第30話 追憶~第四節~
夜店を逍遥する。調歌のところまで歩く短い距離にあっても、目に入った夜店の数は10店ほどにもなる。射的というのは、一般的には男の子がやるものだが、調歌の好戦的な性格を考えると、ロマン的なものに惹かれても致し方ないだろう。
すぐ側に寄ると、律子がこちらを振り向いた。うまそうにたこ焼きをほお張っている。直感ではあるが、けっこう食ってるんだろうと思った。
平時における彼女の食事量は、私をゆうに超える。回転寿司ならば、30皿程度。私など、せいぜい20皿が限界である。律子が太らないのは、ひとえに柔道のお陰だろうな。
「おい、調歌。やるのか」
「ん。でもなんか、ウチ、恥ずかしいな」
お前も恥ずかしがることがあるんだな、と野暮な突っ込みを入れるほど愚かではない。女子中学生にとっては、こんな地方都市の祭りであっても大切な思い出に違いないから。
「やってみろよ。もし当てられたら射的代おごってやる。駄目でも、まあ一時の恥だ」
「え、そんならやる!」
料金である400円(高えよ……)を支払い、コルク銃を受け取る。さっきのおっさんもそうだったが、こういう夜店はあっちの人たちの仕事なのだろうな。
「ほら。銃」
「いぬ、先にやれよ」
「え?」
店主の方を見遣る。薄笑いを浮べながら、景品が置いてある台を指差している。からかいのつもりだろう。
「お父さん、あんまり本気を出し過ぎんな……」
「……ふう」
景品台の下から三段目、ちょこなんと乗っていたモノクロ柄のふわふわしたぬいぐるみ(※1)は、真っ直ぐ打ち抜かれた。斜め後ろには、女性陣のアツい視線を感じる。気がした。
店主は、坊主頭で小柄の体形に、浅葱色の法被という出で立ちであった。元々丸まっていた背中が、さらに縮こまって、さらに目線も泳いでいる。
直撃したはずのぬいぐるみは、不自然な傾きを保ったまま台の上で静止していた。まあ、あれだ。インチキというやつだ。だが余りに直撃コースだったため、それが誤魔化し切れなかったというだけの話。
あのぬいぐるみは、はっきりいって目玉商品のひとつだろう。あの毛並みのつや、それなりのサイズからいって、少なくとも5千円はしそうだ。
「おっちゃん、もらっていいよな、あれ」
「いやあ、まだ倒れてないから!」
小細工する分には構わないが、ここまで意地が悪いと、こちらとしても対応に苦慮(笑)してしまう。
「運が悪いんやろ、他の狙ったら、お父さん」
お父さんじゃねえ! そう言いたい気持ちを堪える。伸ばした背筋と、一直線に並んだ両腕のレール上に銃が設置されて数秒後。もう1発のコルクが、同じぬいぐるみにクリーンヒットした。まだ倒れる気配はない。
さて、あと3発も残っている。400円で5発とは良心的じゃないか。小細工以外は。さらに1発打とうとしたところで、肩を掴む影が。
「調子いいですねえ、お父さん」
「ほんとだあ~、名人やなあ」
お父さんじゃねえ! 茶髪の若者が、2人。彼らもまた、そういう柄の浴衣を着ている。特に、危害を加える様子でもないが、にやにやとこちらを見ているのが気に障った。
「見ない顔だね、お兄さん」
もう1人の若者は見る目があるようだ。それにしても、高々ぬいぐるみで絡んでくるんじゃねーよ……。
「いやあ、娘にぬいぐるみを、と思ってまし……」
「どこのもん? お兄さん。ねえ」
そう言って、彼は、こちらに顔を近づけてくる。俺は、至って冷静な気持ちで、
「どこのもん、じゃねえだろが!! 射的ぐらい黙ってさせろ、おいそこのチンピラにやついてんじゃねえ!!」
周囲の音が一瞬、途絶えた。振り返って俺は、続けざまに弾を2発、ぬいぐるみに命中させた。それでも倒れない、モノクロのブタ。
「どういうつもりじゃあ。分かっとんじゃろうの」
さっきまで、一応の笑みを浮べていた初老の店主は、藪睨みをすり付けてきた。もう、これは止まらないだろう。このままテキ屋の面子を潰し切ってしまい、お互い後戻りが出来なくなる前に。今、決めたばかりの戦略を実行せねばならない。
「見て下さいよ、この人の群れ。まだ、さっきは10人くらいしか見てませんでしたよ」
「それがどうしたんなあ、おい! 関係ないわ」
「2発、ぶつけても倒れなかったの。俺の娘は見てますよ。あと、後ろの人たちも」
ちらりと後ろを見る。さすがに表情を強張らせる調歌と、すでに半泣きの彩季。よかった、律子はどこかに消えている。
「このままだとそっちに不利でしょ。こちらには半泣きの娘っ子が1人。証人だって、そこの見物人から――」
ここで言い澱んだのは、走り帰ってきた律子が、真っ赤なスタッフジャンパーを着用している細身の男性を連れていたからである。
「ど、どうされたんですかね」
この恐縮し切ったような、しかしながら、真面目な雰囲気を漂わす感じは……ああ、そうか。この人は、多分市役所の者だろう。恐らくは、花火大会の主管課の職員。クレーム対応に来るからには、それなりに責任があるのだろうな。
律子、よくやってくれた。後で何でもおごってやる。
「どうするんですか、射的屋さん……ちょっと職員さん! そこにインチキしてる証拠があります……まったく! ただの客に絡みやがって。こんなしょうもないことで、今後の出店……」
ここまで言い掛けて、ワザと止めた。相手の反応を見るためだ。店主は、なにやら俯いて、焦りを見せつつ考えごとをしている。若者たちの方は、そこまで場数は踏んでいないのだろう、顔面蒼白で店主を見詰めていた。
どうしてこんな行動に出たのか。自分でも分からない。乾賢太朗の萎縮しかけた心を制するように、クオリアが「そうしろ!」と叫びを発したのだ。これは、直感としか言いようがなかった。
それに、簡易的にではあるが段取りは浮かんでいた。インチキを証明することで相手に引かせるには、
ぬいぐるみを手にする形で事を収める←見物人が集まるなどの有利な状況で交渉を開始する←騒ぎを起こすことでトラブル発生を示す
といった工程がおおまかな手順になる。この三つを実現するには、敵をよく観察して機会を伺う必要があるし、さらにその前提として、ヤクザの経済化が進んだ現代にあって、テキ屋はその中でも地位が低い者のシノギである、という確信めいた知識があった。
こいつらに強力な後ろ盾はない。ならば少々のトラブルは避けるはずだ。そういう直感がそこにはあった。
「いや、職員さん。こちらは祭りを楽しみに来ただけですからね。おい、調歌!」
「!」
一瞬、びくっとした表情で、調歌はこちらに目線を送った。
「人数分、射的やるからな。ほら、3人分の金。店主さん、ぬいぐるみもらっていくぜ」
「ああ、はい。おい! お前ら」
若者2人は、大慌てでモノクロのブタを手に取ると、さっきとは、うって変わって恭しい態度になった。簡易に包装されたぬいぐるみが、私に差し出される。
受け取ってすぐに、グラウンドを出ようと歩き始めた。花火の開始時間が迫っていることを認識すると同時に、思い出した。私(元)の記憶を。
この学校は、私(元)の母校である。さっきタキプレウスと一緒にいた時、校舎裏の微妙な、微妙な飲食などに使えるスペースを見つけ出せたのもそういうことだ。
毎年、花火大会を見に来ていた。大人になったあたりから、そういう記憶は断絶していたが、それでもやはり知っていた。花火を間近で見るためのベストスポットを。
そこに行こう。新たな記憶が蘇る可能性が僅かでもあるなら。運が良ければ、さらに情報を辿っていけるかもしれない。例えば、校舎裏のスポットを見つけ出せたのは、国府市内で、私(元)の記憶にあるはずの物質に多く触れたことが起因して、そこから花火の鑑賞場所を思い出せたのではないか、というのが個人的な推論であった。
それに、苹樹が居ないのも気になる。どこかで見かけていてもいいのに。教師として一応、把握だけはしておかねばならない。
こうして私は歩き出す。浴衣の模様に、校庭の外周に聳え立つ灯りが反射して燐いている。小規模な探求が始まった。
毎週、金曜日から更新です。注釈文は最終節にあります。それでは、ゆっくりお読みください(。。)...




