第30話 追憶~第二節~
決めた。よし、決めた。
「みんな」
鴨中学校の4名は、警戒心の混ざったような陰鬱な表情を向けている。
「庚子の親、今日はまだ来れないんだよ。1人ぼっちなんだ。女子をそうする訳にはいかないからさ。彼女の親が来るまでいいかな。埋め合わせるから、ほんとにごめん」
どちらかだけと回るという選択肢はない。となると、交渉の余地がある庚子と一緒に祭りを見て回るのが正しい。頭の中には短時間で切り上げる策もあった。
『ゴルァ! お前も謝れ』
念話で、庚子にそう告げる。この距離なら、まず間違いなく届く。
「……ぐすっ」
空気が変わった。大粒の涙が、彼女の切れ長の眸から零れ落ち、頬を伝い、砂地へと吸い込まれていく。
「う、ぐずっ、ううっ~! ごめんなさ……」
「あ、いいのよ、ごめんね」
そう言って、走り寄ってきたのは律子であった。右手には、イブサン口ーラン(漢字の口である。念のため)のハンカチが握られている。
「庚子ちゃん、乾先生とゆっくり待っててね」
律子っ! やれば出来るじゃねーか! それに引き換え、庚子は……。ふと、中学生3人組を見遣るに、大勢は決したとの思いで、めいめいどの夜店でメシを買おうか迷っているようであった。
「わたし、国府市の花火大会来たことないんだ。すっごい楽しみ!」
「そうなん? けっこう綺麗で! まあ、薄情者は放っといて行こうや」
「ま、まって。音恋さん、部井さん」
悪いことをしてしまった、でもアクシデントなんだ! このくそちびっ子のせいで、申し……うううううっぐあああっ!!
思わず叫びそうになる。何より救いだったのは、律子がとっくに振り返っていたこと。
『誰が、くそちびっ子だって?』
くそ! 私の考えを読めるのを失念していた。まあ、とにかくだ。
「祭り、見るんじゃないのか? 一体、何のために浴衣を買ってやったんだよ」
「勘違いするな。こないだ何でも買ってくれるって言ったろう?」
庚子は、その唇を私の浴衣の胸元に付けながら、そう呟いた。彼女の両の手のひらは、柔らかく引っかくような感触でもって私の浴衣を貫き、肌に感覚を与え続けている。
甘える仕草は、まるで大人のそれだった。実年齢いくつなんだろうな。まあ神の使者にそういう概念はないか。
「行くぞタキ。まずはどこがいい?」
「えぇ~、エスコートしてよお。はじめてだから分かんない」
「ぶりっこしてんじゃねーよ……」
悲しいかな、小児偏愛者の気質は我が意思とは関係なく、肉体の火照りをもって応えるのだった。
それから、数十分が経ったろうか。事務員室のコンクリート塀の真下にあるブロックに腰掛ける、私と庚子。
「あつっ! あつい。もういい、残りは賢が食べてもいいよ」
その手元には、残り3個になったたこ焼きのパックが握られている。食料を買っている最中、庚子は、ずっと私の右腕に絡み付いて離れなかった。代金の授受で、一時的に離れることはあっても、犬のようにすぐ後ろをついてきて、また腕を連結させた。
群青色の鼻緒が結んである草履が歩き難そうだったが、それでも私の歩幅に合わせて歩き続けた。わざと歩幅を庚子に合わせず、反応を伺っていたのであるが、次第に馬鹿らしくなって、歩調を緩めた。
そんなこんなで、会場を一回りして国府学園の校舎裏に辿り着いたというわけだ。苹樹たちに目撃されなかったのは、ひとえに日頃の行いの成果だろうか。
「意外に、食わないんだな」
「まあな。誰かさんと違って、デブったら困るし」
「もう、77キログラムを切ったよ。身長180センチなら、この体重でもアリだろう?」
「どうだか……」
そう言って、6個目のたこ焼きを飲み込んだ。さっきから8個入りのたこ焼きを、ひとつづつゆっくりほお張っていった。どうやら熱いものは苦手らしい、一度たこ焼きを解体してから生地を口内に入れていくスタイルだ。
お茶に手を伸ばし、不器用にラッパ飲みする庚子を横目に、グランドシティ富士で浴衣を買ってやった時のことを思い出す。
3日前だったか。タキは突然に部屋に現れ、欲しいものが決まったというのだ。確かに、何でもする約束はした。痛い出費ではあったが、調歌の心が傷つくかもしれない機会を脱せたのだから、高々2万7千円の浴衣ぐらいで済んだのは勿怪の幸いである。
今でも鮮明に覚えている。服飾店でタキが浴衣を選んでいると、店員から、かんざしだの草履だの、色々と付属品の営業を掛けられたのだが、その際に言ってしまったのだ。「親子ではない」と。
そうしたなら10分後に警官が来て、事情聴取の上で開放された。身分証明書といえば、共済保険証くらいしか持っていなかったし、それで潔白を証明できるわけでもない。警察も渋い顔をして、どうやら犯罪者顔らしい私を睨んでいたのだが、タキプレウスが警官に近づいたかと思うと、彼の顔色が途端に悪くなった。
そしてタキからの合図で、必死で潔白を示すアピールをすることにより、難を乗り切ったのだ。今、タキが身に着けているかんざしと草履は、そのときに店員に詰め寄った私の戦利品でもあった。潔白な客を通報したことを黙っている見返りとしての、当然の対価。
「さあて、行くか。まだ寄りたいところは?」
「満足だ、ありがとう」
素直な時と、そうじゃない時の性格の違いが大きいのだよな、庚子は。ああ、違う。今は、タキでいい。
「まだ、2個残ってるじゃないか?」
「うん、まあな。ちょっと待て……お、向こうに苹樹がいるぞ」
「なにっ!?……むぐ!」
歯茎が溶けるような熱さとともに、塩味の効いた柔らかさが襲ってきた。吐息と一緒だったから、その正体は暗闇でもすぐに分かった。それはタキプレウスが口移しで運んできた、たこ焼きであった。運が悪ければ、互いに口付け合っていたろう。
「むぐぐ、おい!」
「ああ、悪い。からかってみたかったんだ」
「冗談、キツイぞ。誰かに見られたら、人生ゲームオーバーだよ……」
「ふふ」
一体、何がおかしいのか。タキプレウスという存在は、私をボコボコにのめすかと思えば、こういう甘えた面を見せることもある。
もやもやした気分で考えあぐねていたが、また同時に、私の男性としての機能が刺激されていることを察知する。「もういい、早く行ってくれ」と心に思ってしまって、すぐにそれを引っ込めた。
「じゃあな、そろそろ行くわ。賢。からかってごめん」
渋めの色合いではあるが、しかしながら、雅を馨らせる浴衣をひらり、ひらり。タキは、その場で立ち上がる。
ああ、そうだ。彼女は私の心を読めるのだ。もう何度失敗したか分からない。
「おい! タキ」
「何だ?」
「他にも夏祭りはまだある。今度は射的でもやろうぜ」
くすりと笑って、彼女は消えた。私の認識の外へ。
毎週、金曜日から更新です。注釈文は最終節にあります。それでは、ゆっくりお読みください(。。)...




