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インセンシティブ・センシブル  作者: サウザンド★みかん
第Ⅲ部 影響していく力―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
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第23話 配慮と焦り~第一節~

 金を失っても失うものはないが、勇気を失えばすべてを失う



5/29(日)

 喧騒の中に、まばらに色とりどりの模様が浮かぶ。

 それは赤、白、黒など、どちらかといえば原色が多いのだが、その中には多様な色彩に包まれた人間もそれなりには、いた。いま一緒に生徒たちと待ち合わせている九里村律子もその1人であった。チャコールグレーのハーフタイプのパンツに、真っ赤な英字で流体の刻まれた黒シャツ、その上には薄いサファイアカラーの男物ジャケットを軽快に羽織っている。

 さて、今彼女と一緒に生徒たちを待っている理由(わけ)というのは……。

 先週末までで受身だけの練習メニューは終わった。それは柔道部の立ち上げ当初から合計にして3週間にも満たない期間であったが、3人とも柔道を嗜む初心者としては十分なレベルに達していると思う。

 運動センスのある音恋(ねこい)さんは当然として、部井(とりい)も比較的早いペースで後方受身、横受身、前方回転受身などをマスターした。加目田さんは、始めの方こそ受身の練習にもかかわらず自分から頭を打ちにいくほどの状態であったが、何らかの重要な理解を得たんじゃないかと思った次の瞬間には、いきなり出来るようになっていた。

 本人は運動神経が切断されているなどと自虐しているものの、やはり、ただコツを掴むのが遅いだけなのだと思う。運動そのものは苦手ではなく、ただ認識的な問題なのだ。

 今週は、いよいよ技の練習をメニューに組み入れている。

 まずは基本となる大外刈り、大内刈りなどの足技などを教えていった。

 週始めの2日間は、私や律子が練習台となって投げ込みをし、次の2日間は部員同士で投げ込みをしていった。そして金曜日には乱取り練習を行った。1回3分、合計で6回。余った者は律子と組んで実際的な投げの稽古を行う。

 そういうわけで、試合形式に近い稽古は1日しか出来なかったのだが、こうして記念すべき初試合の日を迎えたというわけだ。

 ところで、受身の成果はどの程度だろうと思っていたら、全員が優秀すぎて思わず笑いが込み上げてしまったのを今でも覚えている。いける。これなら市内大会で優勝を勝ち取り、もしかしたら県大会でも活躍できて、私は感動の涙を流せるかもしれない。

 そういう気分でニヤニヤしかける表情を抑えているのだが、これはいけない、律子は時々私の方をちらりと見るのである。そりゃあ、土曜日に一緒に食事をしたときにあまり盛り上がらなかったのは悪いと思っているけれど、とにかく私の気分は高揚していた。

 今回参加するのは公式戦ではなく、いわゆる昇級試合というやつだ。1人につき2回の試合機会が与えられ、1回勝つと1点、引き分けだと0.5点もらえる。負けると点はもらえない。

 2回とも勝てばトーナメントに出場できるので、優勝までいけば一気に大量得点を狙うことが出来る。中学生の場合、柔道の階級は3級から始まり、5点を取れば2級、10点を取れば1級となり、昇段試験(黒帯を取るための試験)の受験資格を得るというわけだ。まあ要するに、練習試合にはもってこいの機会というわけだ。

 これは6月末の公式戦までの唯一の試合の機会だから、たとえ拙速(せっそく)であろうと逃すわけにはいかないチャンスであった。

 今は、3人が鴨学区の一番近くの駅からハッピーマウンテン駅まで来るのを待っている。本当は律子の乗用車で来たかったのだが、あれは一応4人乗りモデルだからな……。自動車、買い替えればいいのに。


「乾先生」

「何ですか、律子先生」


 そこは駅の南出口だった。立ち並ぶビルは白灰色の群集のように迫力があって、中核市に相応しい街観の中に律子の華奢ですらりとした等身が私のフィルターにすっぽりと収まっている。


「あの、かなり前のことですけど。3000円」


 ああ、あれか。柔道部の立ち上げパーティの時だった。

 予算総額で3000円分の酒席(?)を囲んだ私たちだったが、律子は生徒を含む全員から会費を徴収するという。その一人当たり総額が3000円だった。

 この手口については、私が大学生のときに同じゼミの仲間と一緒に教授に仕掛けたことが何度かある(作者注 前々話を参照)。それを考えると、もしかして私(元)と律子とは歳が近いのかもしれない。


「すいません、調子に乗りました。これ」


 律子は1500円を私に差し出そうとしている。黙ってそれを受け取ってから私は思索へと入る。

 あの場では私が一番稼いでいる。公立中学の教諭とはいえ、給料は額面で24万はあるし、給与月額ならば25万にはなる。律子は非常勤だから……確か、岡山県の給与条例によると額面で18万くらいだったか? まあとにかく、あの場は私が全額出しても良い場面だったと思う。


「気にしなくていいですよ」

「い、い、いえ……お金はきっちりしないと」


 その都度、溜息をつきながら私は生徒らを待っている。律子は、さっきからずっと何を考えているやも知れぬ態度でもやもやしているし、私もいい加減、もう待ちたくはなかった。

 というのも、気合を入れて7時半にこの辺りに到着したのだが、開会式までは1時間以上あった。私は朝飯を食べない派だと律子に告げると、これまたしんみりとした態度となって、また私たち2人の舞台に沈黙が降りた。

 そのときだった、私に良き発想が浮かんだのは。まあとりあえず言ってみようか。


「律子先生」

「はい?」

「今度は、実家の自動車を借ります。みんなで一緒に大会に向かいましょう」

「……はいっ」


 嫌なことを思い出した。乾賢太朗の体はこれだから嫌だ。

 老人並みのボケをかますのはいいが、人に迷惑を掛けないようにすべきである。何のことはない、乾賢太朗は自動車に乗れないのである。免許はあるものの、まあアレだ。ペーパードライバーというやつだ。

 未だ本名すら思い出せない、私(元)のぼんやりとした記憶を辿っていく。どうやら運転は出来たようだ。こうして考えると、今のわたしという存在は中途半端なものなのだと嫌がうえにも思い知らされる。

 クオリア(意識)は紛れもなく私(元)のものだが、記憶がないため自分が自分であるという感じがしないし、身体は乾賢太朗という中学教師(ロ リ コ ン)のそれを借りているから、感覚的には未だに違和感が付き纏う。

 どのように思惟するか、どのように認識するか、どのように直感するか。始めのうちは、自分が自分であるという意識が他人の身体の中に入っている感じ(・ ・)が気味悪くて仕方なかったのだが、もうそれにも慣れてしまった。

 ん? ああ、そうか。タキプレウスの言葉を思い出したぞ。言語表現可能な記憶のみならず、手続き記憶も乾賢太朗の身体に入れてあるんだっけな。そうか、そうだった。このように、乾賢太朗の知能はお世辞にも高いとは言えない。やはり頭脳が弱いというのは弱点だ。とにかく、鍛えていくしかな――。


「いぬーーっ!」


 そう呼びかけながら走る来たるは、部井調歌(とりいちょうか)であった。145センチメートルの小兵ではあるが、その負けん気を私は買っている(つもりだ)。


「おい、頭つかむな!」


 バスケットボールを掴む感じで部井の頭を鷲づかみにする私。

 もはや恒例だった。彼女の顔は、とにかく小さい。おおよそ成人男性の半分ちょいってとこか? 別にアイドル並に可愛いとかいうこともないが、まあ準ずるものはある。


「調歌、今日は初試合だよっ」


 音恋さん。髪の毛、春先に比べればずいぶんと伸びたな。まあ、今でもショートカットだけど。まん丸の大きな二重まぶたが眩しい。いちいち髪のボリュームで隠さなくとも、その頬線が美麗な曲線であることは明白であった。

 美しい女性として世間で通用するより前に、その未成長の肢体を保っていて欲しいという情欲が度々襲ってくるのだが、それを何とか抑え込むのに初めはけっこうな時間を要した。


「賢先生、お待たせしました」

「そぎゃあに、丁寧に言うことないんよ! いぬじゃし」


 その備後弁は激しく主張していたのだが、何より“いぬ”というあだ名の方が気になる。


「それ、やめてくれないか。一応、教師なんだし」

「別にいいよね、りっちゃん!」

「いいんじゃない? 親しみやすい先生の方がいいよね」


 九里村律子は、生徒に溶け込むことにかけては校内でも右に出るものはいない。それについては学年主任からの評価は高く、彼女の集めた噂話によって未然に防げた火種は数知れない。


「いぬ、か。まあ好きに呼べよ。私たちだけのときはな。それ以外は止めとけ」

「わかってるって~!」

「いいなあ、わたしもいぬ先生って呼ぼうかなあ」

「いぬ先生……」


 最後に口を挟んだのは、加目田彩季(かめださき)だ。ふくよか、と言ってしまえば失礼なのだが、大人びた雰囲気をもっているとは思う。


「も、もう、7時55分です……開会式まで1時間を切ってます……」


 ああ、そうなのだ。時間のことをすっかり忘れていた。

 加目田さんは、およそ演繹的な意味での知能ならば、この集まりの中では一番だと思う。定期テストで平均97点という凄まじい成績を残す割に、その運動神経は切断されており(本人談)、また積極的な性(さが)でもないため評定平均でポロポロ点を落とすという勿体ないことになっている。

 彼女は、第一志望校である国府高校に進学したいがために内申点を稼ぐという明確な目的をもって柔道部の門を叩いた。はっきりいって、そういう明確な目的意識は大歓迎である。


「早く、行きましょう」

 

 おどおどしながら告げる彼女であった。私の視界では、加目田さんのもみあげに掛かる髪が気になっている。まるで犬耳のように掛かるその髪型の名前など知る由もない。加目田さんの生真面目な姿すらも情欲の対象としてしまう乾賢太朗の身体には、常々より危機感を抱いている。

 正直いって、この娘たちは小児偏愛(ロ リ コ ン)にはきつ過ぎる。

 少女しか愛せない、少なくとも大人の女性に興奮を抱くことの決してない、この体質さえなければ。こんな人間は社会人じゃない。社会塵だ。


「みんな、こんなことになってごめんな。次からは自動車にしよう」

「ねえ、部費でないの?」


 痛いところを突かれる。言えない、部費が月に2千円しか出ないなんて言えない……。

 年末あたりまで溜めておいて、何かあったら使う予定にしてあるのだが。基本的に、私の懐から直接出すという方針に決めていた。


「部費はちゃんと使う予定があるから。そのときに報告する。うん」

「使い込むんじゃねーぞ公務員!……ああぁー!」


 部井の脇の下を抱えてメリーゴーラウンドを完成させてやった。ちなみに手が滑ると懲戒免職になる。


「いいなあ……」


 音恋さんの声が聞こえるが、まあ気のせいだろう。

毎週、金曜日に更新です。ゆっくりお読みください(。。)...

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