04 ワイルドなチキンのトマト煮
あおちゃんは見てしまった。見てしまった!
星野さんが、すごい美人のお姉さんとマンションに帰る姿を‼︎
「……星野さん、あのお姉さんは誰ですか?」
じっとりとした視線で、キッチンに立つ星野さんを見つめる。星野さんはスーパーのお惣菜をレンジに入れてからあおちゃんを見た。
「お姉さん? ……すごい美人と言ったら、アレか。お前、俺がスーパーから帰って来るの見てたのか」
「おうちに入るとこを見ました。……スーパーから一緒だったんですか……」
あまりのショックに、公園で時間を潰してから帰ったのだが、正解だったらしい。大人の男女にはそういう空白の時間が必要なのだ。
「あのひとは上の階に住んでるご近所さんだ」
「え? でもあんなきれいなお姉さん、あおちゃんは見たことないですよ?」
モデルさんかと思うくらい背が高くてすらっとしていて、長い髪がきれいな女のひとだった。あおちゃんだってかわいいけれど、10年経ってもあんな風になれないことはわかる。
「よくわからん生活をしているひとでな。このマンション以外にも家があるらしいし、ホテルを転々としていることもあるらしい。最近は男の家に泊まり込んでたとか言ってたな」
「! 別に彼氏さんがいるんですね⁈」
「さあ。彼氏かは知らん」
「そういう込み入った事情はあおちゃんにはまだ早いので伏せておいてください! とりあえず、星野さんは相手にされてないんですね⁈」
「言い方。それに、すげえ美人ではあるが、俺の好みでもねえよ」
「星野さんの好みって?」
「肉付きのいい女」
「あおちゃん、今日からもっといっぱい食べますね」
「そうしろ。ほら、できたぞ」
今日は春巻きとかぼちゃの煮物、なすの甘辛煮、冷凍ご飯をチンして、お味噌汁だけは星野さんがつくってくれた。
お惣菜はあっためただけだけど、ちゃんとお皿に移し替えるのが星野さんのこだわりだ。
二人分をリビングのガラステーブルに並べて、両手を合わせる。
「いただきます!」
「いただきます」
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今日は星野さんが夜遅いと言うので、りえちゃんと美恵ちゃんと、星野さんの家でお泊まりをすることになっていた。女子会というやつです!
学校が終わってから、一度帰って公園で待ち合わせて星野さんのマンションに向かう。
「星野さんと一緒につくったお料理の数々を二人に披露してやりますとも!」
行きすがら勇んでキメ顔をつくったのに、りえちゃんと美恵ちゃんからのウケはいまいちだった。
「アンタ調理実習でもおにぎりくらいしかつくれないじゃないのよ」
「包丁もあんまり上手じゃありませんでした……」
「……星野さんが過保護なもので……」
家でひとりの時に刃物に触るのは厳禁なのだ。触ったら家を追い出すとまで言われている。でも星野さんは料理をしないので、別にふたりでいる時に練習するわけでもない。いつかあおちゃんが料理上手になる日は来るのだろうか。
「ちゃんとうちの親が料理くらい持たせてくれてるわよ」
「うちもおばあさまが持っていきなさいって、お手伝いさんがつくってくれた煮物を持ってきました。
二人とも、両手に大きな荷物を下げていたのはそういうわけか。とくにりえちゃんのはすごくお高そうな紙袋だ。あおちゃんが料理の腕を奮う隙はないらしい。
「じゃあ、おやつと飲み物くらいスーパーで買って行きましょうか」
三人で近所のスーパーマーケットに入って、それぞれ飲み物とおやつをかごの中に入れていく。
「りえ、炭酸飲みたい」
「これってジュースです?」
「最近、お酒かジュースかわからないパッケージ増えましたよね」
「それはお酒ですよ」
後ろから聞きなれない声がして、三人で顔を上げた。すごくきれいなお姉さんが、こちらを見て微笑んでいる。
あの、星野さんと一緒に帰ってたお姉さん。
「炭酸はこっちのコーナーですよ。それはわたしがもらいましょう」
お姉さんはそう言って、りえちゃんが手に取ったボトルを取り上げる。りえちゃんが嫌そうな顔をした。
「アンタ、こんなとこでなにしてんの?」
「実は近所なんですよ。りえちゃんはお友達とパーティですか?」
りえちゃんとお姉さんは、どうやら知り合いらしい。知り合いの子どもがうっかりお酒を買おうとしていたら、さすがに声をかけるだろう。だからこのひとは怪しいひとではない。
怪しいひとかどうかの判定は重要だ。星野さんには、怪しい奴に声をかけられたら持っている警報ブザーを鳴らして逃げろ、とキツく言われている。
りえちゃんはぷいと顔を横に向けたが、ちょっと恥ずかしそうにしているのがわかった。
「りえちゃん、このお姉さんはどのようなお知り合いなのでしょう?」
美恵ちゃんが気になっていたことを訊ねると、りえちゃんではなくお姉さんが自己紹介してくれた。
「わたしは奈々と言います。りえちゃんと昔からの顔見知りなんですよ。とくに親戚というわけではないんですけれど、年に何回かは顔を合わせるんです」
「親がやってるパーティーに、コイツはいつもいるの」
「まあ、うちの親が行けってうるさいので。……りえちゃんはなかなか同世代の友達がいなさそうでしたけど、ちゃんとお友達がいたんですね」
「失礼ね! アンタだって裕一郎にべったりで友達いないくせに!」
「あははは。それはそう。まあ、わたしはとくにいらなかっただけですけれど。りえちゃん、お友達を紹介してくれます?」
「美恵といいます」
「……あおちゃんです」
あおちゃんがしぶしぶ名前を言うと、お姉さんはおや、と目を大きく見開いた。
「⋯⋯もしかして、あおちゃんの名字は星野ですか?」
「違います。でも、星野さんはあおちゃんの保護者です」
そう言ったら、奈々ちゃんはそういうこともありますか、という顔をしてうなずいた。
「星野さんから聞いていた通り、かわいい子ですね。りえちゃんより素直そうです」
「素直でなくて悪かったわね。なに? 星野とも知り合いなわけ?」
「わたしのマンションの住人の方なんですよ。ときどきすれ違うと挨拶されるんです。見た目によらず律儀な方ですよね」
「あー」
「あー」
「そうです。星野さんは律儀なだけですから! 勘違いしちゃダメですよ!」
あおちゃんが念入りに釘を刺すと、奈々ちゃんはまた声を上げて笑った。
「あおちゃんは、星野さんが大好きなんですね」
「ええ、もちろんです!」
即答すると、また奈々ちゃんは笑った。あおちゃんの視線までかがんで、こちらの顔をのぞき込んでくる。
「なら、これからはあおちゃんに勘違いされる行動は慎まないといけませんね。これまでのお詫びに、今日は夕飯をごちそうさせてもらっていいですか?」
そういうわけで、なぜか奈々ちゃんを星野さんの家に入れることになってしまった。
だって、今日はだれも大人がいないから。
本当は、今日のお泊り会は星野さんも最初いい顔はしなかった。けれど、子ども3人でも一人よりはマシだと思ったからOKを出したのだ。りえちゃんが一緒なら、マンションの近くに警備のひとが立つのもわかっていただろう。奈々ちゃんが星野さんに連絡を入れれば、すぐに「頼みます」と丁寧な返事があった。
「まあ、奈々は身元がはっきりしてるし、なにかあったら実家にチクれば大抵なんとかなるから。代理の監督人としてはまずまずじゃない?」
りえちゃんがそんなことをこっそりと耳打ちしてくる。わかっている。わかっていますとも! でもなんか悔しい。星野さんの彼女さんならいざしらず、彼女さんでもない女のひとを家に上げてしまった! あおちゃんの目の前で!
「さて、では食事の準備をしましょうか」
奈々ちゃんがキッチンでそんなことを言って、調味料や冷蔵庫の中を物色しはじめる。うう、あおちゃんと星野さんの城が不躾に眺められるなんて⋯⋯。
「ふふ。うちとさほど差がない食材。やっぱり一人やもめだとこうなりますよねえ」
「ねえ、奈々。アンタ料理とかできるの?」
「これでも実家を出てそれなりになりますからね。最低限はできますよ」
奈々ちゃんはさっきスーパーで買っていた唐揚げ用の鶏肉とトマトの缶詰をビニール袋から取り出してキッチンに並べた。
「あおちゃん、フライパンはどこにありますか?」
「⋯⋯ここです」
しぶしぶキッチンの引き出しからフライパンを取り出す。フライパンには大きいのと小さいのがあって、普段使っているのは小さいやつだ。奈々ちゃんは大きなフライパンを選んで持ち上げる。
「意外ですね。このサイズのフライパンがあるなんて」
「引っ越しするときに誰かに持たされたんじゃないです? それか、前の彼女さんが置いていったやつか」
むくれたまま適当な話をするけれど、奈々ちゃんは気にした様子もない。
「おやおや。あおちゃんは物知りですね」
「こういうの、物知りっていうの?」
りえちゃんが呆れた顔で突っ込んだのに、奈々ちゃんは無視してフライパンをIHコンロの上に乗せた。結構マイペースなひとらしい。
「これはすごーく簡単なお料理なので、きっとあおちゃんたちにもつくれますよ。だから、今度星野さんにもつくってあげるといいんじゃないですか?」
「どんなお料理なんですか、奈々せんせい!」
あおちゃんは素早く奈々せんせいの隣を陣取った。りえちゃんと美恵ちゃんが白い目でこちらを見ているのを感じる。
「りえはほかの料理あっためてくつろいでるから。そっちはそっちでやってて」
「あ。私は見ててもいいですか? おばあさまにつくってあげたいです!」
「もちろん」
奈々せんせいはそう言って、フライパンに油を垂らしてからコンロに火を付けて鶏肉を焼きはじめた。肉の両面に焦げ目が付いたのを見てから、トマト缶を全部ぶち込む。
「⋯⋯計量とかしないんです?」
「めんどうでしょう?」
奈々せんせいはワイルドな方針らしい。トマトがふつふつ煮立ってから、コンソメとにんにくチューブ、塩コショウを入れて焦げ付かないように混ぜた。
「これで水分が飛んでトマトがとろっとしたら完成です。ね、簡単でしょ?」
「⋯⋯全部目分量でした⋯⋯」
「とりあえず、コンソメはたくさん入れるとおいしくなりますよ」
あおちゃんでもわかる。そんなことはない。なぜならあおちゃんも昔コンソメを一袋入れてスープを塩辛くして、星野さんに怒られたことがあるからだ。そういう極端なのは、調味料ではよくない。
「⋯⋯とりあえず、今くらいの分量だとどういう味になるのか、味見させてもらってもいいでしょうか?」
美恵ちゃんが遠慮がちにそういった。奈々せんせいは笑って、小皿にトマトソースを入れて美恵ちゃんに手渡した。ついでにあおちゃんにもスプーンを手渡してくれた。
トマトソースは、おいしかった。
「わあ、ちゃんとおいしいです!」
「おばあさまにはちょっと濃いかも⋯⋯?」
「鶏肉のソースですからね。ちょっと濃い目が合いますよ。でも、味付けの濃さもコンソメで調整したらいいですから。コンソメは全てを解決します」
奈々せんせいは、やっぱりワイルドだ。
「本当はここにスパイスとかハーブを入れると、お店みたいな味になるんですが⋯⋯まあ、そういうのは凝り性のひとか、普段から料理をするひとが用意したらいいです。一般家庭であんまり凝った調味料を用意したら腐らせて虫が湧くのがオチです」
なるほど。勉強になる。あおちゃんは、質素な星野さんの食材リストをどうかと思っていたけれど、ちゃんと理にかなっているらしい。
「ねえ、りえたちが持ってきた料理はだいたい温め終わったけど?」
「じゃあ、飲み物を用意しましょう。私はジュースがいいです! おばあさまには食事中にジュースを飲むと叱られるので!」
「えー? ご飯に甘い飲み物はあわないですよ。給食でごはんなのに牛乳飲むの嫌ですもん」
「カレーだと大丈夫でしょ?」
「あー」
「あー」
「こっちももう出来上がりますから、飲み物選んで待っていてください」
奈々せんせいがそう言うので、あおちゃんたちは買い込んだ禁断の飲み物たちをリビングのガラステーブルに並べて、それぞれの場所で待機した。
「はい。奈々ちゃん特製のチキンのトマト煮込みですよ」
中央に置かれたお皿には、とろっとしたトマトソースに埋もれた鶏肉がごろりと転がっていた。黒こしょうが振りかけられていて、見た目もなんだかおしゃれな感じがする。
「それじゃ、いただきまーす!」
みんなで手を合わせて、まず奈々せんせいの鶏肉を一口サイズに切ってから頬張る。
「わあ。ちゃんとおいしいです! 計量もしてないのに!」
「りえが持ってきたパンとも合いそう」
「とろけるチーズをかけてもおいしいですよ」
冷蔵庫にあったはずのチーズを持ってきて、皆で分ける。お肉の上にチーズを置いて、その上からトマトソースをかけると、チーズがしんなりする。それをまた口にいれると、チーズとトマトが混ざって、お肉にとてもよく合った。
「んー、あおちゃん、こっちの方が好きです!」
「それはよかった」
奈々せんせいは、缶ビールを開けて鶏肉をつまみにしている。お酒を飲むイメージがなかったので、ちょっと驚いた。
「奈々せんせい。この料理って、お酒にも合うんです?」
「そうですね。合いますよ。今日はわたしはビールですけれど、お酒は赤ワインがいいですね」
「なるほど」
星野さんにつくってあげるときは、赤ワインも一緒に用意してあげよう。あおちゃんの良い子ぶりに、きっと感激して涙を流すはずだ。
「今日は包丁を使わない料理でしたけど、火は使いましたからね。ちゃんと大人と一緒にやるんですよ?」
「えー、それじゃ星野さんをびっくりさせられないですよ!」
「あはは。それじゃ、わたしと一緒につくって置いておけばいいです。星野さんが帰ってきてから、二人で一緒にあっためて食べるといいですよ」
想像してみた。悪くない。とても良い。
「じゃあ、その時はまた、あおちゃんと一緒にお料理してもらえますか?」
「もちろん」
奈々せんせいは笑ってうなずいてくれた。あおちゃんは、包丁を使えなくてもお料理上手になれるかもしれない。
「⋯⋯りえ、奈々が料理できるなんて知らなかった」
「まあ、披露することないですしね」
「でも、コレが裕一郎の好きそうな味っていうのはわかる」
「⋯⋯さあ? どうでしょうか」
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