07 ぱりぱり香ばしおせんべい
りえのパパとママは経営者だ。
もう一度言う。パパもママも経営者で、さらにおじいさまもおばあさまも経営者。上手くいっている会社もあれば、そうじゃない会社もあるけれど、世帯年収で言えば銀行家も富豪だと太鼓判を押して「ぜひうちから融資を」とごまを摩ってくるレベルだ。
そういう場所で育ったから、ではなく、りえはりえで特別だった。りえはずっと幼いころから、とっても頭が良かった。家族親族、誰もお金に困っていないこともあって、早々に海外でギフテッド教育を受けて、大学も一番で卒業した。
でも、なんかつまらなかった。
ギフテッドにはありがちらしいけれど、同じ年ごろの子たちと上手くコミニュケーションが取れなかった。ギフテッドクラスでも、能力はそれぞれなので同じ知的レベルではないし、大学でも目立つし、見た目は子どもだから見た目通りの対応しかされないし。つまんないことばっかりだ。
そんな時に、うっかり誘拐されかけたものだから、両親から促されて日本に帰国することになった。日本にいると、子どもは義務教育を受けなければならない。色々と騒動があったので、親族からは私立学校を勧められたが、りえが選んだのは公立の、普通の小学校だった。
これまで、なんだかんだと同じようなレベルの子たちとしかしゃべったことがなかったし、それでうまくいかなかったのだから、何かを変えなければならないと思ったからだ。
そこで会ったのが、美恵とあおちゃんだった。りえはこの二人のことをわりと気に入っている。先生も優しいし、りえの事情をよくわかってくれていた。なので、学校に行くのは楽しい。
毎日楽しいので、いつも家に帰るのは夕飯の直前になる。
「お姉さま。お戻りですか」
屋敷の玄関ホールに入ると、すぐに弟が声をかけてきた。年子だし、顔も似ているので双子に間違われることもある。でも、大輝は普通の子どもだった。真面目で優しいけれど、普通の子ども。一緒にいて楽しいかというと、あんまり。
「うん。もうすぐお夕飯?」
「はい。あの、今日は僕もご一緒してもいいですか?」
「あれ、今日は外出しないの?」
大輝とは食事を取る時間が違った。大輝は学校の後はお稽古ごとや塾に行って、戻ってきてから夕飯を食べる。りえは、今はお稽古ごとはせずに好きに調べ物をしたり、あおちゃんたちと遊んでいるので、大輝より夕飯が早いのだ。
大輝ははにかんだ笑みを浮かべて、
「今日はお稽古の先生が風邪を引いてしまったらしくて、急遽お休みになったんです」
「そう。お気の毒なことね。お見舞いのお品を贈っておきましょう」
大輝のどのお稽古の先生も、その筋では名の通った方だ。そういうことをしておいて、損になることはない。本当ならこういうのは母がするのかもしれないが、母は普段から結構忙しくしごとをしているので、最近ではりえが家の内向きのことを仕切っている。
「はい。ありがとうございます」
「食事も一緒にするのよね? いいわよ」
「はい! よろしくお願いします!」
大輝はなにかものすごくうれしそうな顔をしている。
夕食をよろしくお願いすることなどないと思うのだけど。
うちには食堂があって、いつもそこで食事を取る。なにかの記念日やお祝いごとは家族一同集まるけれど、普段は父も母もいない。ひとりで食べることが多くて、姉弟で一緒に食事を取るのも珍しい。
食堂は広々としていて、ちょっとしたパーティーもできる程度の面積がある。ありがちな小型のシャンデリアといくつかの照明器具が設置されていて、暖色の明かりがレストランのような雰囲気を醸し出している。
正直、子ども二人と使用人が数名いる程度では持て余す。昼間なら小さなテラスに行ってそこで食事をする方が気安いのだが、夜にテラスに出て良いのは大人だけと決められていた。まあ、誘拐とかあるし、仕方がない。
大きなダイニングテーブルに、大輝と隣同士で座る。別にフルコースでもなんでもなく、日本食の御膳が並べられた。いくらお金を持っていても、毎日贅沢なんてしていない。⋯⋯料理人は雇っているけれど。食材は普通のものだ。⋯⋯多分。
今日はぶり大根がメインで、ほうれん草のおひたし、肉じゃが、人参のなますの小鉢が並んでいて、豆腐のお味噌汁とごはんが用意されていた。けっこう渋いメニューだ。
りえはあまり好き嫌いがないけれど、こだわりもないので、手を合わせて食事をはじめる。隣の弟は、メニューを見て難しい顔をしていた。
「魚、苦手だっけ?」
「はい⋯⋯」
一応、弟の皿のぶりは小さなものが選ばれている。うちの料理人は無能ではないので、雇い主一家の食べ物の嗜好は当然把握していた。ということは、このメニューは弟に「ちゃんと食べないと大きくなれないですよ」と促すものなのだろう。
「頑張りなさいよ。食べ物を粗末にしたらダメなんだから」
「はい。命を頂いていることはわかっているのですが⋯⋯」
「私たち金持ちが食べ物好き嫌いしてたら、『わがままだ!』『食べるものに困っている人間の気持ちなんてわからないんだ!』ってすぐ炎上するんだから。そういうのはない方がいいでしょ」
「⋯⋯⋯⋯」
大輝はこちらの顔を見て、やっぱり難しい顔をした。
「⋯⋯そうですね。誰かと揉めるのは、嫌な気持ちになりますからね」
「イメージダウンするばっかりで良いことないわよ」
何度かうなずいて、ぶりを口にいれる。しっかり生姜がきいていて、生臭さはない。絶妙な火加減で、身もふっくらと仕上がっている。
「うん、おいしい」
「⋯⋯そうですか?」
「りえはお魚、結構好きよ」
「僕も食べます!」
なぜか弟は張り切って、小さなぶりの切り身をさらに小さく切り分けて、口元まで運ぶ。直前で箸を止めたのでためらいはあるようだが、きゅっと顔に覚悟を宿して、切り身を口に入れた。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
「どう?」
「⋯⋯⋯⋯お姉さまがお好きなものは、残したりしません」
どうやらイマイチらしい。それでも、ほかの小鉢を口に入れながら小さな切り身を完食した。よく見れば、ほかの小鉢は大輝の好物ばかりだ。渋い趣味。だから周囲は、献立が結構大輝の好みに寄っていることに気がついていない。ま、別にいいけどね。
「ちゃんと食べられたじゃない」
「はい! お姉さまのおかげです!」
「別にりえはなにもしてないでしょ⋯⋯」
隣で座って普通に食事をしていただけだ。頑張ったのは大輝自身だ。
「パパとママに、大輝が頑張っていたことはちゃんと言っておくわ」
「は、はい!」
照れくさそうに笑うので、なんだかこちらがいたたまれなくなってくる。一番身近な肉親のはずだが、大輝の感覚はちょっとよくわからない。りえはこんな風に笑ってもらえるようなことを考えていないし、してもいない。
ぶりをやっつけた大輝は、その後順調に食事を進めて、食べ終わるのはりえとほぼ同時だった。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした!」
二人で手を合わせて、食事の席を立つ。
すると、使用人が声をかけてきた。
「りえさま、大輝さま。今日はおやつが出るそうですよ。リビングでお待ちください」
「あら、そう。わかったわ」
「わあ! なんでしょうね? お姉さま」
いつもはデザートやおやつは特別なときにしか出ない。と言っても、りえがちゃんと学校行事に出たとか、大輝がテストで良い点を取ったとか、そんな理由で食後に出てくるのだけど。
リビングにはベッドみたいな三人がけソファが二つと、ひとりがけソファが二つ置かれている。ひとりがけソファはおパパとママの場所と決まっていたので、大輝と三人がけソファに並んで腰掛けた。
手持ち無沙汰で、テレビでも見ようかな、と思っている間に大輝が話しかけてくる。
「お姉さま、学校は楽しいですか?」
「そうね。面白い子が多いわよ。公立の方がいろんなひとが集まってると思う」
「この前、一緒に駅前を歩いているのをお見かけしました。よくお母さまの会社に出入りしている骨董商の子がいましたね」
「美恵ね。同じ学校なの」
「もうひとりの髪の短い子は?」
「あおちゃん」
「どういったお家柄なんですか?」
「知らない。興味ないし」
そう返したら、大輝は不安そうな顔を浮かべる。
「お姉さま、それは⋯⋯」
「家柄とか親の職業とか、そういうのどうでもいいの。いろんな子がいるの。それが公立学校ってヤツなの」
あおちゃんの事情は複雑だ。親がいない上に、別に親族でもなんでもない星野という保護者のもとにいる。りえの親はきっといい顔をしない。でも、そんなの関係ないのだ。少なくとも、りえにとっては。
大輝はびっくりした顔をした後、申し訳なさそうに頭を下げた。
「⋯⋯申し訳ありません⋯⋯。その、お姉さまがいいように使われるようなことになったらいけない、と⋯⋯」
「パパのよくないところを真似してるわよ。それともアケチにでも言われた?」
アケチはりえのガードマンで、使用人も兼ねている。星野並に過保護なので、りえの周囲に余計なことを吹き込むことがあった。
大輝が表情を曇らせているので、どちらかなのだろう。弟に友人を侮辱されるより、そっちの方が腹が立つ。
「大体、りえがあの二人にいいように使われるなんて、あり得ない。あのふたりがそんなくっだらないこと考えられるわけないでしょ。毎日ごはんと遊びのことしか考えてないのに」
「⋯⋯そうですね! おっしゃる通りです。お姉さまはとてもすごい方ですから!」
どうすごいのかわかっていなさそうなことを大輝が言う。環境の刷り込みというのは恐ろしい。りえは確かに優秀だけれど、人間性が優れているわけではないのに。
人間性で言うなら、きっと──。
「⋯⋯お姉さまが楽しそうでよかったです。帰国してから、落ち込んでいるように見えましたから」
「⋯⋯別に。誘拐とかされたら、誰だってびっくりするでしょ」
「はい。落ち込んで当たり前です」
「落ち込んでたわけじゃない」
「はい。そうですね」
大輝は優しい笑みを浮かべてうなずいた。大輝はちょっと、やりづらい。美恵ともあおちゃんとも違った。弟って、みんなこういうものなんだろうか。
「りえさま、大輝さま。お待たせしました」
アケチがお盆を持ってリビングにやってきた。
ローテーブルに置かれたのは、日本茶と、海苔がくっついたつやつやした茶色のおせんべいだった。し、渋い⋯⋯。
食後だからか、おせんべいは銘々皿に二枚ずつ乗せられていた。
「あ! 僕の好きなお店のですか?!」
「ええ。料理長が、大輝さまがちゃんとお魚を召し上がったらお出ししようと用意していたらしいですよ」
「やったー!」
アケチの応えに、大輝が両手を上げて喜んだ。大輝はおせんべいが好物なのだ。りえは甘いものの方が好きなんだけれど。
「頑張ってよかったわね」
「はい! うれしいです!」
大輝はさっそくおせんべいを一枚手にとって、一口大に割って口に入れた。
「ぱりぱりです! ちょっと炙ってくれたんですか?」
「ええ。大輝さまはその方がお好きですから」
「本当は焼き立てが一番おいしいですけれど、ちょっと火を通すだけでも匂いが変わっておいしくなるんですよね」
大輝はまだ、それがどれくらい手間がかかるか知らないんだろう。うちの料理人は、小さな七輪でおせんべいを炙っている。それを思えば、甘いもののほうが良かった、とは言えない。りえもおせんべいをかじった。
「うん。ぱりっとしてておいしい」
「あの、お姉さま⋯⋯こぼしてますけれど⋯⋯」
「こうやって食べるほうがおいしいのよ」
りえもあおちゃんから教えてもらった。手であらかじめ割ると、おせんべいのぱりっと感が楽しめないのだ。食べ物は別に味だけで印象が決まるわけではない。口に含んだ時の熱や香り、感触もおいしさを構成する要素だ。つまり、おせんべいは上品に食べるものではない。もし上品に食べる必要があるなら、それは一口サイズで焼かれたものだけだ。それっておかきとどう違うんだろう?
大輝はなるほど、と納得した表情を浮かべて、もう一枚をかぶりついた。
「ん! 確かに、口でぱりっとした感じがします! 割った時に香ばしいお醤油の匂いもよくわかりますね」
「でしょ?」
「お姉さまはなんでも知っていますね!」
「あおちゃんから教えてもらったのよ。美恵もあおちゃんも、りえたちが知らないことをたくさん知ってる。そうだ。今度焼き芋食べさせてあげるわ」
「? お姉さまが焼き芋をつくるんですか」
「そうよ」
学校で焼き芋をして以来、芋の種類、熱の通し方、加熱時間、温度⋯⋯いろいろと調べた。料理長にもまとめた資料を渡しているので、焚き木による焼き芋は難しくても近い感じで火を通す方法は教えてもらえるだろう。
「そうだ。焼き芋パーティーをして、あおちゃんたちも呼びましょう。大輝も挨拶したらいいわ」
「そ、それはお姉さまの御学友にご挨拶させていただける、ということでしょうか?」
御学友? あの二人が? 字面がマッチしていない。思わず眉をひそめたら、大輝が笑った。
「お姉さまのご友人を紹介していただくの、はじめてです」
「⋯⋯そうだっけ?」
「はい!」
──そう言えば、友達、と呼べるのはあの二人くらいなのかもしれない。
りえと長く一緒に遊ぶ、はじめての他人。
「うれしいです。ちゃんと挨拶させていただきます!」
大輝は素直にそう言って、食べかけのおせんべいをかじった。その喜び方は、単に姉の友人を紹介されることに対してなのか、姉にようやく友人ができたことに対してなのか、りえにはわからなかった。
なんだか妙な気分になって、一枚りえの分のおせんべいを大輝にあげた。
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