことがある、とか)。早く、この男についての基本的な記憶を思い出そう。そうしたなら、ちょっとはマシになるだろう。

 急いで職員室の扉を開けた。机を空け、教科書とプリント類を持ち出そうとする。その隣の机では、何らかの理由で遅れたとおぼしき教師が探し者をしている。上に着ているのは、くすんだ黄色のTシャツ。その上に、緑のパーカーらしきものを羽織っている。Tシャツの生地は、パリッとしたイメージを想起させた。その下はジャージである。今、私が履いているそれより少しだけキレイだ。

 彼女の机表面はひどい有様だった。これは恐らく、ボールペンとか、ホッチキスとか、付箋だとかの文房具たちが大戦争を起こしたのだ。多分、始めに誰かがこう言ったのだろう。


「俺の費用対効果が一番高いに決まっている! 俺が一番貴重に違いない!!」


 散らかっている理由はそれだけではない。その戦争を見ていた文房具の神が、怒りの鉄槌を机にぶちまけたのだ。

 あわれ、文房具たちは神の雷により四散した。キャップが外れてそこらに放置されている蛍光ペンもあれば、ホッチキスにいたっては、針入れのスペースが開き切った状態で私の事務机の端辺りまで吹っ飛ばされている。

 そして、神はこう言ったのだ。


「事務を行う人間にとって、お前たちは全員揃って一組だ。個々の価値で判断されるものではない」


 一瞬で、そういうばかげた神話を想像できるくらい、この女教師の仕事環境は酷かった。ふと、手に持っていた私の教科書からA3サイズの用紙が落ちてくる。指導案、と書かれていた。内容はといえば、自分がやる予定の授業内容および、生徒に学んで欲しいもの、そして生徒からの反応などが一覧表のように週単位で打ち込んである。

 

『こんなものが役に立つのか? もっとシステマチックに書けよ、時間の要素を入れるとか、どうなったら授業が成功とか……』

「乾先生、すごいですね」


 このA3用紙の価値に疑問を抱いたところで、隣から声が聞こえた。どうやら探し物は見つかったらしい。


「く……九里村先生。これは使い古しのやつなんですよ。私は怠惰なので、いや全く」


 なんとかその名前を思い出し、私は苦笑いを浮かべる。この指導案、日付は四年前である。使い古しというか、使い回しだった。早い話が手抜きである。


「そんなことないです! 私なんて二年目なのに、いまだに指導案ひとつ作るのに丸一日以上もかかって……だから、最近は間に合わないこともあるんです」


 そう言って、泣きそうな表情で訴えてくる。どうやら根は真面目のようだ。

 それはまずいだろう、と言えるはずもない。私は考え込んだ。記憶を思い返したが、この指導案というもの。確か一週間につき一枚作るとか、そういうものだったはずだ。まともな教師ならば作れないなんてことはない、というかルーティンワークである。

 ということは、失礼ながらこの女性も、学校教諭という観点でみればあまり良くない人材である可能性が高い。


「あ、もう授業始まっちゃう」


 その声と同時に、八時五十五分のチャイムが鳴る。私の授業は他の教室だが、すぐに自分の教室へと走り出す。HRをすっぽかしたのだから、一言くらいは言っておかねばならないだろう。一回の失敗ならば、理由はどうにでもなる。

 走りながら、まずは整理していこう。いまの私の名前は、乾賢太朗。岡山県ハッピーマウンテン市立、鴨中学校二-一担任。専門教科は地理、歴史。年齢は二十七歳(冗談だろう? この容姿だと三十後半にしか……)、出身はこの界隈のようだ。実家は歩いて行けるほどの距離だが、一人暮らしをしている。

 教師としての目標は、ない。自分が最もやりたい生活があるから教師になったらしい。両親ともに教師で、祖母は校長経験者。そういう家系のようだった。

 教師生活といえば……そこまで考えたところで、二-一の教室までたどり着いた。恐る恐る、目の前の扉に手を掛ける。ガーーッと、これまた小気味のよい音が響く。

 

「おはよう」


 私が挨拶した瞬間、くすくす笑いが教室内から聞こえてくる。この笑いはアレだ、バカにされているタイプのやつだ。窓際より一つ手前側の列、真ん中少し前に、職員室前でぶつかった音恋さんがいた。彼女も同じように笑っている。


「ごめんな。直前になってトイレに篭ってた」


 また笑い声が聞こえる。馬鹿じゃないの、というこれまた本当にバカにしたような嘲笑も聞こえてきた。やがて笑い声も収まる。教壇にいる者が、生徒をたしなめる様にハンドサインを送ったからだ。


「静かに! 乾先生、いいですよ」

「本当、すいません」


 その男は、灰色がかった白のスーツに赤い細ネクタイを締めている。派手な格好であったが、彼自身が十分に細身であるためか、その教師としては浮いた格好もそれなりに様になっている。

 極めつけは、その眼鏡である。いかにも鋭そうな感じをもつ眼の形状を、眼鏡によって中和しているのである。


「乾先生は体調が悪かった。誰にでもこういうことはあるからな。いちいち攻めたりしないように!」


 なかなか、うまい口ぶりだ。田奴利吉たぬりきち。三十代前半にして次の国語科主任教諭との噂も名高い。早い話が、デキる教師というやつである。

 だが私の記憶を探しても、彼についての良い思い出は一つとしてなかった。つい先ほども職員室で起きたばかりの私の顔を見て、同僚と一緒に笑いものにしていたばかりである。しかしながら、私の(いや、乾賢太朗のなんだが)普段からの不真面目さを見ていてさえ、この田奴という男は教師仲間である私を当然のように庇った。そういう男なのだ。生徒に嘗められないようにという、あくまで教師としての職務の一つを果たそうとしている。

 なんだか居心地が悪くなったし、これ以上ここにいる必要もない。私はすぐに出て行った。目指すは教室を出て徒歩二十秒。二-三である。

 

「すまない! 遅れた……」


 開口一番、私はそう告げる。反応はない。笑い声すらない。それどころか、もっと遅めに来ればよかったのにと言わんばかりの視線を向けられている。

 さて、授業を始めよう。これから私は、生まれて初めて(?)教師としての第一歩を歩み出すのだ。


「縄文時代と弥生時代との区別は、その有していた生活用具などによって……」


 授業を始めて十分が経つ。教師の仕事は初めてだが、これは乾の身体である。つまり、授業というものを身体で覚えている。それはいいのだが……。


「ねえ、一組のがさあ」

「マジで、あいつらそげなことしたんやのぉ」

「のお、それいつ発売になるんな?」


 雑音がクラスを支配し始めている。ふと、乾の中のどうでもいい知識を勝手に意識してしまう。それによれば、これは備後弁といって、広島弁とは別物らしい。しかしながら、なぜか私の心には、この方言が気に食わないという認識がある。この地域出身の乾が、これに嫌悪感を抱く可能性はないから、おそらく元々の私は、この備後弁というものが気に食わなかったのだろう。とすると、元々の私は、意外とこの近くに住んでいたのかもしれない。

 タキプレウスは、元の私の記憶は段々とよみがえってくると言っていた。だが、思い出すなら重要な記憶からにしてほしい。まだ私は、本当の自分の名前すら思い出せていない。

 こうした考えはひとまず置くとして、おしゃべりしている生徒の数を数えてみる。九人だった。クラス全体の約四分の一である。  

 教師という仕事が大変なことは分かった。どうにかしたいものの、この喧騒を止める術は、いまの私にはない。無策で突っ込んでも失敗するだけだ。少なくとも現代においては、教師より子どもの方が強いのだから。


「うん?」 


 板書を進めながらそんなことを考えていたら、ある生徒に目がいく。さっき廊下でぶつかって、暴言をのたまいながら走っていった子だ。今もネームを付けてはいない。この子に問題を当ててみよう、と直感的に思った。教壇の引き出しにある席表を確認して、


「えー、ではこの問題を、ぶ……!?」


 笑い声が広がる。読めない、この苗字はなんて読むんだ? 

 ガタッ、という音がした。彼女が椅子の位置をわざと直した音だった。私の方を見ている。目が合った。逸らしたら負けだと思う。

 可愛いらしい形のやや釣り上がった目である。近頃は一重まぶたは流行らないはずだが。彼女はアイプチの類は付けてなさそうだ。

 その肌は白く、およそ日焼けとは無縁に思える。スポーツはしていなさそうだったが、その体型は運動向きと思われた。

 そんなことを考えながら、しばらく見詰め合っていた。それが解除されたのは、クラスメイトの一人が急に笑い出したからだ。確かに奇妙な光景だった。つられて、教室全体が笑いに包まれる。


「見るんじゃにゃあわ……」

 

 困ったような顔で、彼女はそう言った。備後弁である。その子は恥ずかしそうに俯いた。おそらく、いつもならここで申し訳なさそうに視線を逸らした教師に対して、どこぞの誰かが格好よく文句を垂れるのだろう。生徒の名前を把握せず、聞こうともしないなんて。それでも教師ですか? といったニュアンスで、だ。

 このクラスでの株が少しだけ上がったようだ。我がクラスでも上がって欲しい。


「イヌ、やるじゃん!」

「見直したで、イヌ」

「……え?」


 何だ、そのあだ名は? 乾だからイヌ? 安直すぎるだろう。教師であるにも関わらず、そんな呼ばれ方をしている以上、この男は思った以上に良くない教師なのだろう。

 

「えー、それでは……」


 気を取り直して授業を再開する。別に渾名あだなが悪いわけじゃない。どんな渾名でもいいのだ、ある程度の尊敬の念さえ抱かれていれば。あと一年、先は長い。少しずつでいい。

 タキプレウスが告げた、私に課せられた試練とは、間違いなく教師であることが深く関わっている。でなければ、ターゲットは別の人間にしたはずだ。

 だとしたら、今は教師としての力を高め続けるのだ。戦略はその後でいい。


「おい……」

「え?」

「当てたんじゃなあんか?」

「……」


 また爆笑が起きた。言外である。


「ごめんな、ええと、名前は?」

部井とりい部井調歌とりいちょうか

「そうか。部井さん宜しく。それじゃあ教科書十一ページの小問題を」


 彼女はしばらく黙っていたが、教科書の周りの記述を見ながら答えていく。周りもその様子をもの珍しそうに見ている。

 部井さんは、もの静かに回答を続ける。その小さな身体をさらに恥ずかしそうに丸めながら。気が強そうに見えるのは、恥ずかしがり屋であることを誤魔化すためなのだろうか。

毎週、金曜日から更新です。それでは、ゆっくりお読みください(。。)...

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