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いっしょにたべよう  作者: 芝村あおい


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8/10

08 寄り道のサンドウイッチ


「星野さん、あおちゃんの靴下ないです」


 日曜日の朝。着替え終わった子どもがリビングでそんなことを言い出した。

 休日だった星野は、飲みかけのコーヒーをテーブルに戻して、


「⋯⋯洗濯したのは、お前の部屋のクローゼットにあるだろ」

「違うんです! 星野さんが意外とそういうのきっちりしてるのは知ってるんですけど、そうじゃないんです!」

「なんなんだ」

「⋯⋯あおちゃん、ちょっと足がおっきくなりました⋯⋯」


 申告を受けて、星野はなるほど、とうなずいた。小学生の高学年にもなれば、成長期も来るだろう。この子どもは小柄なので、成長の兆しは良いことのように思えた。


「そうか。靴は?」

「⋯⋯靴も⋯⋯」


 子どもが遠慮がちに言うので、どうやら本当は靴の方の具合が悪いらしい。星野はため息を吐き出して、丸い頭をなでてやる。


「次からは、少しでも窮屈だと思ったら言え」

「⋯⋯でも、靴はけっこうお高いのでは⋯⋯?」

「お前の靴一足くらいで家計が傾くような給料じゃねえよ」


 鼻で笑ってやると、こちらを見る大きな瞳が尊敬にきらめいた。悪い気分はしない。


「それで、どういうのがいいんだ? なんか好きなのあるだろ」

「んー、あおちゃんは走りやすかったらなんでもいいです」

「もっとおしゃれしてもいいんだぞ」

「興味ないです」


 子どもは大きな頭を左右に振った。さっきの遠慮がちな視線とは違ってけろりとしているので、今回は遠慮などではなく、心底興味がないらしい。それはそれでどうか、と思わなくもない。

 こういうのは、やはり同性と買いに行くのがいいんだろうか、と考えて、上の階に住む奈々を思い出した。モデルか俳優か、と思うような容姿だが──星野は首を横に振った。ものすごい美人なので誤魔化されるが、あの女はそこらに乱立している量販店の服を着ていた。あの女も、あまりファッションや身なりに気を使うタイプではないだろう。


「⋯⋯近所のスーパーで大丈夫か?」



 星野の家から歩いて五分ほどの場所に大型スーパーがある。生鮮食料品はもちろん、ちょっとした家具や食器、衣類なども取り扱うような総合スーパーだ。そこの衣料品フロアへ向かう。

 スーパーは築年数が経っているのか、ややくすんだ色をしている。薄暗い店内をLED照明が明るすぎるくらいの光で照らしていた。ワンフロアに婦人服、紳士服、子ども服すべてが押し込められているので品揃えは微妙だが、店内はそこそこひとがいる。星野のような子連れもちらほらと見えた。ここでは学校指定の備品も売っているので、星野と同じような目的の親も訪れるのだろう。


「靴売り場はー、あそこですね!」


 どんな靴でもいいらしいが、新しい靴はうれしいらしい。ぴょんと跳ねるように売り場に向かう小さな背中を見失わないように追いかけた。

 先に到着した子どもは、売り場のフロントに置かれている商品棚から、自分の好みに合いそうなものをしげしげと眺める。


「なんか、いっぱいいろんなのがありますね」

「そうだな」


 種類は少ないが、デザインは大人向けのモデルを小さくしたようなものが並べられていて、星野も驚いた。自分が小学生のころは、運動靴など数種類しかなかったと思うが。⋯⋯田舎だったからかもしれない、という可能性がちらりと脳裏によぎって、頭を振った。都会と田舎の文化格差を考えはじめたらきりがない。


「お前の靴選びの基準は?」

「足が痛くならなくて、紐でしばらないやつです」


 なるほど。この子どもは不器用なので、紐がきれいに結べないらしい。練習のためにあえて紐付きのスニーカーを買うのもひとつの選択肢だが、まあ、ほどけたら危ないので、マジックテープでいいだろう。この子どもは毎日かなり運動をしているので、教育より事故や怪我を気にするのが先だ。


「これは?」

「あー! かっこいいですね!」


 星野が手に取ったスニーカーは、黒のスニーカーだ。軽い素材でつくられているらしく、走る時も快適、とポップがくっついていた。子どもに一度履かせてみて、サイズをたしかめる。店員に声をかけてフロアを少し歩かせてもらってから、次に子どもの様子を確認する。


「もうちょっとサイズ下げるか」

「え? これでいいですよ。あおちゃん、すぐに大きくなりますし」

「サイズあってないと走る時に転ぶぞ」


 それが学校の授業なら、痛い思いはするがまだマシだ。もし変質者に遭遇して逃げる時に転んでしまえば、擦り傷では済まないかもしれない。職業柄、そういった可能性はできる限り低くするべきだと考えていた。

 子どもはまだ遠慮に顔を曇らせている。


「でも……すぐ大きくなって買い換えることになったら、もったいないじゃないです……?」

「靴なんか消耗品なんだから、気にするな」


 こんな量販店で売っている靴の値段などたかが知れている。この子どものお稽古用品の方が実は高額だ。そんなことをわざわざ言うことはないが、公教育以上の教育には金がかかる。

 子どもの表情はまだ晴れないが、星野は勝手に店員を呼んでワンサイズ下のものがないか訊ねた。店員が店の奥から持って来た靴を試着させて、子どもの歩き方を確認してから購入する。


「……星野さん、ありがとうございます」

「おう」


 会計を済ませて靴の入ったショップバッグを子どもに持たせると、ようやく笑みを見せた。ご機嫌なようで、大事そうにバッグを抱きしめる。


「ふふふ。あおちゃんは星野さんのシンデレラになります!」

「サイズあわなくなるってわかってる靴でそんなごっこ遊びすんな」


 時計を見ると、昼をまわったところだった。


「どっか飯でも食いに行くか」


 駅前まで行けばチェーン店も個人経営の飲食店も豊富に揃っているのがこの街の良いところだ。この子どもが好きな店もたくさんある。

 子どもはうーんとうなって、


「気になってたお店があるので、そこに行ってもいいですか?」

「そこまで高くなかったらな」

「絶対大丈夫だと思いますよ!」


 やけに自信満々に言い切った子どもに、案内を任せた。星野はもともと歩くのが早い方だが、今日は子どもの歩幅に合わせてやる。

 スーパーの外に出ると、太陽が真上にあって、ほどほどの気候で風が心地良い。天気が良くて、散歩をするにもちょうど良かった。涼しくなった風に乗って、浅い甘さの爽やかな香りが鼻をかすめていく。金木犀が咲いているらしい。


「靴持つか?」

「いいえ! これはあおちゃんのなので! あおちゃんが星野さんに買ってもらった大事な靴なので!」


 二回繰り返した。随分気に入ったらしい。

 子どもが向かうのは駅の方向だ。この子どもがどんな店に注目しているのか知らないが、もし自分たちが入れなさそうな店でも、代わりはいくらでもある。

 個人商店とチェーン店が交互に配置されているような商店街を抜けて、駅前の細い路地に入る。道は狭いが、ここも商業区域なので民家のような骨董品店や喫茶店、雑貨店がちらほらとある。いくらも歩かない場所に、小さな店が見えた。まだ真新しい看板で、最近できたらしいことがわかる。


「ここ、りえちゃんと美恵ちゃんと気になるねって話してたんです!」


 店をのぞくと、ガラスのショーケースが店の前にせり出していた。ショーケースの中には、サンドウィッチが並べられている。パン屋ではなくサンドウィッチ専門店らしい。ショーケースには断面を見せたサンドウィッチが所狭しと並べられていた。


「ここのフルーツサンド、気になってたんですよねー」


 フルーツサンドはパイナップルやバナナといった一般的なフルーツを使ったものをはじめ、オレンジやマスカット、キウイフルーツといった断面が華やかなものも用意されていて、見た目にも賑やかだ。


「⋯⋯普通のやつもあるな」


 フルーツサンドが目玉なのは本当のようだが、カツやコロッケ、ローストビーフ、サーモンなど食べ応えのありそうなサンドウィッチも複数用意されている。フルーツサンドと同じように断面が見えていて、具だくさんな印象を受けた。


「で、どれがいいんだ?」

「あおちゃんは、このみかんのやつと、あとコロッケのやつがいいです!」


 言われるまま注文して、若い店員の微笑ましそうな笑みに内心辟易する。絶対に親子だと思われたな。いちいち訂正するのも面倒なので、だいたい星野はなにも言わない。

 星野も興味を持った品を注文すると、店員は包んだ荷物を子どもに手渡した。


「はい、どうぞ。持てるかな?」

「先に言っておきますけど、あおちゃんと星野さんは親子じゃないですよ。同居人です」

「⋯⋯そうなんだ?」

「はい。星野さんはいっぱいあおちゃんを甘やかしてくれるんですよ! だからサンドウィッチも選び放題なんです!」

「違うが? ⋯⋯本気にしないでください。あとちゃんと保護者なんで通報は必要ありません」

 店員の男の警戒した表情に、先んじて釘を差しておく。子どもの頬がぷうと膨れた。

「星野さん、顔が怖いから先にお伝えしとこうと思っただけなのに⋯⋯」

「お前の言い方は余計に誤解を招く」


 何度も店員に頭を下げて、サンドウイッチの入った包みを引き取る。


「どっちも持てますよー」

「どっちかにしろ」

「⋯⋯じゃああおちゃんの靴なので、あおちゃんが持ちます」


 そのやり取りを見ていたらしい店員が、ようやくほっと息を吐き出した気配がした。


「この近くにお住まいなんですか? あおちゃんは、たまにお友達と一緒にこの辺りを歩いているのを見かけますけれど」

「ええ。また通りかかったときは、よろしくお願いします」


 怪しい者ではない、まして未成年略取などといった不名誉な犯罪者でもないことを強調して、星野はその場を離れた。

 


「お前、店の店員にまでいちいち自己紹介して回るな」

「だって、星野さんと一緒にいるとおまわりさんに声かけられちゃうし、一回ノールックでお店のひとに通報されたことあったじゃないですか。星野さんとあおちゃんが仲良しなのをご近所さんにアピールしておいたほうが、後々便利ですって」


 この子どもは子どもなりに、気を使った結果らしい。だが納得し難くて、星野は難しい顔をして黙り込んだ。自分は子どもに好かれる顔ではないが、不審者ではない。こんな顔と身なりの良い不審者など、詐欺師くらいだろう。


「⋯⋯世知辛い世の中だな」

「だからおまわりさんがいるんですよねー。いつもご苦労さまです」


 ちょうど交番の前を通りかかったので、子どもが頭を下げる。交番に立つ警官も頭を下げてきた。最寄り駅前の交番は、この子どもが星野の家へやって来て真っ先に自己紹介した先なので、もう顔なじみだ。

 交番から離れて、自宅のある住宅街へ向かう。その途中にある公園を見て、子どもが指さした。


「ねえねえ、星野さん! ご飯ここで食べましょうよ!」

「⋯⋯公園行くなら、もっとでかい方の公園に行くか?」


 この街は若いファミリーも多いので、公園の数が多い。小さな公園のほかに、少し駅から離れた場所に湖のある大きな公園があった。この前の休みは、そこでこの子どもとボートにまで乗った。


「あっちはお家と反対方向じゃないですか。靴を持ってるといっぱい遊べないですし、今日はここでいいです」


 子どもが靴を抱えながら、空いたベンチまで走る。丁度木陰になっていたので、星野もゆっくり後を追った。

 近くの自動販売機で子どもと自分の飲み物を購入して、さっき買ったサンドウイッチを広げる。


「先にコロッケの方を食べろ。甘いのは後だ」

「はーい! いただきます!」

「いただきます」


 子どもが小さな口を大きく広げて、サンドウイッチにかぶりつく。


「んー、このコロッケ、衣が薄いやつですよー! ソースひかえめで、お芋の味がちゃんとします!」


 ソースたっぷりのコロッケもうまいが、コロッケを食べているのかソースを食べているのかわからなくなることもある。それはそれでいいのだが、この店のコロッケはコロッケの味にこだわっているらしい。


「星野さんも食べます? あーん」


 子どもに差し出されたサンドウイッチをひとくちかじる。サンドウィッチ用のパンは薄く柔らかく、それに合うようにコロッケの衣も薄くなっていて、芋はかなり濃い目に味付けされていた。コンビニのサンドウィッチというより、実家で手づくりしたような優しい味わいだ。


「食べやすいな」

「はい。これならあおちゃんもいっぱい食べられそうです!」


 この子どもは体が小さく、少食の傾向がある。それでも星野の家に居着いてからは同い年の子どもと同じ量は食べるようになったが、今度は星野のせいで手づくりの惣菜は食べる機会が少なかった。うまくいかないものだ。


「星野さんはなにを頼んだんです?」

「俺のはBLTサンド、サーモンとアボカド、あとかつサンド」

「星野さんはいっぱい食べますねー!」


 これでもまだ星野には足りない。頭より体を使うしごとをしているので、一般男性よりは量が必要だ。それでも、職場内で星野の体は細身な方だった。

 子どもがじっとこちらの手元を見ているので、星野も子どもの口元に食べかけのBLTサンドを差し出した。小さな口でひとくちかじる。少し大きな犬に食事を与えているような気分になった。


「んー! ベーコンおいしいです!」

「トマトが厚めなのもいいな」


 子どもは結局、ほかのサンドウィッチもひとくちずつかじって、コロッケサンドは半分残した。みかんのフルーツサンドは完食している。星野は黙って残ったコロッケサンドを完食して、缶コーヒーをすすった。


「おいしかったです。ごちそうさまでしたー!」

「ごちそうさまでした。⋯⋯次からコロッケサンドとフルーツサンドは食べる量を逆にしろ」

「だって、星野さん甘いもの好きじゃないじゃないですか。そっちをお残しするより、コロッケの方がいいかなーと」

「言い訳するな」


 無理に食べさせることはしたくないが、だからといって甘いものばかり食べさせるつもりはない。体を使うしごとをしているからこそ、体づくりには一家言あった。

 そのことを子どもも知っているので、はーい、としぶしぶうなずく。


「星野さん、どのサンドウィッチが好きでした?」

「⋯⋯かつサンド」

「うーん、まだあおちゃんに揚げ物づくりは早いですねえ」

「なんだ。つくるのか?」

「はい! サンドウィッチならでそうじゃないです?」

「⋯⋯包丁使う時は、大人が見ている時だけだからな。勝手に触るなよ」

「もー、星野さんってば過保護なんですからー」

「怪我されるよりマシなんだよ」


 包丁とは実に身近な凶器である。振り回せば殺人未遂、落ちてくれば死の危険を感じる事故になる。そのことをわかっていない奴らが多過ぎるのだ。

 ふと、視線を感じて子どもを見る。子どもは実にうれしそうな、ご機嫌な様子でこちらを見上げていた。


「なんだ? 俺が男前過ぎて見惚れたか?」

「星野さんは世界一かっこいいですけど、見惚れるとかじゃないですね。星野さんはあおちゃんが大好きなんだなーと浸ってました」

「なんだ、そりゃ」

「あおちゃんが怪我したら、心配なんでしょ?」

「当たり前だろ」


 それが保護者の役割というものだ。ちなみに大怪我して学校から呼び出されるのも困る。しごとの都合上、すぐに迎えに行けないこともあった。

 子どもの跳ねた前髪をなでてやると、子どもはくすぐったそうに笑った。


「サンドウィッチつくったら、星野さんにお弁当で持って行ってもらいます」

「⋯⋯期待しないで待っててやるよ」


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