03 うらやましいパフェ
「星野さん、パフェを食べに行きましょう!」
家に帰るなり、玄関で待ち構えていた子どもがそんなことを言い出した。
子どもはパジャマを着て仁王立ちしている。寝る支度を整えた上で待っていたらしい。もう眠っていてもおかしくない時間だった。
星野は一度子どもの頭をなでてから、靴を脱いでスリッパでリビングに向かった。
「なんだ。いきなり」
「星野さん、明日おしごとお休みでしょ?
思わず後ろから付いてきた子どもを振り返る。
「……なんでお前が知ってるんだ」
「池澤先生が言ってました」
この子どもが習い事で通っている道場の師範は、星野の部下のひとりだ。業務の都合上、お互いのシフトは把握しているが、コレは秘匿情報の流出に当たるんじゃないか?
子どもは星野の秘密を握ったことにいたく満足しているらしく、自慢げな表情をしながら最初の台詞を繰り返した。
「だから、パフェを食べに行きましょう」
「だから、の接続詞がおかしい」
「今日、美恵ちゃんが駅前に新しくできたパフェのお店に行ったって自慢してたんですー! 桃のパフェおいしかったって言ってました。あおちゃんも行きたいです!」
「美恵ちゃんが言ってただけだろ」
「りえちゃんも、そこのお店のパフェは食べたことあるって!
りえちゃんも美恵ちゃんも、この子どものクラスメイトで特によく話に出てくる名前だ。この子どもは普段あまりものをねだらないが、1/3の側になるとさすがにうらやましくなるらしい。
星野はスーツのジャケットを脱いでネクタイを緩めながらソファに腰掛けた。子どもはすぐに目の前にやって来る。リビングのソファに座ると、ちょうど星野と子どもの目線が合った。
「……パフェはどのくらいの大きさなんだ」
「このくらいって言ってました!
子どもは両手で自分の顔くらいの大きさを示した。
「却下」
「えー⁈ なんでですか!」
「お前がひとりで食べきれないからだ。
子どもは心当たりがあるらしく、うっと言葉を詰まらせる。もともと、体が小さくて少食な質だった。
「……星野さんも一緒に食べましょう! 半分こです!」
「俺は甘いものが好きじゃねえんだよ」
「あー……」
「お前がちゃんとひとりで食べ切れるようになったら連れてってやる」
そう言ったら、子どもはあからさまに項垂れた。それでも星野の言い分には納得したらしく、弱々しい声でおやすみなさい……、とつぶやいて部屋に帰っていった。
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「あおちゃん、どうでした? 星野さん、連れて行ってくれるって?」
あおちゃんが学校の教室の扉を開いて、一番に声をかけてくれたのは美恵ちゃんだった。美恵ちゃんはおっとりした顔つきのとってもかわいい女の子だけれど、別に大人しいわけじゃない。大きな黒目は今日も好奇心できらめいている。
あおちゃんは落ち込みを隠す気もなく、しょんぼりとした気持ちのまま正直に報告した。
「ダメでした……」
「ダメですかー」
「なに? 星野って案外ケチ臭い男ね」
間に入ったのはりえちゃんだ。今日も長いツインテールを揺らして、整ったきれいな顔を生意気そうな笑みに歪めている。あおちゃんは全力で首を横に振った。
「違います! 星野さんはケチじゃなくて子どもの教育にうるさいだけです! あおちゃんがひとりで食べ切れなきゃ連れて行かないって言われたんです!」
「あー」
「あー」
二人とも心当たりがあったのか、納得の声を上げた。美恵ちゃんはおばあちゃんと一緒に行ったと言っていたし、りえちゃんはいつも大人に囲まれているから、そういうひとと半分こしたのかもしれない。いいなあ、半分こ。
美恵ちゃんはおっとりした顔に、困ったような表情を浮かべた。
「なんでパフェ屋さんのパフェってあんなに大きいんでしょう……? 大人サイズでしょうか?」
「ああいうのは量増しして客単価上げてんの。フードロスとか考えてない資本主義者の経営戦略よ」
りえちゃんは小難しいことを知っている。りえちゃんのことは友達だと思っているけれど、正直そういう話には興味がなかった。話半分で聞き流しながら、あおちゃんは思わずため息を吐き出す。
「パフェはもうちょっと大人になってからでないとダメみたいですねー。残念⋯⋯」
「……そんなに行きたいなら、りえと一緒に行く? あそこうちの親の資本だからいつでも席空けられるけど?」
りえちゃんはさらっとそんなことを言う。うーん、お金持ちの発言はやっぱり一味違いますね。
「りえちゃんと行くのも悪くないんですけど、やっぱりあおちゃんは星野さんと行きたいんですよねえ」
「で、デート、ということですか⁈」
「そうです!」
「星野が鼻で笑ってるのが見える」
恋バナが大好きな美恵ちゃんが、きゃあきゃあとミーハーな声を上げている。多分、美恵ちゃんが思ってるような感じのと、あおちゃんと星野さんは違うと思う。でも、あおちゃんは星野さんとデートがしたい。楽しいので。
「でも星野さん、甘いもの好きじゃないって言うし、たしかにあおちゃんがひとりで食べきれなかったらお残しになっちゃうし、仕方ないですよねえ……」
「うーん」
「うーん
りえちゃんと美恵ちゃんが、一緒になって唸ってくれた。だからあおちゃんは、気持ちを切り替えることにした。パフェじゃなくてもデートに誘う口実はいくつもある⋯⋯はずだ。
「それはそれとして、三人で別の甘いものを食べに行くことを考えましょう!」
「賛成ー!」
授業が終わって真っ直ぐ家に帰ると、星野さんが珍しくキッチンに立っていた。
「どうしたんです? あ! ぶどうだー!」
キッチンカウンターには洗ったばかりの紫色をしたぶどうが、銀色のザルの中で転がっていた。水がまだ丸い表面に残っていて、きらきらしていてきれいだ。足の長いスツールによじ登ってじっくり眺めてから、まだキッチンにいる星野さんに声をかける。
「どうしたんですか、これ」
「買ってきた。皮ごと食べられるやつだぞ」
そう言って、あおちゃん用のコップを目の前に置いた。コップは凹凸のないすっきりとしたガラス製のやつで、そこにカステラを小さくちぎったのと、おやつ用のナッツを入れてから、半分に切ったぶどうを入れる。その上から崩したプリンが層になるように敷き詰めて、スプーンですくったバニラアイスを盛り付けてくれた。最後にぶどうを飾って、あおちゃんの前に差し出してくれる。
「ほら。パフェだ」
「パフェでーーーーす‼︎」
お店みたいにきれいな盛り付けではないけれど、構成要素は間違いなくパフェだった。フルーツと、アイスと、甘いスポンジ。生クリームはきっと星野さんの食材リストに存在していないのだ。だからノーカンで問題ない。
「すごい、すごいですよ星野さん‼︎ ちゃんとパフェですよ!」
「……さっさと手を洗ってこい」
「はーい!」
アイスが溶けないうちに、と走って洗面所で手を洗って、慌てて戻ってくる。パフェはリビングのガラステーブルに移動していて、一緒にレンジであっためた牛乳も差し出してくれた。
改めて見た星野さんのぶどうパフェは、いびつな形のアイスクリームがちょっとおもしろい、でもぶどうがきらきらしていてきれいな、とびきりおいしそうなパフェだった。
「いただきまーす!」
手を合わせてから、スプーンで一口分をすくう。アイスはちょうどいい感じに溶けかけていて、下のプリンと一緒に食べると、なんだかいつものアイスクリームともプリンとも違う味がした。一緒にぶどうを食べると、爽やかな果汁が甘さをいい感じにしてくれる。
「星野さん、おいしいです! すごいですよ! お家でパフェってつくれるんですね!」
「昔、姉貴がつくってくれてたのを思い出してな」
「星野さん、お姉ちゃんがいるんです?」
「ああ。言ってなかったか?」
「歳の離れたお兄ちゃんがいて、そのひとが父親代わりだったっていうのは知ってます」
そして、あおちゃんはそのお兄ちゃんの紹介で星野さんと会ったのだ。だから星野さんのお兄ちゃんは、あおちゃんの恩人なのだ。お兄ちゃんは体が弱いらしくて一度も会ったことはないけれど、いつか会ってお礼を言いたいと思っている。
「ぶどう、いつものよりおいしい味がします」
「高いやつだったからな」
そう言って、星野さんはあおちゃんの向かいに座ってぶどうとコーヒーを並べた。おやつタイムに付き合ってくれるらしい。
「星野さん、今日のお休みはなにしてたんですか?」
「これの買い出し。あと姉貴に電話」
星野さんはぶっきらぼうにそう言って、ぶどうを一口口に入れた。果物は甘いものには入らないらしい。二口目に手を伸ばしていた。
「じゃあ、これから一緒にお稽古に行きませんか? 池澤先生はいないですけど」
「知ってる。⋯⋯まあ、久々に稽古に行くのはいいか。お前の相手もしてやるよ」
「やったー! あおちゃん、星野さんと乱稽古するのだーいすき!」
「⋯⋯変なガキだな。お前は。俺との乱稽古とか、ほかの小学生なら逃げ出すぞ」
星野さんは言葉通り、へんないきものを見る目であおちゃんを見た。呆れていそうで、でもちょっと優しい目をしている。あおちゃんは、そういう星野さんが大好きだった。
「星野さんの優しさは、わかりづらいですからねえ。あおちゃんはちゃんとわかってますから」
「⋯⋯別に、優しくはないだろ」
「こんなパフェ用意しておいて、なに言ってるんですか。りえちゃんじゃなくても鼻で笑いますよ」
もう半分ほどに減ったパフェを見て、あおちゃんは笑った。
自分みたいな居候の子どもに、こんなことしてくれるひとが優しくないわけないのに!
「⋯⋯言ってろ」
「晩ごはんはお外でハンバーグとか食べたいですね。ハンバーグはちゃんと食べきりますよ!」
「⋯⋯わかった」
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「そういうわけで、星野さんとおうちデートができました!」
次の日。学校でりえちゃんと美恵ちゃんに、帰宅後の報告をした。美恵ちゃんは楽しそうに顔をきゅっと歪めている。
「すてきですね! やっぱり星野さんはとってもすてきなひとですね!」
「一緒に暮らしてるのに、おうちデートってなによ?」
りえちゃんは納得し難い、といった顔をしているけれど、次にむうと唇を拗ねた形にした。
「⋯⋯でも、ちょっとうらやましい」
「え?」
「りえはいつも大人に囲まれてるけど、ごはんやおやつを残したって叱られたことないし、周りのひとにそんな風に食べ切れるサイズを手作りしてもらったこともない」
「えー?」
お金持ちってそういうものなのか、りえちゃんの家が特殊なのかはわからない。でも、りえちゃんが心からうらやましそうに言っているのがわかった。
そして意外なことに、美恵ちゃんもりえちゃんに同意した。
「私はおばあさまと二人暮らしですし、おばあさまもおしごとがあるので、いつも一緒に遊んでくれるわけじゃないです。外食する時に半分こにはしてくれますけど、料理とかはしてくれないんですよ」
「えー?! そうなんです?!」
「令和は共働き、片親が多いから、手料理って結構レアよ。星野、独身なのにね」
「あおちゃん、うらやましいです」
あおちゃんはびっくりしてしまった。だって、外でパフェを食べられるのがうらやましいと思っていたから。半分こできる誰かがいることがうらやましいと思っていたから。
思わず、にんまりと笑顔になってしまう。
「えへへー。星野さんがいてうらやましいですか? でも星野さんはあおちゃんの星野さんでーす!」
「うわ、ウッザ!」
「盛大な自慢に移りましたね」
りえちゃんと美恵ちゃんが呆れた表情に変わったのも取り合わず、あおちゃんはその日一日をご機嫌で過ごした。
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